3 シャットダウン
「―――流?」
耳元で声が響き、流はハッと我に返った。
不意に不格好な形の右手が伸びてきて、流の額に触れようとした。
「―――やっ、やめろ! それ以上近づくな!」
「えっ、……えっと、流?」
反射的に拒絶の言葉が飛び出して、美月の手を払いのけていた。
しまった、と表情を凍り付かせるも、既に遅い。
驚きを隠せない様子で、こちらを見つめる美月と重治。クラス中が一瞬静まり返り、俄かにざわめき始め、すぐに陰口を囁く声が聞こえてくる。
やってしまった以上、後の祭りだ。不愉快な雑踏など、もはや構っていられない。
気づけば、流は掴みかかる勢いで叫んでいた。
「どうしたって……。どうもこうもあるかよ! とぼけないでくれ、誰でもいいから説明してくれよ。一体何が起きているんだ!」
「何がって? え? どういうこと?」
強い困惑に眉をひそめた美月は、重治と顔を見合わせ、もう一度流の方を向く。
「何を言っているの、流?」
放り返されるだけの問いかけに、流はギリッ、と奥歯を噛みしめた。
「だから! そういうのいらないって言ってんだ! 今の俺を見れば分かるだろ! 生身なんだよ、冬眠から目が覚めたんだ! なんで俺だけ……。だ、誰か話が分かる奴はいないのか!」
流は助けを求めるように、美月へ、重治へ、クラスの皆へ、順繰りに視線を巡らせた。
まるで珍獣を見るような冷たい好奇の目が返ってくる。
そこにいる誰もが、流の言葉の意味を掴みかねていた。
「本当に、何も知らないっていうのか……」
震える唇から吐息のような呟きが零れる。
「おかしいだろ。じゃあなんで俺を見て無反応なんだよ……」
流は訴えを止められない。底知れぬ恐怖に突き動かされて、自虐のような告白を続ける。
「俺は、コネクターじゃない。人工冬眠から目が覚めて、自分の身体で、この足で、ここまで歩いてきたんだよ。おかしいだろ?」
誰からも、何一つ反応はなかった。内緒話すら聞こえてこない。
「だから何で、そんなにも不思議そうにするんだよ……」
「あの、さ」
戸惑いを含む掠れた声が流に問いかける。
美月だった。
「だからさ、何が言いたいの? 流、いつもとどこか違う? いつも通りに見えるけれど?」
「……は?」
流は、一瞬どこにいるのかも忘れるほど呆けた。
いつも通りとはどういうことか、まるで意味が分からない。
だが、美月の言葉を吟味する時間は与えられなかった。
瞳に宿る淡い光が明滅し始めたかと思うと、美月はガクン、と壊れるような勢いで脱力した。
「うおっ! 何だよいきなりっ」
声を上げてたじろぐ流。
困惑と動揺に弄ばれている間に、美月のみならずクラス中で次々とアンドロイドが機能を停止し始める。
彼らは一時動きを止めたのち、ゆっくりと面を上げて、一斉に流を見つめた。向けられる瞳に宿る光は、糸で吊るされた操り人形のように酷く冷たく無機質なものへと変じていた。
見てくれは何も変わらないはずなのに、もはや目の前のそれを美月だとは思えない。
「……」
何が起こったのか。
胸中で膨らむ不安が、声の形になるかという刹那。
「鈴白流。あなたの質問には私が答えます」
機械的な合成音声に不意打ちされ、流は背筋を震わせた。
ごくり、と息を飲み込む。
「……美月?」
「はい、私は叶野美月」
「……違う」
流はすぐさま否定した。
目だけを動かしクラス中を見回せば、皆例外なく流に注目し、空気に漂う緊張感は先程までとは全く異なる。
完全な四面楚歌だった。見知ったクラスメイトは一人もいなくなり、得体の知れない何かに全方位を囲まれていた。
「お前ら、何なんだよ……。美月と重治、他の連中も……。みんなどこ行った?」
「皆変わらずここに」
アンドロイドは両の掌を胸の上に乗せ、大丈夫だと言わんばかりに頷いてみせた。
「突発的な緊急事態が発生した際の特別措置です。このままでは計画に大いなる混乱を招くと判断し、一度主人格をシャットダウンしました」
「計画って……、『人工冬眠計画』のことか?」
そうだとすれば、主人格とは美月たち―――冬眠者のことを指すに違いない。
彼らの意識を一度切り離したのだとすると、目の前にいるアンドロイドは、人工知能で動く人形そのもの。意識の入れ物となるだけの、ロボットだ。
「あなたの要望に応えます、鈴白流」
アンドロイドはもう一度繰り返し言って、流からの返答を待つ。
「……」
踏み込まないわけにはいかない。
流は、ごくりと唾を飲み込んで、アンドロイドたちを見据えた。