chapter1_02 東亜解放
経済的繁栄を確立しつつある日本人にとって、最も魅力的に映るのは、反共によるドイツとの連携でも、対英追従外交でもなく、東亜解放による新秩序構築と言えるかも知れません。
(それは、前者が二つが基本的にネガティブな思考であるから。)
台湾、朝鮮半島、満州、そしてフィリピンで行って来た事を、今度は全アジアに拡大するのです。
東亜で、有色人種で唯一まともな軍事力を持つ近代国家たる大日本帝国が、白人至上主義を打破し、亜細亜に夜明けももたらすのです。
まさに、「嗚呼、選バレシ者ノ恍惚ト不安共ニアリ!」と言った所でしょう。
これほど、民衆に幻想を抱かせる事はないのではないでしょうか。
しかも、白人どもを追い払えば、その後には植民地などにしなくても、必然的に巨大な利権が転がっています。
その上、図らずも1934年の太平洋戦争によって、その一部を実現してしまっていて、今や西太平洋は、日本の庭と化しています。
日露戦争でロシアを破り、第一次世界大戦でドイツを破り、今度の太平洋戦争でアメリカを破り、あまつさえその支配下にあったフィリピンを解放した日本への有色人種の期待も大きなものとなるでしょう。
植民地を保有する欧州以外の世界中から、熱いエールが送られること請け合いです。
さらに、遠く中欧のヒトラー率いるドイツ第三帝国は、植民地帝国主義にしがみつく旧欧州列強の時代は終わったと新秩序をしきりに宣伝する一方で、共産主義との対決姿勢を強くしつつあり、そのため是非とも連帯しようと日本にラブコールを送る事しきりです。
しかも、史実と違い欧米の圧力は少なく、日本の国力は大きいのです。
その上、国内はアメリカに勝利し、経済も好調で日本的天狗状態、その上英仏など植民地帝国以外は、何やら大いにヨイショしてくれます。
国内の大手新聞も発行部数の増大を競って、やたらと景気のいい事を書いています。
これで、有頂天になり軽率にも動き出さなければ日本ではないでしょう(笑)
また、ここで日本の列強の植民地解体に賛同するのが、意外な事にアメリカ合衆国です。
それは、合衆国が先年の戦争で殆どの外地を失い、英国とも仲が悪いので、もはや関税障壁のない自由貿易体制でしか、自国が生き残るすべがないからです。
それなのに、当面の軍備は敗戦でガタガタ、それを再建すべき経済もガタガタという目も当てられない惨状で、対外的に身動きがとれない状態です。
それに、支那の利権を新たに獲得しようとしても、英国が明に暗に邪魔をしてそれすらままなりません。
そうした中、日本人が徐々に「東亜解放」のお題目を唱えるようになるのを耳にします。
日本人の唱える東亜解放や有色人種の権利の獲得などには、政府としては全く興味がありませんが、日本の言っていることをアメリカの都合のいいように曲解して採れば、「ブロック経済で自国の利権しか考えない欧州列強の植民地を解体してアジア各地に民族自決政府を作り上げ、平等で自由な社会を作り上げよう。
」と言っている事になります。
これに、一口乗ることが出来れば、労せずして巨大な市場が手元に転がり込んでくる事になる訳です。
しかも矢面に立つのも血を流すのも、崇高な理想を実現すべく勝手に邁進する日本人たちで、自分たちはそれに表面的に賛同し、その後ろでせっせと商売して景気を回復させればいいのです。
かくして、180度転換した外交政策のもと、太平洋戦争では日本を悪し様にののしったマスコミに、東洋の正義の心溢れるサムライが、悪辣な欧州植民地帝国を打破しようとしていると言う論調で自国市民の思考を誘導出来れば、国内から日本を後押しする事に不満は少ないでしょう。
この場合、最大の敵は昔年の恨み募る英国です。
正義の大好きな国民だから、義勇軍すら現れるかも知れません。
フライングタイガースは、日本の国府軍軍事顧問団と共に戦っているに違いありません。
ああ、もちろん先年の日本との戦争は、「過去の不幸な出来事」として、前大統領とその取り巻きを帝国主義的幻想に惑わされた悪者にして、当面葬り去る事も忘れません。
全てはお金儲けのためです。
さらに、日本に熱いエールを送ると共に、日本人そのものの思考誘導を行い、東亜の解放者にして民主主義の守護者としておだてておけば、お人好しの日本人たちも喜ぶと言うものです。
日本を民主主義国として外交的に誘導するのは、もちろん全体主義国家のドイツを牽制するためです。
日本がドイツのラブコールに「はい」と返事をしてしまって、反共同盟という名の全体主義陣営に賛同されては一大事だからです。
そんな事されたら、10年後の自分たちの市場がなくなっているかも知れないからです。
そして、合衆国の反英外交は変化しません。
彼らを含めた欧州植民地帝国に市場を牛耳られては、同じく10年先、経済が回復した後の自分たちの市場がなくなっている可能性が高いからです。
かくして、アメリカ合衆国政府は、ロンドン海軍軍縮条約以後、急速に親日協調路線を取り、日本外交の舵取りを始めます。
まず第一に阻止すべきは、日本にドイツとの反共同盟を結ばせない事です。
ついでに、反英感情も煽ってきます。
このため合衆国では、まず自由主義国として共産主義国のソ連脅威をマスコミで激しく訴え、東洋の防波堤たる日本を支持せよと言う論調をアメリカ国内に作り上げます。
(実を伴う支援はしません。)
もちろん、ここにはわずかに満州に進出しているだけのアメリカ市民を守れというお題目も入ります。
なお、アメリカがドイツとの連携を図らないのは、欧州市場がアジア市場より自分たちにとって商売が難しいからに過ぎません。
それに、自国主導以外の全体主義は、基本的にアメリカ的自由主義に合致しないからです。
さて、このアメリカの動きに動揺するのは、まず当事者たる日本です。
戦争でこてんぱんにした相手から、唐突と言っていいぐらい好意を寄せられるのですから。
ですが、満州でのソ連の脅威が高いのは確かだし、比較的近在の大国が味方に付いてくれるのならそれに越したことはないし、何よりアジア・太平洋がより安定するならこれを断る理由も特に見あたらないので、日本は「なんとなく」これを受け入れます。
ただし、日本としてはこの米国の行動の裏には必ず、自分たちが奪い取った利権を一部でもいいから返せと言っていると取る可能性が高いので、そう言われた時、日本国内で再び反米感情が育つことになります。
そうならないように、友好ムードが進めば、言われる前にこれを一部返す可能性もあります。
そうなれば、反対に米国市民の親日感情は高まること請け合いです。
しかし、この反共を掲げた日米協調に困るのは、同じくラブコールを送って、あえなくふられてしまったドイツ第三帝国です。
ソ連の反対側にある日本と同盟する事で、西欧との対決のためにソ連の目を極東に向けさせ東方の安全を確保しようとしていたのが、その思い叶わず、日本はアメリカと仲良く自由主義の守護と反共を謳い、ソ連との対立姿勢を強くしています(ドイツも東亜解放などという戯れ言に耳は貸しません。)。
ですが、取りあえず極東でソ連と激しく対立してくれているので、「まあ、いいか」程度で振られた怒りややっかみも収まります。
一方、英国にとって、自分たちを差し置いての日米協調は、裏切り感が大きなものと映るでしょう。
しかも日本は何を考えているのか、自分たちにはよく分からない理由で、突然東亜新秩序なども同時に唱えだしています。
アメリカ政府も植民地解体という点では、しきりに同調してます。
しかも、何やら支那の国府軍にすら、その東亜新秩序とやらのための協力を打診したり、台湾の独立も段階的に移行するとすら言い出しています。
しかし、英国にとって軍事・外交上、強大な日本を敵としてのアジア戦略は成り立ちません。
ここは「グッ」と我慢して、何とか日本をなだめようとするでしょう。
東亜解放という戯言はともかく、反共に熱心なのは英国の利にもかなっています。
それに、さしあたって植民地経営で、英国の利権をどうこうすると言う事もなさそうです。
今のところ、東亜解放は単なる遠吠えに過ぎないみたいです。
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