その声を忘れたことなんてなかった
満員電車、
駅から遠いアパート、
安っぽい蛍光灯の明かりに照らされた散らかった部屋。
壁の薄い安アパートはとりあえずの住まいのつもりだったし、いくらでも代わりがきく仕事もとりあえず日銭を稼ぎたかったからはじめたつもりだった。
だけど、なにも変えられないまま上京して5年が経った。
でも今はもうこれでいいと思っている。
上京して分かったことは2つ。
都会はそんなに甘くないってこと。
もうひとつは、
自分は主人公なんかじゃなかったってこと。
もう22時を過ぎたところだった。
帰りにコンビニで買った生姜焼き弁当とお茶で遅い夕食を済ませようとソファに腰掛ける。
気のせいか生姜焼き弁当は年々小さくなっている気がするし、肌寒くなってきたからと買った温かいお茶はもうぬるくなっていた。
TVを付けるとクイズ番組がやっていた。解答者は芸人でいちいちやかましい。チャンネルをいくつか変えてドラマにした。若者が都会の洒落たオフィスで恋愛する定番のストーリー。どうせ最終回は海外赴任でもするんだろう。
弁当を食べ終わって、冷蔵庫からビールを出す。休日に近所の薬局で買っておいた安物だ。
ビールを持ってベランダに出る。
蓋を開けて一口飲んだらラッキーストライクに火をつける。
一日で一番休まる時間だ。
毎日この時間に次の休みはどうしようかと考える。
でも今日は違った。ベッドの上で携帯が鳴りだしたからだ。
着信は知らない番号だった。だがすぐに電話に出た。
「………」
「……もしもし?誰?」
そっと息を吸う音が聞こえた。
「もしもし?」
「……ハルト…?わかる?」
もちろん、わかる。
その声を忘れたことなんてなかった。