13.キュロス
図書館を追い出されたリナは、上の空で小径を歩いていた。
周囲は緑の芝生が生い茂り、燦々と日が降り注ぎ、気持ちのよい散歩日和だったが、リナにそれを楽しむ余裕は無い。
(ジャック、ドンピシャだったよ。さすがジャック、ノストラダムスもビックリな預言者ね!)
ぐっと拳を握って、リナはひとり惚気と言う名の現実逃避をした。
のが、悪かったのか。
リナはナンパされていた。
「ねえ君編入生でしょ?かわいいね~」
「殿下達に擦り寄ってるってマジ?」
「どーせ高嶺の花なんだからさ、俺らと遊ばない?」
下位貴族の子弟がリナを取り囲む。
俺はどこそこの~、あの貴族の親戚で~、と名乗られたが、全く入って来なかった。覚える気が無いので別にいい。
こんな素晴らしい散歩日和に、全く解決していない問題を抱えている時に、どうしてモブABCの相手をしなければならないのか。
そう言えば、ジャックが言い寄られる的な事も編入前に言っていたな。そんな所まで的中させるなんて、ジャックったら凄い。私のジャック凄い。
「ねえ?聞いてる?」
ジャックに想いを馳せ現実逃避していたら、モブが徐に肩に触れてくる。さらに距離も詰めてきて、完全に逃げ道が塞がる。
貴族の令嬢には間違ってもしないだろう。所詮庶民だから何をしてもいいと思っている。
普段押さえつけている嗜虐心を、ここぞとばかりに発散させようと。
(舐められたもんね。こっちは長年、腹黒変態ロリコン宰相の相手をしてきたのよ。あんたらなんて、盛りがついた猫チャンより可愛いもんだわ)
今こそ金てk…の出番だと、リナは踵をそっと地面から持ち上げ…た時。
「なあ、なにしてんの?」
その声が聞こえた途端。周囲の音が止まったかの様な感覚に陥った。
全てを支配下に置く、覇者の気が場を満たす。
まさかと、我が耳を疑った。
困っている所を助けられる何て、ベタなヒロインシチュエーションにもだが、その声の持ち主があり得ないと、冷や汗が全身から噴き出す。
声がした方向を見やる。
樹木が小径の上に枝を伸ばし出来た影の中に、ひとりの男が立っていた。
学園の生徒ではない、若い男だ。
全身真っ黒なスーツ姿で、外来客にしては、生徒が利用するエリアに居る事に違和感を覚える。
凶暴な雰囲気を纏っているのに、相対し気品も感じるのは何故だろう。
尊大な立ち姿なのに、一分の隙も無く堂々としているからか。黒く長い前髪から覗く、血の様に赤い瞳のせいか。
「誰だ、お前」
「ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「出入りの業者か…?」
モブABCは見下す様に黒い男性に言うが、表情は硬いし、尻込みする様にじりっと後ずさる。草食動物が生存本能で怯える様に。
「なあ、なにしてんの?」
もう一度男が言った。事務的な、事実を問うだけの感情の籠っていない言葉。
その視線はモブ達に向いていない。ずっとリナを見ている。それにさえ緊張で気付かないのか、モブABCはうっと言葉に詰まっている。疾しい事をしている自覚はあるのだろう。
さあっと風が吹いて、黒い男の前髪が揺れて、顔がはっきりと見えた。
彫刻のような彫りの深い美しい顔立ち。黄金比のお手本のようだ。真っ赤な瞳には、目の前の有象無象には興味が無いと、熱が無い。
その凶器のような美貌が、こちらに向けられている。
「なんでもねえよ!」
リナの肩を掴んでいた手が乱暴に離された。ひとりが踵を返すと、また一人二人とそれに続いて逃げ去って行く。
狩る者の牙が垣間見えて、恐怖に耐えられなくなったのだ。
草食動物が逃げ去ったあとに残されたのは、食いかけの雑草。逃げる事も隠れる事も出来ない哀れな徒花。
(何で、どうして…)
絶対王者は逃げた獲物には一瞥もくれず、リナへ悠々と歩み寄ってくる。踏み潰す寸前で立ち止まり、感情の無い瞳で見下ろした。
「リナ・アボットだな?」
リナは心の中で絶叫した。
(何でアケメケアの皇太子がここにいるのよ⁈)
キュロス・アケメケア・ギョーム・ゾディアック。アケメケア帝国の皇太子で、攻略対象者を全員攻略すると現れる隠しキャラが、目の前に居た。
転生乙女ゲーム界隈において、隣国の皇太子とは重要な役割を果たす。
ある時は、断罪されて自国にやって来た悪役令嬢を保護し、ある時は、断罪の現場を目撃し救いの手を差し伸べ、ある時は、利害一致して協力関係になり、やがて恋愛関係に発展する。
そして、悪役令嬢を理不尽に断罪した元婚約者達や、悪役令嬢から婚約者を奪ったヒロインを地獄に叩き落す。
隣国の皇太子は、悪役令嬢にとって絶対の正義なのだ。
(どうしてキュロスがいるのよ⁈あんた隠れキャラじゃないの⁈なに堂々としちゃってるのよ⁈)
ヒロインのリナにとって、悪役令嬢が第一の天敵なら、第二の天敵とも呼べる皇太子の登場。
出来るものなら飛んで逃げたい。
「そうですけど…あなたは?」
平静を装って尋ねる。
「お前、アウリス・デ・ラマルティーヌとどういう関係だ?あいつからの手紙で、何の脈絡もなくお前の事を宜しくだの、出来れば俺とはいい友人でいたいのだの、二人の関係を応援するのだの、意味不明な事を言われたぞ。会った事も無い小娘との仲を、口説いている女に邪推される程不愉快な事は無い。お前、半端に回る頭で何を企んでいる?」
(お前も人の話を聞かないのかよ!)
キュロスからしたら、取るに足らない雑草の話を聞く理由が無いのだろう。聞かれた事にだけ答え、それ以外は発言するなと。雑音を撒き散らすなと。
その俺様っぷりはゲーム通りだが、トマスの発言と共通する内容や、アウリスに言い寄ってるやら、どう考えてもコイツも、悪役令嬢に攻略されているとしか思えない。
王族に準ずる立場とは言え、どうやって他国の皇太子とそれ程の仲になったのか。それも転生悪役令嬢チートというやつなのか?
(アウリスめ、こっちでもやらかしてるのかよ!)
そしてどう答えたらいい。
それが知りたくて今さっき、トマスと起こしたくもないイベントを起こして、混沌を混沌で煮込んで来た所なのに、その私に何を求めているのだ。
何もしてないって答えても信じないでしょ?
キュロスは口籠るリナを見下ろす。
不敵に笑うと、尊大に腕を組んだ。
「そう簡単に口を割らないか。その程度の知恵は回ると。さすがは特別な生徒様だ。来年度の留学が楽しみだ」
は?留学だと?
確かにキュロスはフランク学園へ留学するが、それは身分と出自を隠した極秘のもので、王を筆頭に政府高官さえ欺いた。
アケメケア帝国の高位貴族の子息、ギョームと名乗っていたのだ。
そこまでして、ガロリア王国の教育改革を探りに来ていたのに、名乗ってはいないとは言え、こんなに堂々としていたら、正体を明かしているのと同意だ。
もしかしなくても、その留学の正式な手続きに来たのか。堂々と皇太子キュロスとして。
それだけ両国間の仲が良好だと、前向きに政治的に捉えるには、アウリスを口説いてる発言を聞いた後では全く思えない。
お前正々堂々と、アウリスを口説いてイチャつきたいだけだろ。
あわよくば、自分の妃にしようとしてるだろ?
そんな色ぼけ王子だったっけ?
ヒロインを政治利用した上、使い捨てようと近付き、しかし純粋に学べる事への感謝と、喜びを語るヒロインの姿に毒気を抜かれ、命を助けた際には、自分の行動ひとつひとつが、人命に直結するとまざまざと感じ、『どうして俺が、他人の運命まで背負わねばならない』と言う思考を捨てる。尊い命を救えた事、その力を与えられた喜びは、何物にも代えがたいと考えを改める。
玉座に就く者の責任と、誉を理解したのだ。
そして皇太子の立場を強く自覚し、ヒロインを深く愛する様になり、人民を守る立場でありながら、それを害そうとしたアウリスに憤慨し、断罪する。
のに、完全にアウリスにデレている。
(悪役令嬢、チートかまし過ぎじゃない?進捗良すぎじゃない?オーバーワークじゃない?)
正規の攻略対象者に加えて隠しキャラまで。
転生する時に、ジャコウネコの能力でもオプションで付けたのだろうか。会う人会う人が自分に惚れて、盲目的になる、ヤバイ臭を醸し出す仕様になったのだろうか。
そんな悪役令嬢、イヤだ。
キュロスは虚無の表情で固まる、リナを見下す視線をすいと逸らした。
一体何だと、その視線を追う必要は無かった。
風に乗って菫の香りが鼻を擽る。キュロスが目元を和ませ、口角が僅かに上がった。まるで世界で一番大切な存在を見つけたと、そう言っているかのように。
「ふっ…。俺のお姫様が悋気を起こしているようだ。話はまた今度にしよう」
キュロスは一方的にそう言うと、現れた時と同じように堂々と、そして逃がしはしないと眼光をリナに突き刺して、背後の木陰の方へ歩いて行った。
背後からがさっと下草を踏む音と、慌てて逃げ出す足音が。つられて振り向くと、菫色の髪が翻るのが見える。
キュロスはその後を悠々と、楽しそうに追って行った。
「トマスを撒いて、また戻ってきたのかしら。体力まで恵まれてんの?まじチートじゃない」
気配が完全に木陰の向こうに消えて、やっと動悸が落ち着く。
なんて日だ。攻略対象者二人と一触即発なんて、初期好感度上げすらままならないヒロインには、荷が重すぎる。上げる気もないからなおさらだ。
「これで攻略対象者、全員に会った事になるのね」
攻略対象者達は勿論、生徒達、ナンパされたモブ。悉く整った顔立ちをしている。煌びやかな乙女ゲームの世界には引き立て役でも、それなりの容姿が標準装備。
そして、それに実際に触れ合ってみて。確信した。
私は、攻略対象者にも、その他のキャラにもときめかないと。
編入前に危惧していた、ヒロインの恋愛脳が作動して、恋に浮かれて暴走━━━なんて心配していた自分が馬鹿らしいくらいに、まっっったくときめかない。
アウリスが大切で愛おしいのは分かったよ。
悪役令嬢に転生して、断罪される事に怯えているのも分かる。
でもさ、それって、あなた達のコミュニケーションがちゃんとしてれば、カタがつく話だよね?
ねえ何で、言葉を交わして意思疎通しないの?
愛と絆を深めても、お互いの真意が通じ合ってなきゃ意味無くない?
長年連れ添っているから、これくらいの事は言わなくてもわかるだろ?と、すれ違いにも気付かずに会話は減り、心も離れている事に気付かない熟年夫婦でもあるまいし。
しかしアウリスは、全攻略対象者とガンガンにフラグを立てて、一体誰と結ばれるのだろう?
隣国の皇太子まで名乗りを上げたのなら、婚約者とすんなり結婚、なんて穏便に着地するか疑問だ。
婚約者のエドワードとは政略結婚ゆえ、憎くは思っていなくてもそれが愛に至っていないので、結ばれたいとは思えないのか。
アルモは義理とは言え弟、家族愛以上に発展はしないのか。
ライオネルとトマスは幼馴染以上恋人未満?近い環境で育つと、恋愛対象として見れなくなると、聞いた事があるような。
キュロスとなんて問題外だ。エドワードと婚約破棄をして、今度は皇太子に乗り換えると?下手したら戦争が勃発する。それでも愛してしまったら、彼の手を取るのか。
まさかハーレム狙いと思われている…?
ふざけんな。私にはちやほやされたい願望何てない。『恋する貴公子達』にそんなエンディングもないのに。転生リナはそんな無理無茶無謀、相手の気持ちを弄ぶような行為をする人間だと、思っているの?
悪役令嬢は、婚約者のエドワードとも結ばれず、みんなに嫌われると信じ込み、私が満遍なくイベントを起こして、イケメンを選り取り見取りして、いつ断罪されるのかと、不安に心を引き裂かれていると。
「ジャックに会いたい」
なによ、あんた達。
勝手に想像して、そうだろうって決めつけて、私がどうしたいかなんて全然圏外じゃない。
アウリスは断罪回避の為と言って、婚約者以外の男と仲良くしてるじゃない。それは棚に上げて、私がオトモダチに近付くのは、泣く程嫌ってわけ?
━━━ああ、私、いま凄く嫌な女だ…。
悔しい。悔しい。悔しい。
ヒロインだからと、現実を見れずに攻略対象者と愛を育めると思い込んでいる、恋愛脳内お花畑ヒロインと思われている事が。
悪役令嬢は断罪されるもの、と言う運命に抗っているのなら、ヒロインだってお膳立てされた恋愛劇場から抜け出そうとしていると、どうして考えてくれないのか。
攻略対象者が魅力的だから、だから恋してしまうと?
━━━ジャックに会いたい。
お前は大丈夫だよと、抱きしめて貰いたい。
でも、こんな醜い思考に囚われている自分を、ジャックの傍に立たせたくない。
矛盾している。でも、会いたくて会いたくない。
今の私を見て、ジャックは私に好きと言ってくれる?
相手の苦悩を理解した風を出して、自分の不幸と比べて、どっちが正しいか明らかにしないと、安心できなくて。私、すっごい嫌な女。
イヤだ。そんな私をジャックに見せたくない。もしジャックに失望されたら、私は立ち直れない。
勘が鋭いジャックなら、卑しい私の内面を、直ぐに見抜いてしまうかもしれない。
それでも…。
今とても、ジャックに会いたいの━━━。
リナはくしゃっと顔を歪ませて、それを両手で覆った。
その背後を、はへぇはへぇと息を乱したトマスが、「アウリス嬢どこですか~?」と、か細く呟きながら、生まれたての小鹿の如く足取りで通り過ぎる。
気になる。超気になる。
おま…、何でそこで立ち止まる。中途半端な所で力尽きるなよ。ほら、ちょっと行ったらベンチあるから!
━━━なんちゃってヒロインには、シリアスに浸る暇も無かった。




