外伝 オルタンシア
閑話に載せる予定で書いていたのですが、血腥くなったのでカットしました。
流血・暴力描写があるので苦手な方は注意して下さい。
私の名前はオルタンシア。姓は無い。
暗殺集団ベラドンナの女諜報員が、任務先で身籠り、組織の下で生んだ子だ。
ベラドンナは報酬さえあれば、赤子だろうが政府要人だろうが、容赦なく屠る闇の組織。その背後には、どこかの王侯貴族の陰があるらしいが、幹部クラスしかその存在は知らされていない。
私は、父親の情報はなに一つ知らずに、知らない方がいいと言われ育った。もしかしたら、将来自分が暗殺する対象になる、それもあるやも知れないと。情が無い方が私も組織も都合がいいと。
フォークを持つよりも先に暗器を持つ事を覚え、乳の味よりも先に毒の味を覚えた。
完全無欠な暗殺者になる為に、あらゆる技術を叩きこまれ、組織に反発すれば死をもって償えと、男と組織を逃げようとした母の骸を前に、誓わされた。
私は命じられるままに殺していればいい。
それが誰であろうとも。
初めての単独任務の命令が下りた。
違法賭博で借金を背負い、その返済の目途が立たない貴族の一人を惨殺しろと。
要は見せしめに派手に殺せという事だ。
淡々と準備をしている最中、仲間の一人が言った。
「知ってるか?お前が殺しに行く男、お前の実の父親だってよ。嘘と思うなら調べればいいさ。その男が違法賭博にのめり込んだのは、お前の母親がそうさせたんだし、孕んだ時期も当て嵌まるしな」
その情報は与えられていなかったが、だからなんなのだろう。
「関係無い。殺せと言われたら殺すだけ」
オルタンシアの台頭を妬んだ、仲間が嫌がらせで言った戯言。そう解釈してオルタンシアは任務へ向かった。
最初オルタンシアは、任務の場所を間違えたのかと思った。
オルタンシアが男の屋敷に着いた時、忍びこんだ部屋は血の海になっていたからだ。
既に暗殺者が送り込まれていた?しかし手口がベラドンナのそれと違う。
夫人と幼い子供達、三人の死体が床に転がっている。相当抵抗したらしく、致命傷以外の傷が至る所に付いていて、絶命の顔は見るに堪えない有様だった。
破産したこの家に使用人はいない。
夫人と子供はここで死んでいるのなら、ターゲットの男がまだどこかにいるはず。
屋敷の中は明かりを灯す者もいなくて薄暗い。滴り落ちた血と、人の気配を探って進むと、一つだけ明かりが漏れる部屋があった。
音も無く、滑り込む様に侵入してターゲットを発見した。
テーブルランプがひとつだけ灯っている。その側に佇む男。頭から血を被ったかの様に血まみれだ。夫人達を殺した際の返り血か。
立ち尽くす男の周りには、長時間そこで佇んでいたのか、滴り落ちた血が模様となって床に散っている。よく見たら血は乾いていた。
悍ましい光景に慣れたはずのオルタンシアでさえ、母の最期を目の当たりにした時にさえ、感じなかった底知れる恐怖が沸き起こる。
「俺を殺すのか」
男から感情が無い声が響く。
「俺が殺された後、家族が悲しまない様に予め殺しておいたんだ」
狂っている。
「妻も子供達も、幸せだろう?父親の死を知らずに死んで。もう貧しさやひもじい思いをしなくていいんだから」
これ以上男の話を聞いていたら頭がおかしくなる。
オルタンシアは一瞬で男との間合いを詰め、首筋に刃を突き立てようとして…男と目が合った。
「………!」
寸前で刃を逸らし、男から一瞬で離れる。
仲間から聞いた「お前の父親」を信じて情が湧いた訳では無い。その正否はどうでもいいのだ。
まるで本能が、危機を避ける様に、男から距離を取る。
オルタンシアの心の葛藤など知らずに、男はけらけらと狂って笑い、何の防御も取らずに顔面から倒れた。
何度か痙攣の様に震えていたが、直ぐにしんと動かなくなる。
屋内に充満する匂いで分からなかったが、男自身も多量に出血していたようだ。
死に至るまでの出血をし、それが乾くまで立ち尽くす。ありえない。とっくに絶命していなければ辻褄が合わない現象が目の前で起きていた。狂った男を、悪魔が玩具にして取り憑いて、飽きたから捨てた、そんな風に思った。
妻子に抵抗されて負ったのか、それとも自傷行為か。男は死んだ。
「………」
これは任務遂行と言えるのか。
オルタンシアは、組織に命じられた事を何ひとつしていない。
ターゲットは勝手に死んだ。
いいじゃないか、手間が省けて。
なのに、なのに。
胸の中に澱が溜まっていく。ずんと重く、腐臭を漂わせる、異物が。
仲間が暇潰しに死体を弄ぶ様や、見せしめに内臓をぶちまけてバラバラにして、それを身内に喰わせる様子だって見た事がある。
その時は何も思わなかったのに、どうして今…。
オルタンシアの心が、今限界に達して悲鳴を上げた。
本人が自覚しないまま蝕まれていた心が、何の因果か『父親』の死で崩壊した。
オルタンシアはそのまま組織から逃げ出した。
勿論追手はやって来る。
ベラドンナの中でも敵なしだったオルタンシアは、それを次々と返り討ちにしていった。それが更に自分の心を蝕んで抉る。
心身ともに限界に達した時、組織一番の実力者ゲルセミウムが現れた。
オルタンシアの必死の抵抗……ゲルセミウムにとって抵抗にもならなかったろう。オルタンシアはいつの間にか路地裏のゴミ溜めに捨てられていた。
後から知るのだが、オルタンシアの脱走に紛れて、組織を抜け出した者がいたそうだ。その潜伏先の眼前に、オルタンシアは半死半生の状態で捨てられた。次はお前だと。組織を裏切ればこうなると見せしめに。
痛みで気絶と覚醒を繰り返し、ネズミに齧られ傷口が膿を沸き、ゆっくりと確実に、死にゆく自分自身を見やる。
心は動かない。感情は死んだ。
ターゲットを殺し損ね、組織を抜け出した時から、呪いの様に蝕まれた精神は、蛆が沸いた体を見ても凪いだままだった。
いつになったら死ぬんだろ…。早く死なないかな…。
ひと際巨大なネズミが胸の上に乗った。ぼんやりとそれを眺めていると、ほぼ機能していなかった耳が、慌ただしい軽い足音を拾った。
「やめなさい…!」
「おっお嬢様!この様な卑しい者を…!」
ネズミが逃げて行き、次に現れたのは天使だった。
萎えた目にも、華やかに鮮明に神々しい姿で現れた天使が、悲痛な表情を浮かべてこちらに手を伸ばしていた。
罪深い私にも、天使がお迎えに来るのね…。
そこでオルタンシアの意識は途絶えた。
私の名前はオルタンシア。姓は無い。
暗殺集団ベラドンナの女諜報員が、任務先で身籠ったのが私だ。
そしてこの度、裏切りの粛清を受けて死んだ。
死後の世界とは、こんな私にも破格の待遇をしてくれる。
清潔な服に寝具、三食間食付きの個室、死後の世界で目が覚めた時には、蛆が沸いていた体は治療され、真っ白な包帯が巻かれていた。
「もう大丈夫だからね。しっかり休んで、元気になってね」
私を迎えに来た天使は、病で苦しんでいる者がいないか、貧困層の町を見回っていたそうだ。そこで私を見つけた。
「どうして…」
私は罪深い。人を何人も殺した。天使に救われる資格なんてないのに。希少な薬草、スーグ・ヨ・クーナルまで使って。
「目の前に傷付いている人がいても、見て見ぬふりをして、明日の朝日を何事も無く迎える。そんな強靭な心をわたくしは持っていないの」
天使はそう言って、見えない血に濡れた私の手を握った。
「あなたが罪深いと言うのなら、わたくしも同罪だわ。あなたを救った事が罪になるのなら。でもあなたが、また同じ目にあっていたら、何度だってわたくしは助けに行くからね」
「そんな…!あなた様は、あなたに罪なんて…!」
天使の微笑みが、私の中の澱を浄化してゆく。呪いの様に絡みついていた、あの男の歪んだ顔と奇声が砂塵の様に消えてゆく。
暗殺集団ベラドンナのオルタンシアは死んだ。
私は天使―――アウリス・デ・ラマルティーヌ公爵令嬢の侍女、オルタンシアとして生まれ変わった。
アウリスお嬢様の為に生き、アウリスお嬢様のお側に永遠に侍る事を誓った。
過去が無くなった訳では無い。しかしそれを背負って、アウリスお嬢様の為に生きて行く。
お嬢様が私を救った事を後悔なさらない様に、正々堂々と。
「ほう、それで正面から勝負を挑んできたと?」
「そうだゲルセミウム。お前がベラドンナの首領となり、裏組織の核となっているのは分かっている。つまりお前を倒せば、悪の組織は壊滅する…!」
私を拾ったせいで、組織に目を付けられたお嬢様をお守りできる。
メイド服の裾が砂を巻き上げた風に煽られる。
キーンと、凶刃がぶつかり合う音が荒野に木霊した。
「せっかく生き長らえたのに、また蛆まみれになりたいらしいな」
「嬲り殺しし損ねた事を後悔させてやる!」
私はもう二度と誰にも、自分にも負けない。
私はお嬢様のオルタンシア。
私の天使で、聖女で女神あるあの方の為に、永遠にお側に仕え続ける。
その為には、過去も現在も未来も、あらゆる障害を取り除く剣となるのだーーー。




