8 死にたがりの道化
どこへ向かっているのか、もう自分でもわからなかった。
流は迷子のように当てもなくさ迷い歩き続ける。これからもずっと、アンドロイドの世界を、たった一人で。
「どうだった? 無駄だっただろう?」
携帯端末からコネクターの声がした。随分久しく聞いたような気がする。
「先の大事件を経ても、我々の最終決定に変更はなかった。鈴白流の調査を続行する。もっとも、その調査がいつ始まるかはまだ決定していない。だからいつ終わるのかも、本当に終わるのかも分からない。そして、その決定が動くこともない。残念だったな」
「……」
すべてお見通しだとでも言いたげな嘲笑に、しかし流の心は動かなかった。
「……鬱陶しい、消えろ」
どうにか口にする罵倒にも覇気が乗らない。怒りさえ、もはや枯渇したらしい。
「まあ聞け。俺との繋がり断ち切ったら、お前は本当に一人になるぞ。孤独なんてもんじゃない、先の見えない真っ暗闇だ」
「……そんな場所に叩き落としたのはお前だろ。責任とれよ」
「どうやって?」
「殺してくれ」
「……」
沈黙。そして、拒否を返される。
「できない。その理由をついさっき散々聞かされたはずだ。コネクターは人間を殺さない」
「……ああ、聞いたさ。理解もできる。似たようなことを考えたことがあった」
「ドキュメンタリーのテレビ番組だ。犯罪者の深層心理を紹介していた」
「ああ、確かそんなんだったな……」
適当に相槌を打つ。もう細かいところまで覚えていない。
けれど、確かに思い出したことはある。
「人を殺す奴の心理ってやつが心底理解できなかった。俺が例えば誰かを殺したとして、そいつの顔を思い出さない日はないんじゃないかって……。だから俺は人を殺したことはない。こんなやつ死ねばいいって思ったことはあったけれど、殺そうとしたことはなかった。だってそれは、やっちゃいけないことだから。……まさか、同じことを機械に諭されるだなんてな」
疲れ切った顔に苦笑が滲む。結局は流も、アンドロイドが出した結論に辿り着くのだ。考え方が理解できるからこそ、分かり得るからこそ、どうにもならない失意の底に沈んでいく。
悪を憎み、正義を貫く。絶対的に正しい倫理観を断固たる姿勢で実行する。それこそが人間とって本当に必要なものだった。
アンドロイドは、模倣人格を有した人工知能は、確かにその意志を持ち、全員に共有させた。彼らならば、間違いは起こり得ない。
「前言撤回だ、お前ら優秀だよ、これ以上ないほどにな」
「流、もう諦めるのか?」
「……放っておけよ。返事するのも疲れる」
流は、投げやりに会話を打ち切った。
一人は世界に勝てない。それが現実だった。
もう何も考えたくない。眠りたい。願いは最初からそれだけだ。
「それだけで良かったはずなのにな……」
涙の滲む声で呟き、ふらつく足取りでどこへともなく歩き出し―――……。
二歩目を踏み出したそこへ、人間ほどの大きさの物体が落下し、衝突した。
工場建屋の屋根の上から落ちてきた一体のアンドロイドが、熟れた果実を潰すように、流の頭を粉砕した。
しばしの間、事件現場にアンドロイドたちがわらわらと集まってくる。彼らは惨状を前に、皆一様に立ち尽くした。
誰もが言葉を失い、眼前の状況をどう処理すべきかを考えあぐねる。
それは、『都市』においてあってはならない殺人であり、アンドロイドが人間を殺した、最初の事件だった。
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