1 学校
ここから2章開幕です。
続きが気になるようでしたら、ブクマ評価などしてもらえると、嬉しいです。
それでは、お楽しみください。
閉ざされた場所である『都市』において、高低差を生み出すのは背の高いビル群であり、自然が生み出す地形の起伏はなく、緑に乏しい。
自然と呼べるものはおよそ、都市地下のガラスケースで覆われた植林場とその根元のごく限られた地面のみ。その場所に限り、微生物と昆虫たちの生命活動が営まれている。
『都市』における生物と言えばそれくらいで、かつて人間のパートナーだった愛玩動物たちは皆姿を消し、仮想現実の中で愛でられる存在と成り果て、家畜動物たちはそのまま上質な肉や皮を得るためだけの消耗品と化した。
故に地上を歩くのは、人の意識を宿したアンドロイドと雑務をこなす自律型ロボットだけ。機械に囲まれた世界こそ、鈴白流の生まれ育った環境だった。
そのはずが、流は今戦慄に身を固め、恐怖で立ち竦んでいた。
「……」
とてもではないが、胸中に渦巻くプレッシャーに耐え切れそうにない。
何の冗談かと思った。
教室という空間で、アンドロイドたちが楽しげに友と語らい、ふざけ合い、教科書を前にして椅子に座っている。まるで普通の、どこにでもいる人間の高校生のように。
つい昨日までの当たり前だったはずのその光景は、流の眼にどこまでも異様なものとして映った。
☆ ☆ ☆
時間を少し遡る。
謎の通話を受けたすぐ後、流は自身が通う都立高校へ向かっていた。
道のりは、実際大したことはなかった。歩きでも二十分程度で辿り着く。否、歩く必要すらない。
都市内部を碁盤目状に区切る主要道路は水平型のエスカレーターであり、要は低速で動くのだ。
設置された移動ボックスに入り、操作パネルで目的地を指定すればあとはベルトに流されていくだけ。
何もかも既知であるはずの流はしかし、ややおっかなびっくりしながらボックスに乗り、移動中でも落ち着かず、頻りに辺りを見回していた。
移動の最中に目にしたのは、街を徘徊する清掃ロボットと、不気味なほどに整然とする町並みだけ。目につく建物に飛び込んでみようかとも考えたが、今は下手に動き回れるほどの余裕はなかった。
『都市』の建物は、基本白を基調とした色合いに統一されている。
都立高校の校舎はまるで、昨日建て替えられたばかりのような清潔感を放ち、荘厳な佇まいをそのままに流を迎えた。
毎日通っていた覚えはあるが、やはりどこか実感がなく、遠い場所の出来事のように思う。
すぐ近くに動く者がないことだけを確認し、流は校舎の中へ。
裸足のまま、ひたひたと廊下を進み、エレベーターで二階まで上がって、二年一組の教室を目指す。
リノリウムの床が窓から差し込む光を照り返す中、流はほとんど視線を動かさず、頭の中だけで考えていた。そうすることで心を掻き立てる好奇心を何とか無視していた。
未だ何一つはっきりしないものの、どんな状況に放り出されてしまったのか、掴めてきたのだ。
流は冬眠から目覚めた。いや、誰かに起こされ、何かの企みに巻き込まれている。
先程の指示が何よりの証拠だ。流は今この瞬間を監視され、裏では何者かが糸を引いている。
何に巻き込まれてしまったのか、あるいは巻き込まれようとしているのか。判断材料があまりに乏しい。
ぞわぞわと胸中で渦巻くのは、捉えようのない不安ばかり。今もこうして一歩歩を進めるごとに、抱いていた疑惑は確信に変わっていく。
授業を進める男性教員の低い声。
鳴り響くチャイム。
同時に張り詰めた吐息を漏らすのが聞こえ、それから皆が一斉に動き始める騒音が扉一枚挟んだ向こうから聞こえてくる。
そこには確かに、いつもと変わらぬ日常があった。
必要以上に鋭くなった神経が過敏に周囲の音を拾っては、容赦なく事実を突き付けてくる。
この場において異常なのはお前だけなのだ、と。
「……」
若干吐き気を催しながら、頑なに頭を伏せ、足を動かし続ける。少しでも気を抜いたが最後、一番近い扉に飛びついてしまいそうだ。
孤独であることを思い知り、敵の存在を認めて、一つ心に決めたことがある。
決して無用な騒ぎを引き起こしてはならない。
ここに至るまで、流は誰とも出会っていない。それはつまり、コネクターと出会っていないということだ。
人間の意識を投影したアンドロイドが今の流を見て、生身で動く人間を見て、果たしてどういう反応をとるのか。
まるで予想できずにいた。
「どうなる……。大丈夫、なわけが……。いや、コネクターが人間に危害を加えることなんて……。そうだ、そういう設計のはずだ……」
ぶつぶつと言葉を転がし、目線と意識をつま先に集約させ、二年一組の教室の前に立つ。
心臓の高鳴りは今や最高潮に達し、どれだけ空気を吸い込んでも一向に収まってくれない。情けなく震える指先をぐっと握り込んだ。
「落ち着け、大丈夫。着替えを取って来るだけだ。それだけでいい」
深呼吸をもう一つ追加して、流は扉を開き―――……。
そして戦慄に立ち尽くした。