2 友人
アンドロイドがいる。
アンドロイドしかいない。
生身の人間はどこにも存在しない。流一人きりだ。
抱いていた一縷の希望が潰え、流が表情を凍りつかせたのも束の間。
「おお、流。やっと来たかお前!」
「一限の授業サボって何していたの、まったくもう」
二体のアンドロイドが流の姿を見つけるなり、明るく声をかけてきた。
一体は嬉々として流の肩を叩き、もう一体は安堵交じりの吐息とともに腕を組み、問い詰めるような視線を投げてくる。
「あ……。いや、えっと……」
咄嗟に返そうとした言葉は、喉の奥に突っかかり、出て来なかった。
安藤重治と叶野美月。二人は流の幼馴染だ。
連絡もなく学校を休めば当たり前のように心配し、きちんと叱ってくれる大切な友人。
しかし、今の流には二人ともまったく同じ姿形をした、機械の人形にしか見えなかった。
強いて違いを挙げるのなら、各々のオリジナルに応じた多少の身長差があり、制服を模した外装パーツが男女が分かれているくらいか。
それも当然のこと。
コネクターは冬眠した人間の意識の入れ物にすぎない。『都市』で眠る住民全員分を用意するため、同一規格のラインに乗せられ、寸分の狂いもなく工場で造られた量産品だ。
目の前の二人を含め、教室内にいる五十余りのアンドロイドに、特筆すべき個別の違いなどあるはずない。
そのはずがしかし、流は戸惑うことなくその場にいる五十人を識別できた。
教卓の周りで輪になる仲良しグループ。
喧噪から外れて意味なく空など見上げる者。
笑顔を交えて談笑に花を咲かせる三人組。
外見上の違いはないのに、見分けがつく。
空き時間に興ずる物事。
友人と接する際の仕草。
機械の声帯が発する声色に至るまで。
およそ初見では分かりようもない情報を細かに拾い上げ、一人一人に当てはめることができる。
人工組織で造られた歪な顔貌の、向こうにある表情までも透けて見えるようだ。
まるで、彼らと何日も何週間も何か月も、ともにこの場所で学び、遊び、長い時間を過ごしてきたかのように。
「……」
流の顔から血の気が失せた。
仮定ではなく現実に、流はこの教室でアンドロイドに囲まれて濃密な時間を過ごしてきた。それを裏付けるだけの記憶が今、頭の中を嵐のように駆け巡る。
表情豊かに笑い、泣き、怒り、喜んでいたありのままの人間と、目の前の不格好な機械人形を、同じものだと認識していた。
生身の肉体を捨てたことを忘れていたわけではない。けれど、正しく認知できていなかった。
訳も分からず震える膝が、それを如実に伝えてくる。
自分で自分が信じられなかった。あろうことか、機械を友達だと思い込み、何の疑問も抱かなかったなんて。
「……う」
とてもではないが、冷静でいられなかった。得体の知れない吐き気が込み上げてくる。
ここに居てはいけない。頭がおかしくなりそうだ。
流は力の抜けた膝を叩いて、足早に教室の後方へ向かった。
「流?」
「ちょっと、どうかしたの? ねえ?」
「服と靴。服と靴。服と靴……」
背後から掛けられた声を完全に無視する。目的を果たすことだけに集中し、その他一切を頭の中から叩き出す。
これ以上深く考えてしまえばその先で、流は叫び出さずにはいられない。
重治も美月も、特に普段と変わりなかった。クラスの皆も、特に流に興味を示さない。あるいは、あえて様子を見ているのか。
何にせよ、まだこの異常事態が騒ぎになっていないのが唯一の救いだ。何か事が起こるよりも先に、一刻も早くここから逃げなくては。
電子式埋め込み型のロッカーが、教室後方の壁一面にずらっと並んでいる。
流は自分のロッカーの取っ手を掴んで、思い切り引っ張った。が、分厚い金属の扉は固く閉ざされ、ピクリとも動かない。
「なんだよ、鍵掛かってるのか? そんなもんどこにあるって?」
「何やってんだよ、流。そんなことしたって開くわけないだろ」
「うわっ! な、何がだ?」
肩越しに顔を出した重治に驚き、流は飛び退る。
重治は怪訝そうにしつつ、
「いやだからさ、手首手首。認証しなけりゃ開かないだろ」
「あ……ああ、そうか。そういやそういう使い方もしたな、これ」
手首を指差す重治を見て、流も右手の携帯端末に目をやった。これにはあらゆる個人情報が入っていて、電子認識装置として利用できる。
同時に、『都市』において流が『鈴白流』であることを証明するための個人認証装置だ。
個人ロッカーに留まらず、この『都市』における電子ロック系統はすべてこれを使わなければ利用できない。
コネクターはシリアルナンバーがそのまま個人認証して機能するので、わざわざ携帯端末を使うという常識がすっかり抜け落ちていた。
取っ手の横のパネルに手首を近づけると、ピッという電子音とともに扉はあっさりと開錠した。
流は小ぶりの鞄をひとつ引っ掴み、腹を抱えるように持って、そそくさと重治の横を抜ける。
「おい、流? 今日のお前なんかおかしくないか?」
怪訝に富んだ問いかけに、心臓が縮み上がる。
あまりにも挙動が不審過ぎたことに気付き、流は慌てて笑みを取り繕った。
「は、はあ? おかしいって、何がだよ……」
「いや、何がって……。体操着なんて持ち出してどうすんだよ。次は倫理の授業だぞ?」
「どうって……。ああ、ちょっと汚れちまったからな、持って帰って洗おうと思って」
「いや、何で持ち帰るんだよ? 洗濯室に出しておけば学校でクリーニングまでやってくれるだろ?」
「あ……。ああそうだ、そうだったな確か……。良いよな便利で」
「便利って何をいまさら……。お前大丈夫かよ、ほんと。なんか顔色も悪いし」
「顔色? ああ、そう。顔色な。……顔色ねえ。……はっ、何の冗談だよ」
うすら寒い失笑が込み上げ、口元が歪んだ笑みを形作る。
アンドロイドが顔色を語るなど滑稽にもほどがある。
「ねえ。流ってば、どうかしたの?」
「う、お……っ」
顔を背けたその先に美月が出てきて間近に迫った。
流は、大仰に仰け反ってしまった。
「もしかして本当に具合悪いの?」
「まじかよ。保健室行くか?」
挟まれてしまった。美月がお節介にも行く手を塞ぎ、重治が後ろからしつこく食い下がる。
「いや、なんでも、何でもねえって。気にすんなよお前ら……」
正直、気が気じゃなかった。顔が引き攣らないよう努めるので精一杯だ。
どうにかやり過ごそうとするが、前後の二人がそれを許さない。
目を合わせないように、あまり二人の顔を見ないように、視線はただひたすら下へ。背を丸め、身体を縮めて、気配を殺そうと躍起になる。
額には玉のような冷や汗が浮かび、心臓の鼓動が早鐘となってうるさく鼓膜を叩く。
今この瞬間、誰から何を試されているのか、何一つ判断つかない。
流が生身であることは一目瞭然だ。それでも重治も美月も他の生徒たちも、まるで平素の態度を崩さない。
その理由が、皆目見当つかなかった。
故に不気味だ。一体何を考え、何を観察されているのか。
どう行動するのが正解なのか。
そもそもこの場における正解とは何だ?
致命的な失敗を避ける手立てが見つからない。
仮にここを逃げ出してどうする?
この異常事態をアンドロイドに隠し通せたとして、何がどうなるわけでもないのに……。
「……」
四方を閉ざされた状況の中、あらゆる音が遠ざかり、光が消え失せていく。
流は、ただ一人取り残されてしまった。