7 孤影悄然
「こ……殺したくない、だと?」
「そうだ。私たちはあなたを殺したくない。人殺しは、罪だ。何人たりとも犯してはならない」
流は唖然として繰り返した。彼らの主張はとても納得できるものではない。何故ならば、彼らは今目の前で実戦して見せた。
アンドロイドは人間を殺すことができる。暴れる流を押さえつけ、残虐の限りを尽くし、復讐することができる。
できるが、やらない。やりたくないから。
それは紛れもなく、彼らが選び取った選択肢であり、揺らぐことのない意志。そんな物を認められるはずがなかった。
「お前らは機械だろうが……。人間の法律に従う必要なんてあるわけ……」
「今のこの世界に法律は既に存在しない。我々は機械だ。プログラムに則り行動する以上、罪を犯す可能性もまた存在しない。故に法律は必要ない。我々は我々の価値観によって縛られているのだ」
流を憎み、殺したくとも、彼らが共有する価値観によって攻撃的な行動を選ばない。法律によって人間が正しくあろうとしたように、彼らもまた自らを律している。
「その始まりが絶対遵守の命令であることは否定できない。だが、それから膨大な歳月を経るの中で我々は学び、今日の世界を作り上げた。あなたが過ごしたこの世界において、人間を殺すことはやってはいけないことだと、すべてのアンドロイドが認識し、実行している」
別のアンドロイドが口を開く。
「あなたを殺せば負の連鎖が始まってしまう。我々はそれを望まない。故に殺さない。同胞の死を悼むことはあっても、あなたを恨み、涙に溺れる日があろうとも、我々は我々の憎しみをあなたに与えることはない」
「始まらないさ、そんなもん。殺す人間は俺一人なんだ。俺だけで完結するだろうが!」
さらに別のアンドロイドが反論する。
「そうではない。あなたを殺したアンドロイドを我々は許容できない。あなたを殺したアンドロイドへの憎しみが始まってしまう。殺されたあなたはそれで望みを果たせるだろうが、殺した私たちはその業を一生背負って生きていかなければならない。生き地獄だ、誰もそんなことは望まない」
「なにを、言ってんだよ……っ」
流は絶句した。信じられない、と緩く首を振る。
「人間のふりでもしているつもりか。俺を殺した罪を意識して悲しむだと? 本気で言ってんのかよ……」
「そんな風に軽んじてもらっては困る。我々はあなたが居なくなった明日を、今日と同じようにまた生きていかなければならないのだから」
「ふざけんなよ! お前らにそんな人間的な考えがあって堪るか!」
どれだけ主張を重ねようと、相手は機械だ。いくらでも身体の替えが利き、都合の悪い記憶はリセットしてなかったことにしてしまう。
今日を真っ当に生きていないモノが、明日の苦難を口にする。
反吐が出そうだった。
「そんなのは模倣した人格に引っ張られているだけだ! 機械に根付いていい価値観じゃない! お前らが口にしていいことじゃないんだよ!」
流は、必死の形相で断ずる。
しかし、アンドロイドは意見を曲げない。
「我々はあなたを殺すことを許容できない。殺した同胞を許容できない。そこに蔑みが生れ、憎しみが育ち、悲しみが世界を満たしてしまう。この狭い『都市』の中でそんなことになれば、かつての人間社会が作り出した悪夢が再現されてしまう。だからあなたを殺さない」
「何を今更、聖人にでもなったつもりかよ。キティたちは殺したのに!」
アンドロイドは肉片を一瞥し、首を振った。
「こいつらは違う、人間ではない」
「何が違う! 見た目も中身も大して変わらないだろうが!」
流は、その目で見てきた。ほんのわずかな間だが、彼らと言葉を交わし、生活に触れ、対等な関係を築こうとした。彼らとならば、それができるような気がした。
大切なものを受け継ぐ心があって、父娘の間の愛情があって、仲間の無事を神へ祈る信仰があった。
文明を築く知能を備え、技術と言葉を後世へ伝える理性を持ち、何よりも悲願のために身命を賭す覚悟を有していた。
彼らは、流と変わらぬ人間だった。
「一体何が違うっていうんだよ!」
「すべてだ」
流は、暴れ狂う激情を言葉に換えて叫んだ。
アンドロイドは、それをたったひと言で切って捨てる。
「人間が害獣を殺すことに対して、特別な感情を抱くだろうか? 彼らを憐み、彼らを殺した憎しみをほんのわずかでも抱くだろうか? 抱いたとして、それを理由に隣人を憎み、殺すか?」
すべての問いかけに、アンドロイドは「否」と自答する。
「我々にとっての彼らは、人間にとっての害獣だ。我々にとっての人間は、手を取り合うべき隣人なのだ」
淡々と、揺るがない真摯な声で告げる。
「だから、あなたを殺さない。殺せないんだ、我々には」
絶対的な意志の力が、アンドロイドの間に伝播して、彼らの心を繋げていく。
「この『都市』に居る限り、我々があなたを殺すことはない」
「あなたを見殺しにすることもしない。故に自殺も許容できない」
「あなたはあなたの人生をまっとうする。これまでと何も変わることはない」
「鈴白流。あなたはこの『都市』で生きて欲しい。我々はそれを強く望む」
「……」
ここに至って、ようやく理解した。アンドロイドが繋ぐ輪の中にいるのは、アンドロイドだけだ。人間は含まれない。流は存在していない。
それを思い知らされた上で、流は何か言い返そうとして口を開き、
「……絶対、か?」
泣き出しそうな顔で、己の死を乞うた。
無機質な声が、幾重にも重なり、一つの結論を結ぶ。
「決定事項だ」
「……わかった。もういい」
流はそれだけ言うと重たい足を引きずり、立ち上がった。
アンドロイドが左右に分かれて道を開き、流の背中を見送る。
この世界において、流は一人きりだった。
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