12.トマス
フランク学園四日目。
私は学園内の図書館に来ていた。
地下二階、地上三階建ての巨大な建物。
貴重な書物を大量に所蔵する事はステータスになるらしく、古今東西の貴重な書物が、所狭しと書架に並んでいる。
入ってすぐのエントランスは三階まで吹き抜けで、圧迫感と閉塞感を感じさせない作りになっている。
ここは攻略対象者、トマス・ウッドストックとのイベントが発生する場所だ。
宰相令息である彼は、未来の国王の側近候補として、誰よりも優秀でなければと、強迫観念に囚われている。
しかし父親は教育改革の重要人物、ヒロインに夢中。アウリスからはそれを、お前が不甲斐ないから、期待されていないから、愛されていないからと散々扱き下ろされるが、プライドが邪魔をして誰にも相談できないでいた。
その心の憂いを晴らしたのが、原因のひとつヒロイン本人だったのだから皮肉なものだ。
嫌味ばかり言い、ヒロインの存在価値を疑い続けていたトマス。しかしヒロインは臆することなくトマスに向き合う。
交流していくにつれ、ヒロインが選ばれた理由を知り、心に芽生えた温もりを自覚するトマス。
本当の意味での『優秀』さを知る為、ヒロインに願うのだ。愚かな私を隣で支えてくれないかと。君がいれば私は、正しい道を歩んでいけるからと。
館内は、数名の司書がぽつぽつと居るくらいで、殆ど利用者の姿はない。
ヒロインと攻略対象者のイベントが発生する場所だから、人目があったら盛り上がるものも盛り上がらないと言う配慮か。超いらねぇ。
同じような景色が続くが、記憶通りに館内を進み、お目当ての場所に無事辿り着く。
ステンドグラスが光を受けて、複雑で美しい模様を室内に映し出している。
実用性を重視して、華美な装飾を取り払った椅子と机。そこで静かに本を読んでいる貴公子は、まるでステンドグラスに描かれた、神話の神が降臨したかの様な荘厳さだ。
トマス・ウッドストック宰相令息。その人。
肩につく水色の髪は、菫色のリボンで括られていた。リナとは似て非なる、眼鏡の奥の叡智を宿した碧い美しい瞳。
そこまで集中していないのか、目新しさの無い内容なのか、肘をつき掌に頬を乗せて本を読んでいる。その気だるげな仕草さえ様になるのだから、攻略対象者はずるい。
「人の読書を盗み見とはいいご趣味ですね。リナ・アボットさん」
「声を掛けるタイミングを窺ってただけです」
リナの視線に気付いたトマスは、迷惑そうにこちらを見上げる。
むっとして、リナはトマスに近付く。
今日は目的があって、鬼門であるトマスをわざわざ訪ねて来たのだ。我慢だ我慢。
昨日、ジャックと話していた内容が事実かどうか、悪役令嬢の友人であり、攻略されているだろう、トマス本人に聞くのが手っ取り早い。
あと、こいつの父親には色々と鬱憤が溜まっているのだ。多少の愚痴くらい聞いて貰おうじゃないか。
机を挟んで向かい側に立つと、トマスは読んでいた本を閉じる。席を薦める気はないようだ。
「何の御用でしょう。学業に関する事でしたら、私でなく父に伺ったらどうですか?随分と親しい間柄なようですし、親密に熱心に、相談に乗ってくれるでしょう」
嫌な感じだ。ひと気が無いとはいえ、誰もいない訳ではないのに、リナと父親の怪しい関係を匂わせるなんて。
父親への不信がありありと伝わる。
やーいやーい、息子に信頼されてねーの!
反応したら負けだ。他の攻略対象者にも関係を怪しまれているのに、実子であるトマスの前で、掘る必要もない墓穴を掘るマネはない。
あんたの父親は単に、下に見ていた小娘を思う様に扱えず、そのうえ生意気にも抵抗してきたのがプライドを大きく傷つけて、最終的にプッツンして、やけくそになっただけだから。
裏も表も中身も何も無いから。変に勘繰らないでよ。こっちは、ありのままの姿見せているのよ。
「宰相閣下とは、編入前に少し話し合いをしてから、なんの音沙汰もありませんよ」
「一体宰相である父をどうやって篭絡したことか。その手練手管は、将来国政を担う者として興味が無い訳ではありませんが、愛しい国民の前では身も心も清廉潔白でいたいので、聞かない事に致しましょう」
人の話聞けよ。将来国政を担う者。
あとその愛しい人って限定だろ?某公爵家のお嬢様だろ?
やれやれと嘆息を吐いて、眼鏡をくいっと押し上げる。
ムカつく。異様にムカつく。
あの宰相の息子だからか、これまでのストレスが溜まっているからか、異様にむかっ腹が立つ。
とりあえず、一発殴らせてくれないかしら?
いや駄目だと、リナは心の中で、自分で自分の拳を押さえて下ろす。
実際の表情はなるべく温和に、あくまで話し合いをしに来たと浮かべて。
「単刀直入に窺います。私はアウリス・デ・ラマルティーヌ公爵令嬢様に、何かご不快を与える事をしていますか?」
昨日ジャックと話していた仮説が本当なら、おおいなる誤解が生じている事になる。
リナと攻略対象者達は惹かれ合っていないし、まして、恋に落ちる事は無い。
何故って?攻略対象者達がリナをアウリスの敵と見做している限り。そして、リナに攻略対象者にときめく予定が無いから。
この状態から恋愛に発展させるのは、どんな凄腕シナリオライターでも無理だろう。
のに、何故か、アウリスにはリナ達の姿が、惹かれ合う男女のそれに見えるらしい。
(どうしてそんな思考回路になったのか探らないと。一番はアウリス本人と話せればいいんだけど、コイツらのディフェンス躱してアウリスと話すの無理そうだし、見ただけで怯える私に、アウリスが会いたがるとも思えない…)
攻略対象者の頭脳担当、トマスに聞くしかない。
リナは事務的に尋ねたが、それを聞いた途端トマスの様子が変わった。
静謐な湖面のような表情が、荒波の如く乱れる。爆発しそうな怒りを必死に押し殺しているのか、ブルブルと肩が震えている。
「あなたがそれを言いますか…。私共が必死になって原因を突き止めようとしているのに、一向にその一端すら掴めず、忸怩たる思いをしていると言うのに…!アウリス嬢は泣いていたのですよ?あなたに心変わりをしたら身を引くと。ご自分が嫌われても応援するとまで仰っていたのです!なのに、あなたはアウリス嬢をあそこまで追い込んでおきながら、のうのうと戯言までほざき…。どこまでアウリス嬢を侮辱するのです!あの方に何を吹き込み、我々との絆を乱そうとするのです!」
一気にトマスは捲し立て続ける。
止まらない、止まる事を知らない。
愚痴ってやろうと思っていたけど、真の闇を抱える者のストレスを前にしたら、その気が失せてくる。と言うか普通にひく。
(えっえっえっ~!思考回路がおかしくなってたのはお前もかよ!ショート寸前じゃなくて、してんじゃん!)
要約して判明したのは、アウリスがリナと攻略対象者が結ばれる事を確信してしまっている事と、自分は嫌われ、そして断罪を覚悟していると言うものだ。
(だからなんでそーなるのよ⁈あんたらめっちゃ仲良しじゃんか!知りたいのはどうしてそう思い至ったかよ!)
そしてそれはトマス達も知らないと。
イベント発生し損である。
トマスは立ち上がり、机をぐるりと回ってリナの前に立った。
「父の件といい。何より、アウリス嬢の尊厳を害する行為…。狙いは王妃の座ですか?」
「は?」
「アウリス嬢は、殿下があなたに惹かれたら、婚約者の地位まで降りると考えているのです!父を操ってアウリス嬢の功績を自分のものとし、王冠を自分の物とする算段でも、そうは参りません!私達はあなたの不正を明かにし、清く正しい教育改革を成し遂げて見せます!」
さああと、ステンドグラスから祝福するかのような光が差し込み、トマスを荘厳に照らした。
悪に屈してたまるかと、瞳の奥に決意の炎を灯らせて。
いや、知んねえし。
語り、長ぇし。妄想と言うか、法に触れるお薬やっていらっしゃるか疑いたくなる。
どうやらトマスには、背後にいる攻略対象者一行は、リナは宰相を使い教育改革を利用して、王太子妃を狙う悪女になっているようだ。
それも、アウリスの発言によって。
(そんな所ばっかり『悪役』してんじゃないわよ!しっかりヒロイン追い詰めてくれちゃって!)
自分の設定の使い道を間違っている。深読みがすぎて、壮大な陰謀劇の幕開けみたいになってる。
(ジャンル変わっとる。乙女ゲームじゃなくて、陰謀と策略が交差するサスペンスになってる。時々ラブシーンが出てきて、小休止させてくるタイプの)
トマスの厳しい視線が突き刺さる。
何も言えないリナをどう思っているのか、一挙手一投足を見逃すまいと、視線を決して外さない。
この思い込みの塊をどうやって説得させればいいのだ。
賢いなんて言われてきたが、リナとトマスでは次元が違う。向こうは、法律の本を丸暗記できるぐらいの天才なのだ。
そんなお堅い頭の持ち主に、お前の言ってる事全然違うから。お前の親父が可笑しくなってるのはセルフだから。とか通じるの?
私だったら絶対に認めない。父親がセルフで可笑しくなってるとか、年頃の青少年が向き合うにはハードすぎる。
分かったよ。お前の事はそっとしてやろう。
別に面倒くさいとか、お前を説得しても、本丸を落とせないと意味ないから面倒だからとか、あの腹黒変態ロリコン宰相が父親だなんて認めたくないよな、分かるよ、面倒くさいよな。とか思ってないから。戦略的思考の放棄だから。
もう今日は、悪役令嬢はヒロインと攻略対象者は結ばれるものと思い込んでいる。それだけ分かればいいとしよう。
理由も何も分からないが、もうやだ、今日は疲れた!
さてどうやって帰ろうかな。
そこで気を抜いた自分が悪かったのか。
背後からコツコツと床を踏み鳴らす音がする。司書が騒ぐ利用者を注意しにきたのだろうか。じゃあその隙をついて…。
さあと菫の香りがする風が吹いた。
書架の陰からふわっと舞う菫色の髪。遅れて現れた花の顔。穏やかで清楚な雰囲気を演出する光が差し込む。
胸の前に本を抱え、リナとトマスの二人を見つけて、驚きに菫色の瞳が見開かれた。
問題の悪役令嬢様の登場である。
「アウリス嬢、何故…」
トマスが驚いて固まる。振り返ったリナも固まった。
室内なのに吹く風、エアコンいつの間に導入したのよ。って無いよ、この世界エアコン無いよ。絶対にそこから光差し込まないだろ、天井に穴でも開いてんの?
乙女ゲームの謎エフェクトが、あらゆる法則を無視している。
おい開発チーム、どした?疲れてるのか?睡眠取ってるか?
「本を返しに参りましたら、大きな声が聞こえましたので、注意しようと…。トマスと…リナさんの逢引の邪魔をするつもりは、ありませんでした…」
潤んだ目を伏せて、アウリスが言った。
こうして本人から聞くと、本当なんだと愕然とする。
どうしてそんな思い込みをしているのか。
今、リナとトマスの間に流れる険悪な空気が読めないか。本と違って実体が無いから読めないのか。そだね、読めないね。じゃあ感じて!
「違いますアウリス嬢、それは誤解です!」
インテリな雰囲気とは真逆な必死さで、トマスがアウリスに駆け寄る。
やめろお前。思いっ切り、浮気の現場を見られた男のソレじゃないか。それだと私が浮気相手になるだろ。マジでやめろ!
しかしこれは好機だ。アウリスに直接事情を説明できる。
(そうだ、私も転生者だと分かって貰えば…!でも、転生者ヒロインチートで、効率よく攻略しにかかってる、とか思われたら更に悪化するかも…)
そんなリナの葛藤する表情を、また超次元に誤解したアウリスは、耐えられないとばかりに、弁明するトマスを振り切って走り出した。
バサバサと本が床に落ちる。
それ高い本じゃないの?装丁めっちゃ凝ってるじゃん。本は大切に扱おうよ。
「アウリス嬢!」
涙の軌跡を残し、アウリスが図書館を疾走する。走んなよ。
それを必死に追いかけるトマス。全然追いつけてない。遅い、驚きの遅さだ。だから走るなよ。
悲しいかな、この展開に慣れてきている自分がいる。
結局何の進展も好転もしなかった。
いや、進展はしたか、悪い方に。
リナは落ちていた本を拾い、折れたページを直す。
どこから持ってきた本だろうと、キョロキョロしていると、騒ぎを聞きつけた司書が今度こそやって来て、館内では静かにする事と、本は大切に扱う様に厳重注意を受けた。
もの凄く解せない。




