19.最終話リナ・キュリー
最終話です。
「リナ、言われた通り迎えに来たけど、まだ授業の時間じゃないのか?」
フランク学園の立派な校門の前で、リナとジャックは落ち合っていた。
「ジャック!来てくれたのね!さすがお貴族様の使う伝令、仕事が早いわ!」
ジャックの姿を見るなりリナは大喜びで駆け寄った。しかしジャックは学園から漂う物々しさに眉根を寄せて、豪華な門扉を見上げる。
「なあ、何があったんだよ?物々しい上に場違い過ぎて、俺昼飯吐きそうだ」
「吐いたら私が幾らでも作ってあげるわ!これからは主婦業に専念出来るだろうからね!」
「まず、吐かせないようにしてくれないの?専念て学園は?」
「こんな所熨斗付きの退学届け出して、出てってやるわよ!私はキュリー夫人するのに忙しいの。歴史に名は残さないけど、夫に愛され愛する良き妻として、ご近所に名を轟かせるの!子供は子孫を含めて百十八人よ!」
「また何言ってんだよ…。その数字、どっから持って来たんだ?」
腕に抱き付いて楽しそうにする妻を見て、何かやらかしたのだと察したが、ややこしそうな気配がしたので、ジャックは聞かない事にした。知らなければ、何もなかった事にしていいのだ。そうだ。きっと。
それに、妻が笑顔で幸せそうにして、側にいてくれる。
これ以上の幸福は、自分一人では受け止めきれないので、早く家族を増やして対応しなくては。忙しくなるぞ。
この幸せな時間は、自宅に帰りリナに事情を聞くまで続いた。
昨日の今日でどうしてそんな事態になるのだと、膝から崩れ落ちた。
乙女ゲームのヒロインリナは、夫と共に幸せに包まれながら、物語から退場して行ったのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ジャック君~待った~?」
暖かな日差しが差し込むとある日、噴水の縁に座っていたジャックは呼び掛けに伏せていた顔を上げる。
青灰色の瞳は美しいが、茶色い髪に地味な格好だとちょっともの足りないように感じる。
しかし良く見れば、心根の美しさと誠実が滲む表情と、均整の取れた体躯を持つ好青年だと分かる。
ジャックに駆け寄った少女は、長く美しい金髪にキラキラとした碧い瞳を持つ可愛らしい少女。
二人が寄り添う姿はどう見ても恋人同士のそれだ。
これからデートにでも行くのか、二人は手を繋いで歩き出す。幸せそうに微笑み合う姿は、見ているこちらまで頬が緩んでしまう。
「ジャック!どういうこと!」
その二人の前に現れたのは、桃色の髪を振り乱した美少女だった。
ぎょっとジャックが戸惑い顔を引き攣らせる。
その隙に、絶対に許せないと青空色の瞳に怒りを湛えて、ジャックと少女との間に入り二人を引き剥がそうとする。
「ずっと一緒って約束したのに…!酷い、酷いよ…!」
「………」
ジャックは黙ったまま一つ溜息を吐き、割り込んだ少女の肩に手を置いて……ひょいっと持ち上げた。
「おい、お兄ちゃんを呼び捨てにするなって、父さん達に言われてるだろ。なんだその、旦那の浮気現場を目撃した本妻みたいな言い方は」
はああと、ジャック・キュリー・ジュニアは、足をぶらつかせる妹をめっと叱った。
「妹さんね、可愛い」
金髪の少女は気分を害した様子も無く、笑顔で挨拶をする。
「ごめんチェルシー、末の妹なんだ。リリ!一人で出歩いちゃ駄目って、あれ程父さんに叱られただろ」
「私という者がありながら、他の女にナビク?なんて。ヒヨクレンリの愛を誓ったんじゃないの酷いわ!これがアイベツリクなのね!」
「また母さんが言ってた事を意味も分からず真似して。いいか、そっくりなのは見た目だけでいいんだ。母さんが二人になってみろ。父さんがパンクするぞ!」
「ジャック君は?」
「父さんが大変だろ!」
「ジャック君?」
兄妹の微笑ましい(?)やり取りを暫し見守っていたが、どうやら収まりそうも無いので、また日を改める事になる。
「チェルシーごめん!この埋め合わせは必ず…」
「この泥棒猫!え~と…渓谷のびしょびしょ!」
「それを言うなら傾国の美女だろ。それだと溪谷で水遊びした事になるだろ。チェルシーは確かに美女だけど、ちゃんとさよなら言いなさい⁈」
「うふふ、はいリリちゃんさようなら。またねジャック君」
混乱するジュニア。暴れるリリ。チェルシーは気分を害した様子も無く、笑顔で去って行った。
何なんだよもう。
畜生と思いながらも、ジュニアは妹を大事に抱きなおす。リリは兄を独り占めできてご満悦だと、肩に額をぐりぐりと押し付けた。
妹が懐いてくれるのは嬉しいが、ここまで熱烈に慕ってくれとは言ってない。
とぼとぼと家路につく。リリはいつの間にか寝ていた。
「あら、兄さんお帰りなさい」
家に入るとまず目に入ったのは、リビングの長椅子で寛ぐ長女のリズだった。
「リズお前、リリが一人で外をうろついてたんだぞ!何やってんだ!」
「ええ、知ってる。兄さんが鼻の下伸ばしている所に突進して行ってたわね。適当に誤魔化して抜け出すからそんな事になるのよ。女はね、何歳だろうと女なの、自分を差し置いて他の女の所に行こうとしている、疚しい男の気配には敏感なの」
ふっと、笑う姿に、コイツとジュニアは頬を引き攣らせる。
兄を追うリリを引き留めようとすれば、駄々をこねられて面倒だから途中まで自由にさせてやろう。疲れれば諦めるし、見つけられれば子守を兄に押し付けられると。そしてまんまと成功したと。
「お前…。言いたい事は山ほどあるが、とりあえずリリを寝かせたい」
「はいはい」
リズが立ち上がると、長い栗色の髪がふわりと舞い、水色の瞳が煌めく。この妹も母の美貌を受け継いで美女として有名だった。ただイイ性格をしているので、男にはモテるが女友達は少ない。本人は全く気にしていない。美しく生まれた者の宿命よね…と、ニヒルに笑っている。頼むから母さん成分は似ないでくれ。
リズはリリをジュニアから受け取り、起こさない様に寝室に運んで行く。
元は父と母の新婚夫婦二人で住んでいた小さな家だったが、兄弟が増える事を見越して増改築がされ、庶民が住むには大きな屋敷になっていた。一人一部屋宛がわれているが、今後も増築は続くだろう。
資金の心配は無い。何故か政府要人に太客がいて、引くほど仕事を依頼してくるのだ。
それ合法な依頼ですよね?権力を使って他の業者の仕事奪ってきてないですよね⁈と、父さんは日々色々擦り減らしているが、我が家の財布は厚くなっている。
「おいリナ!頼むから走るな!安定期ってのは、安心して無茶をしていいって時期じゃないんだぞ⁈」
「あらやだジャック。これは競歩よ。これでも十分ゆっくりよ。両足のどちらかが地面についていないとロス・オブ・コンタクトって反則になるの。あと、前足は接地の瞬間から地面と垂直になるように膝を伸ばさないと、ベント・ニーって反則にもなるの」
「競歩のルールは聞いてねえ。そんな話じゃねえ。俺はジョージを抱いてるんだ、そんなに早くは歩けないんだ。俺達は夫婦なんだろ?頼むから共に同じ道を同じ時で歩んで行ってくれよ」
外から騒がしい声が聞こえる。見なくても分かる、両親だ。末っ子の四男坊を連れて定期健診へ行き、帰って来たのだ。
母リナは第一子である俺の頃から、マタニティーヨガなるものを筆頭に、積極的に運動を取り入れている。ある程度の運動は母子ともに良い影響があるらしいが、見ているこっちはひやひやする。
『ジュニア~、知ってる?ヨガって世田谷の、用賀の名前の由来なのよ~。鎌倉時代に道場が開かれたのがそうなんですって~。高い高い~』
『絶対知らないから。わけ分からん単語で幼児をあやすなよ。カマクラってなんだ。ヨガもセタガヤもヨウガも一体なんだよ』
『うふふ、パパは心配性でちゅね~。低い低い~からの英雄のポーズぅ!』
『英雄は聖剣を掲げても、幼児を頭上に掲げねえ!』
危ねえと、ジャックが慌ててジュニアを取り上げる。
そんな幼い頃の光景を思い出しながら、ジュニアは玄関のドアを開けた。
「なあ父さん」
ん?とジャックは振り返る。
自分の幼い頃そのままな、三男ジョニーがこちらを見上げている。
「母さんって、貴族が通う学校に行ってたって嘘だよね。だってアホだもの」
ジャックは変に締まった喉から、ぐっと息を漏らした。疑問形でなく確信の確認であり、堂々と母親をアホ呼ばわりしている。
子育ての難しさを感じながら、息子に視線を合わせてしゃがみ、その背後をちらっと窺う。
平和な食卓の光景だ。
妊娠中の母を気遣い、積極的に家事を手伝う次女リサ。次男ジャンが皿を食卓に並べ、四男ジョージをリナが膝に乗せてあやし、長女リズが並べられた皿にスープを注ぐ。三女リリはスプーンを持って待ち構え、ぶらぶらと床に着かない足を揺らしている。
「本当だ。お父さんと結婚したから、直ぐに自主退学したけどな。庶民が貴族の学校に通ったらどうなるかって、お試しにな」
「何でアホな母さんなの?すぐ辞めるような人で試しても意味ないじゃん?一人だけってのもおかしいよね。実験て複数の結果から確証を得るもんじゃないの?それ、意味があった事なの?」
どうやら妻の賢さは、しっかりと息子に受け継がれているみたいだ。幼児の語彙力じゃない。
「お母さんはアホなんかじゃないぞ。ただ、知識の使い方が斜め上に突き抜けて、いったっきり帰って来ないだけだ」
「ダメじゃん」
「どうしてリナが選ばれたのかは…、大人のどろっどろのぐっちゃぐちゃな陰謀とか策略があったからだ」
「ダメじゃん。母さんも、何で華やかな世界に入ったのに、ドブに捨てるような事やってんの」
ジョニーの疑問はもっともだろう。
「ダメダメな人ばっかりだったけど、リナがした事は大正解だとお父さんは思うぞ」
どこがと、ジョニーは胡乱な目を向ける。
「リナが学校に通い続けていたら、今の暮らしが無かったかもしれないからな。貴族社会に溶け込んで、お父さんは忘れ去られていたかも」
いや、例えリナが貴族社会に溶け込む事を選んだとしても、俺はリナと居る為に、居られるように、選んで貰えるように、全力を尽くすだけだ。
リナと居られない生活なんて、この子達が居ない生活なんて、想像もしたくない。
ジョニーからえ~と疑問の声が上がった。
「母さんが父さんを忘れるわけないよ。隙あれば、父さんと自分がどれだけ相思相愛か布教してくるもん。昼も夜もイロイロ仲良しだから、兄弟が増えるんだって言ってる人いたし」
「誰だうちの子を耳年増にしたヤツは。えっとな、お父さんもリナも今の生活が最高なんだ。ジョニー達と一緒に居られて、お祖父ちゃんお祖母ちゃん達とも一緒に居られる今の暮らしがな。みんなと一緒に居られないのなら、誰かに王様になれるよって言われても、別れないとタダじゃおかないぞって脅されても、俺もリナも、持てる力を尽くして搔き集められる限りの力を集めて、二度とそんな妄言を吐けない様に、バッキバキに折って粉砕して消滅させるよ。相手のプライドも存在も」
あはっと、ジャックはイイ笑顔で笑った。
似た者夫婦とはまさにこの事である。
ふーんと、ジョニーは母の様子をさり気なく窺う。
貴族の中で華々しく活躍するよりも、革屋の男と、その子供達と、平凡で騒がしく明るい家族を作る事を選んだ。
口角が上がりそうになるのを誤魔化す様に頭の後ろで手を組む。
「母さんはアホじゃなかったんだ」
母さんは、僕達のお母さんでいて後悔してないんだ。
「誰がアホだって?」
ひょいっと、ジョニーの足が宙に浮いた。
げっと振り仰いだその先には、にやりと笑うリナの姿が。
ジャックが苦笑いをしながら立ち上がり、母親に素直に甘える事が、恥ずかしくなる年頃のジョニーが身を捩る。
食卓には、リナからジョージを受け取った長男ジャック・ジュニアが、あーあと弟を呆れた様子で眺めている。
「ジョニーちゃんたら、最近構ってやれなかったからヤキモチ焼いてるのね。んもう可愛い。そのぷっくりほっぺたに、みたらしタレ付けて食べちゃいたい!」
カプカプと頬を甘噛みすると、ぎゃあとジョニーが暴れ…ようとして妊婦である事を思い出して、ぐぬぬと耐えている。
その様子をニヤニヤ笑いながら見る兄姉の視線に耐えられないと、顔を真っ赤に染めた。
「いい大人がキュートアグレッションなんて恥ずかしくないのかよ!」
「いい大人だからキュートアグレッションしたくなるんですぅ」
「なあリナ。子供に何を教えてるんだ。意味は知らないが、幼気な子供が発して大丈夫な単語か?」
やんやと騒ぎながらやっと全員が食卓に着いた。
これが毎日の光景だった。
「さあ、みんなでいただきますしましょう!」
よそのご家庭では聞いた事が無い『いただきます』だが、うちの子は疑問も持たずに声を揃えて両手を合わせる。
がっついて食べるリリの世話を焼くのはリズだ。ジャンとリサは、どちらが大きい方のパンを取るかでじゃんけんをしている。ジュニアはジョージを膝に乗せて、はいあーんと給仕をせっせと熟す。
観念したジョニーは、リナの隣でむすくれながらも黙って食事をしている。母の鬱陶しいウザ絡みも華麗に無視している。
「なあに、ジャック。愛しい妻の顔を貫通する勢いで見つめて。美人妻を見ているだけでお腹一杯胸一杯、勇気リンリン極楽浄土って?分かるわ。私も同じ気持ちよ」
うふっと、リナはぶりっこポーズをしてお道化る。
また始まったよと、子供達は一瞥もくれずに己の食事に集中する。
妻のうざったい愛情を夫がはいはいといなし、飽きもせずに繰り返す。生まれる前から繰り返されてきた日常風景だ。
「ん。幸せだなって」
そうジャックは柔らかく微笑んだ。
いつもと違う父の反応に、子供達は驚いて食事の手を止めた。
恥ずかしいが勝って、素直にならないあの父がと。
寸の間リナも呆気に取られるが、普段のうざったさなど嘘のように、直ぐに無垢な笑顔を浮かべて返した。
「私も」
こっちがテレるわと、子供達は頬を赤らめたり視線を逸らしたり、マイペースに食事を再開する。
ジャックは穏やかな幸せに満ち満ちたこの時間が、永遠に続けばいいなと願う。いや、父として夫として、家族を守って幸せにする。
明日になったら、リナは我が道を暴れ馬に腕組み仁王立ちでライドオンする勢いで爆走するだろう。
そして自分はそれに振り回され、それも悪くないと思ってしまうのだ。
リナとジャックは飽きもせずに微笑みあっていたのだった━━━。
「うわー!リリがスープ零した!」
「ジョージ!それはお前はまだ食べられないんだ!ペッしなさい!ぺっ!」
「これカロリー高いからリサにあげる」
「お姉ちゃんそれ、自分が嫌いなだけじゃない」
「リリのお洋服がリリのスープ食べちゃった~!」
「…お前達、ちょっと落ち着きなさい」
リナとジャックと、子供達との騒がしく愛しい日々は、こうして続いていく。
おわり
本編はこれにて終了です。ここまで読んで下さってありがとうございました。
短編を書き上げたあと、ここはこうだったらと思う部分を加筆して、連載形式にまとめ、読者の皆様の力も借りてここまで書き上げる事が出来ました。
本当にありがとうございます。
このあとは少し閑話を載せる予定です。




