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18.ショーン・トク

 



 リナがなんやかんやしている頃。


「これはショーン・トク卿」


 フィリップ・ウッドストック宰相は王宮の大廊下で、この国の最高裁判所長官ショーン・トクと偶然鉢合わせていた。

 最高裁判所の長官は、裁判官全ての長であると同時に、司法行政事務を行う裁判官会議を統括する。


 名実ともに法の番人。

 しかもその家系は代々法曹界に縄張りを置き、実力も権力も折り紙付き。

 次の司法大臣候補に名を連ねている、大物中の大物。


「偶然ですね」


 フィリップはにこやかに微笑んだ。

 この国の平穏を守る者同士、そして無視できない重要人物として、親交を深めておいて損は無い。


「偶然では無いですよ。待ち伏せしておりましたから」


 挨拶を無視して、ショーンから放たれた言葉にフィリップは一瞬思考停止した。が、すぐさま再起動する。


「そうでしたか。私に何かご用が?」


 フィリップよりも小柄で、丸々としたショーンがじっとこちらを見上げている。この容姿通りの、凡庸以下の男なら警戒も何も必要ないが、その通りで無い事はよくよく身に染みている。


 一体何だと、笑顔の裏で身構える視界のすみで、柱の影からこちらを、血相を変え慌てふためき見る若者がいる。

 あれは誰かと聞く前に、ショーンが再び口を開いた。


「リナ・アボット嬢の件ですよ。彼女のフランク学園編入は、法に抵触する恐れがあります」


 リナ・アボットと聞き、フィリップの血流が一気に加速した。

 あの小娘は、何処までも私の邪魔をする!


「彼女が何か?学園の勉強についていけない事を、よもや国のせいだと…」


「リナ・アボット嬢は結婚なさっているでしょう。正確にはリナ・キュリー夫人とお呼びした方がいいですな。婚約までは許可されていても、在学中の結婚、または既婚者は学園に入学できない規則を、まさか宰相閣下がご存じない筈はありませんよね」


 噛み合わない会話が、フィリップの喉笛に噛み付いた。


 どうしてそれをと、音にならず口だけが動く。

 貴族の婚姻ならショーンが把握していても不思議ではないが、有象無象の庶民のそれまで把握するなんて無理だし、必要も無い。


 低年齢での結婚は倫理に悖るうえ、政略結婚による権力の一極化を防ぐ為、フランク学園への入学を希望する者及び、在学中の者は結婚を禁じられている。もし、どうしてもと望んでも、王族だろうと入学拒否や、退学を命じられる。


 入学は自由なので、希望しなければ関係無い話だが、フランク学園を卒業していない事は、創立者である当時の国王や、名誉理事長である現国王に反意ありと見做され、さらに歪曲されて、国家反逆罪を疑われるまでに発展する。または、入学を拒否されるような重大な瑕疵があるとされ、貴族社会で事実上の死刑宣告を受けるに至る。


 よっぽどの事が無い限り、入学しないデメリットが大き過ぎる。


「それは、確かめる手段があるのですか?庶民は我々と違って、婚約式も、宣誓書も書きません。碌に管理もされていない教会で、適当に署名をして済ませるそうではありませんか。そんなもの結婚と呼べるのですか?それに、それは、貴族に対しての規則でしょう。彼女は庶民です。該当は致しません。それにそれが事実であれば、彼女まで処罰の対象になってしまいます…」


 はああと、盛大な溜息が響き、フィリップの会話を遮った。


「この期に及んで、何を下らない言い訳をしているのです。宰相閣下とあろう者が」


 なっと、フィリップの政治的な笑顔が剥がれた。

 ひいいと、柱の影から悲鳴も上がる。


「まず、彼女、便宜上リナ・アボット嬢と呼ばせて頂きますが、彼女の結婚は正式なものです。貴族の格式と伝統を重んじた結婚様式と違うからと、庶民の結婚のそれを否定するのは、どうかしていると思います。リナ・アボット嬢の結婚には、教会の神父と父親が立ち会っています。署名にも問題がない、正式な婚姻です」


 怒りか、驚きか。身動きひとつせず、フィリップから反応が無い。

 遠慮なくショーンの言葉は続く。


「次に、結婚を禁じる規則について。確かにこれは貴族を対象としたものなので、リナ・アボット嬢に当てはまるかはグレーと言えるでしょう。しかしこれは貴族しか入学しない事を前提にした、大変浅慮なもの。今後庶民の学生を増やしていくとすれば、見直しが必須。庶民でも、庶民だからこそ、貴族の思いのまま政治利用される可能性がありますからな。その第一号であるリナ・アボット嬢が、不正入学すれすれだなんて、お話になりません。教育改革そのものの在り方の問題を提起しても、それで彼女を処罰するなど、見当違いもいいところ。そして貴族では当たり前のこの規則を、彼女は知らなかった、知らせなかった。それを利用して、入学に気乗りで無い彼女に、拒否されたらたまりませんからな」


 しかしリナは、それを知らなくてもジャックと結婚した。宰相の邪な考えを察知したのか、ただ単に春の到来時期がやって来たのか。


 リナは夫を支えたいので、学生生活と主婦業の両立は無理だと、入学前にフィリップに訴えていた。が、それは隠蔽される。


「あなたはそれを知りながら、教育改革と言う名の、ご自分の野望を実現させる為、個人の幸せを否定し、旧姓での入学を強要し、職員に知られる事を恐れ、接触も極力無い様に命じた。同じ貴族として、恥ずかしくてたまりません」


 嫌悪感を隠しもしないショーン。

 野望と聞き、フィリップがそれを呟く。


「あなたは本当なら、ご自分の娘を殿下に嫁がせたかった。しかし実際にはご子息が一人きり。親族に見合う年齢の子女もいない。そこで考えた」


 養女を迎えるにしろ、同じ貴族同士では後に権利を主張されるなど、遺恨が残る可能性がある。

 なので、都合が悪くなれば、いつでも切り捨てられる庶民を使う事にした。ただの庶民ではなく、小綺麗で見栄えがする者を。でもまさか、養子にするなどあり得ないから、後見人止まりだ。


 それをエドワードへ投入する。狙いは…愛妾の地位だ。


 リナ・アボットがフィリップの傀儡として育てば、判で押したかの様に育った貴族令嬢の中で、異彩を放つ彼女に興味を持つ事は容易く想像がついた。


 エドワードは幼い頃から、自分より優秀な者と比較される事を嫌っていた。それは万人がそうだが、エドワードはそれを冗談や社交で受け流せない弱い部分がある。

 だがリナ・アボットはどんなに取り繕おうと、エドワードより『上』の立場になる筈が無い、圧倒的弱者。彼は己の自尊心を満足させる為に、積極的に交流を重ねる。


 さらに、自分の息子トマスを、エドワードの婚約者アウリスの友人…将来的には愛人にする。その足掛かりに、トマスをアウリスの家庭教師にしたのだ。


 いくら天才と呼ばれようが、子供に同じ歳の子供を家庭教師として宛がうなど常識的に無理がある。


 娘に甘いラマルティーヌ公爵は、アウリスが気に入ったのならと、遊び仲間が出来た程度に考え、教育はまた別の者に任せればいいと思っていたのだろう。アウリス自身が、幼少の頃よりトマスに負けず劣らずの天才肌だったので、公爵は悠然としていた。


 一瞬の仲違いもあったそうだが、ふたりはその後順調に親交を深めていった。


 美しく賢く育ったトマスと、精神面で弱点があり、庶民の小娘に夢中になる婚約者とでは、アウリスがトマスを真に愛するのは当然の流れだ。


 その過程でエドワードとアウリスの仲に亀裂が入っても問題ない。むしろ歓迎だ。王家と公爵家の結び付きが、これ以上強くなる事を、フィリップは望んでいない。


 破談にでもなれば、自分の息のかかった貴族の娘を新しい婚約者にすれば、ウッドストック家の地位はさらに盤石になる。


 だがふたりはそこまでは愚かではない。義務である以上、結婚しなければならないと理解している。

 仮面夫婦が癒しを求める先は、幼少の砌より共に支えあったトマスと、優しく甘い言葉を紡ぐだけの小鳥。


 王と王妃、国の両翼をウッドストック家が掌握する。


 宰相などと崇められながらも、国に都合よく利用され、馬車馬のような扱いを受けていたウッドストック家が、このフィリップこそが、真の王者としてガロリア王国に君臨するのだ。


 ━━━と。フィリップの妄執と妄想だ。


「しかも王は、エドワード殿下可愛さで、それを察しながらも容認している。名誉とは言え学園長の王が、特別も特別な生徒の事を把握していない訳がなく、国王に愛妾がいるなど珍しくもなければ、跡継ぎを生みさえすれば、王妃の浮気も見て見ぬふりをされますからな」


 ふうと、ショーンが息継ぎをした。


 情報が、恐ろしく正鵠を得ている。

 何をどうやってと聞くのは馬鹿がする事。

 自分から墓穴を掘ってどうする。


「…トク卿。妄想も大概にしないと、ご自身のお立場を揺るがす事になりますよ?次期司法大臣へと推す声があるそうではないですか。それにご身内も、多くが政権要職に就いておられる。あまり不用心な発言は…」


「さすが厚顔ですな、宰相閣下。それは、脅しにも何もなっていませんぞ。殿下達の人間関係はともかく、幼い頃のリナ・アボット嬢連れ去り未遂事件の犯人が、あなたの配下だったとウラは取れているのです」


 は…?


 喉笛に喰い込んだ牙が更に深く深く、フィリップの喉を抉る。付け焼刃だと、簡単に引き剥がせると思っていたのに。とっくの昔に闇に葬った過去を掘り起こして、フィリップの政治生命を確実に奪いにやって来ている。


「何を…」


「私を誰とお思いで?あなたが小金を握らせて放逐した使用人。それが元主人の裏工作で無期限の刑務所行きとなっているぐらい、調べれば直ぐに分かるのですよ」


 その者がリナ・アボットを襲った者と同一人物である証明は、案外簡単に取れた。

 男は、囚人仲間に宰相の陰謀でこうなったと散々愚痴り倒し、それは看守の耳にも届いていたが、囚人が自分の罪を誇張して吹聴する事や、司法取引をする為に、信憑性も無い発言をする事は日常茶飯事で、聞き流されていたのだ。


 しかし、謎の圧力の介入に気付いたショーンが事実確認を行うと、宰相権限で一人の犯罪者が処罰されていた事、有無を言わせず━━━裁判すら行われず━━━無期懲役になっていた事が判明した。


 これは、ショーン達の領域を、法の番人に対する最大の侮辱である。

 何の為に法があり、何の為に裁判官がいるのか。全ての法曹界の人間に喧嘩を売ったと言っても過言ではない。


「しかし事が事です。宰相閣下、これは恩情ですよ。『幼子を襲い、その実行犯一人に罪を着せ、事実を隠蔽した宰相』として裁かれるか、『教育改革を焦るばかりに、規則の穴をついて、無理な編入をさせてしまった宰相』として、罰則程度で済まされるか、選ばせて差し上げようと言うのです。殿下達の愛妾云々は、証明しようがありませんし、罰する法もございません。それは個人の問題で、私は法に触れない限り、人の愛のあり方を捻じ曲げようとは思いませんから」


「貴様…っ」


 びりびりと空気が震える。怒りで表情を歪ませるフィリップを、痛くも痒くもないとショーンは見上げる。柱の影で悲鳴が上がる。


「何が目的だ!私を脅して!まさかリナ・アボットが何か企んでいるのか⁈法の番人が、リナ・アボットひとりの為に、スキャンダルの隠蔽工作か!傑作だな!」


「脅す?馬鹿を仰い。リナ・アボット嬢がきっかけですが、これは彼女の為云々で済ませていい問題ではないでしょう。罪の隠蔽、権力の悪用。しかし宰相をそれで裁けば国内外は大混乱。他国に付け入る隙を与えてしまう、だから最小限の裁きで済む様に提案しているのですよ。法の番人であると同時に、国の安寧を守る者として。こんな所業、私の立場ではありえない事とご理解いただけませんかね?私は自分の進退をかけて申し上げているのです。宰相閣下、どうしてリナ・アボット嬢にそこまでムキになるのです」


 ああと、ショーンはぽんと手を打った。


「そう言ったご趣味でしたか。う~んまた別の件で立件を…」


「失礼する…!」


 みなまで言う前に、フィリップはショーンを押し倒す勢いで、猛然とその場を後にする。すれすれでそれを避けたショーンは、ふい~と額の汗を拭った。


「仕事以外で喋ると疲れますな」


「長官~~!」


 柱の影で震えあがっていた人影が、半泣きになりながら、フィリップが去るなり踊り出て来た。ショーンの部下、オルノー・イホッコ裁判官だ。


「オルノー君。あれどう思う?裏工作に行ったのかな。囚人は別の施設に移したし、証言や証拠の管理も徹底しているし、フランク学園には警備を増やす様に手配した。あっ、陛下にそれとな~く匂わせたの言ってませんでしたな。ま、いっか」


「良くないですよ!なんで穏便に済ませようとしないんですか!長官の力があれば、宰相閣下を刺激せずに、釘を刺す事だってできたでしょう!」


「え~それは…」


 ショーンはぐっと拳を握って、突き上げた。


「全ては聖地の平和を守る為!もたもたしていたら、リナぽんが辛い思いをし続けなければならないじゃないか!リナぽんとジャックたんの幸せが、推しの幸せに繋がる。則ち世界平和!」


「長官⁈」


「推しを苦しめる者万死に値する!推しを推して参れないなど、我々は生きる術を取り上げられたも同然!」


「ご趣味のあれの話ですか⁈えっ趣味の充実の為に政権を揺るがす事件を発覚させたんですか⁈」


 ショーンの趣味は広く認知されていた。しかし、こうだとはさすがに伏せられている。 

 全裁判官の信用が揺らぐから。


「動機はそうだが、調べてみたら我々の法服よりも真っ黒な汚れがあったのでな。推しのお目汚しにならぬ様、洗濯し候。ついでに国の為になる」


 ついで⁈とオルノーは何度目か分からない悲鳴を上げる。


「結局趣味じゃないですか!公私混同私利私欲ですよ!どうするんですか、政権は大混乱になりますよ。宰相の足元を掬おうとしているヤツなんて、ごまんといるんですから!裁判官の領分をはみ出しまくりですよ!」


「辞表は書いてある」


「これでゆっくり趣味に熱中できると思っているでしょう⁈」


 ふふーんと、吹けもしない口笛の仕草をして明後日の方向を向く。

 いや、させねえよ?あなたが招いた混乱だろう?とオルノーはショーンを睨めつけた。


 しかし実際のところ、そうはならないだろう。


 隣国の中で、最も教育が進んでいるのはアケメケア帝国。そのアケメケアに敵対心を燃やしているガロリア政府としては、身内同士の蹴落とし合いで、体面を傷付け合って恥を晒すよりも、適度に宰相の名誉を傷付け、時期を見計らっての穏便な政権交代を望む。


 醜い争いで新体制を発足しても、信頼性は低くなるだけだし、禍根を残し、今度は自分達が蹴落とされる立場になるから。


 リナとジャックは、自分達の結婚を公にする事で、宰相は結婚を理由に編入辞退をする少女の意思を、国政を優先して無視したと、批判が流れる程度の影響だと想像していたが、実際の所、色々事情が複雑に絡まり、大大大事に発展する案件だったのだ。


 現在進行形でそれが行われている事に、ショーンもオルノーもまだ気づいていない。


 だからのんびりとこんな会話を出来ているのだ。


「しかし宰相閣下のリナぽんへの執着、あれはなんですかな。変態性を感じますぞ。腹黒で変態でロリコンなんて、別の意味でもオワタですな」


「知りませんよそんなの。おちょくられてムキになって引っ込みがつかなくなって、自爆して訳が分からなくなってる子供じゃあるまいし、何か深い訳があるんですよきっと。宰相にまで上り詰めた男ですよ?そんなやっすい理由で無い事は確かじゃないですか」


「そっかな~。案外そんな単純な理由かもしれないぞ。私だったら、推しが馬鹿にされたら解釈が一致するまで話し合い洗脳する所存」


「洗脳、言ってますよね⁇」


 二人の不毛な会話が続く。

 フランク学園は大混乱に陥り、緘口令を敷く為にフィリップ宰相及び官僚は大慌て。その混乱を収める為にショーンも奔走する事になる。

 その実績で、ショーンのあれこれは不問とされ、つまり不問にするから何も喋るな騒ぐな暴走するなという事だが━━━とりあえず、表面上は何事も無く収束する事になる。


 庶民の教育改革が今回限りで白紙になり、宰相はじめとする高位貴族は混乱し、国王の信頼が揺らぐ事になるが、女神の如く崇められるとある公爵令嬢が、なんやかんやご都合よく、丸く事を納めるのは、また別の物語だ━━━。






 その波乱の使者が、大廊下を大慌てで駆けつけてくるまで、カウントダウン……










次回最終話です。




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