4 もう一人の流
「学校へ向かってほしい」
着信の相手は名乗りもせず、端的にそう言った。
側面のスピーカーから流れてくるのは、年若く落ち着き払った調子の声。低めの声音からして二十前の青年を思わせるが、まるで覚えがない。
「学校だと?」
即座に訊ね返した流の声は、焦りで若干上ずった。
「教室のお前のロッカーにジャージと運動靴がある。ひとまずはそれを使えばいい」
「……っ!」
今度こそ、総毛立つほどに戦慄した。
何故、流の欲しい物が分かる? 流の置かれた状況をそこまで正確に把握できているのか。
声を荒げて喰ってかかる。
「待て! お前は何だ、一体どうやって!」
「どうって? それは聞くまでもない。端末を通してお前のことを見ていたからだ」
「そんなことができるのか?」
勢いよくそう口走っていたが、腕につけたこの端末には確かにそういう機能がついている。
機器本体が発する位置情報をキャッチして、周辺にある監視カメラにアクセス。映像を取得し、視聴することが可能だ。
流の仲間内でも、この手の遊びが一時期流行ったことがあった。
ただ、それには相手の端末に登録されている個別のIDを入力する必要があり、誰も彼もが取得できるものではないはず。
つまり着信の相手は、流の知り合いである可能性が高い。それらを踏まえて次のひと言をどう切り出すべきか。
流が考えあぐねている間に、相手がその答えを口にした。
「それからお前は誰だ、だったか。これもわざわざ答えなくてもいいかと思う。俺は鈴白流だ。そう答えるのが一番適している」
「は?」
流はぎょっとして、すぐさま言い返した。
「何を言ってやがる……。流は俺だ、俺の名前だぞ!」
「そう。お前は鈴白流であり、俺も鈴白流なんだ」
「……あ? 何訳分かんねえこと言って……」
胸の内で苛立ちと困惑が綯い交ぜになって訳が分からなくなり、流はことさら表情を歪ませた。
「流、ひとまず学校へ向かってくれ」
こちらの剣幕に応じる様子を欠片も見せず、着信相手は淡々と先の言葉を繰り返す。提案するようで、そのくせ有無を言わせない。
「そこで見て、聞いて、体験してみてくれ。少し期待しているぞ」
「さっきからなに言って……! いい加減にしてくれ! ただでさえ今は混乱していて……っ。ああ、くそ!」
吐き出されるのは要領の得ない文句ばかり。
流は、くしゃりと髪を掻き上げた。そんなことを言いたいのではない。そんなことを聞いている場合ではないのだ。
「何か知っているなら教えてくれ! 頼むよ! 今何がどうなっているんだ! 俺に一体何が起こった?」
通話に、わずかな沈黙が挟まれた。
「こちらの言うことに従ってくれれば、いずれ話す機会も来るだろう」
「いずれって何だよ……。今知りたいんだ! おい、何を知っているんだお前は! 答えろよ!」
「さて。今はお前の動向を見守らせてもらおうか」
それを最後に通信は途切れた。
「おい、待てよ! ……何なんだよ、くそが!」
怒り任せに拳を叩き付けた衝撃で、自動販売機のショウウインドウが激しく揺れた。
体勢をそのままに、ふう、ふう、と大きく深呼吸を二回。新鮮な酸素を取り入れ、熱く茹る頭を回して考えた。
通話の相手が誰であれ、今がどういう状況であれ、少なくとも道は開けた。選択肢が示されたのだ。即ち、先の指示に従うか否か。
不確定要素が多すぎる現状、安易に従わないのが妥当であり、慎重に行動するのが得策だ。
「それで、どうなる……。どうにもなんねえだろ、畜生……」
右の拳でもう一度自動販売機を軽く叩き、流は項垂れていた顔を上げた。
もと来た道を振り返る。飛び出してきたマンションまでの道のりは、はっきりとは思い描けないが、おそらく辿り着くことはできる気がした。
流の住んでいる部屋だ。服があり、靴もある。肝心の『ゆりかご』を調べることもできるだろう。
ただしそれらはすべて、後回しにしても構わないことに思えた。
「くそ、学校って言ったか……。何かあるんだろ……。行ってみるしかないよな……」
ぐっと奥歯を噛みしめる。何故だか酷く胸の辺りが震えていた。
緊張か、はたまた武者震いか。こんな感覚をリアルに味わったのは、ずいぶん久しぶりのことのはずだ。
火鉢を当てられたように頭の熱さがぶり返す。脈打つような疼きを後頭部に感じながら、流は通学路を歩き出した。
☆ ☆ ☆
読了ありがとうございます。
これにて1章は終わり、2章に続きます。あらすじを少し。
突然冬眠から目覚めてしまった流は、自身の通う学校へ向かい、そこで衝撃的な光景を目の当たりにする。
世界からただ一人取り残されたことを知り、流が選択したのは自らの死だった。
しかし―――。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。