5 斯くて扉は開かれる
最上層の展望フロアにて、流はもう長いことテラス席の一つを陣取り、考え事をしていた。
その実、ただぼんやりと虚空を見つめるだけの行為に何らかの思考が生み出されることなどなく。心の中は空っぽだった。
虚無の波間を漂う無意味な時間は、唐突に終わりを迎える。
「お客様、ご注文は何になさいますか?」
「……え?」
自分で発した呆けた声が、やけに大きく耳に響いた気がした。
意味が分からず顔を上げれば、給仕のアンドロイドが恭しく流にメニューを差し出していた。
いつの間にか朝の時間帯を迎えていたらしい。出勤したアンドロイドが露店の開店準備を始め、観光に来たアンドロイドが展望フロアに賑々しさを運んでくる。
「ああ、すいません。出ます」
流は、そそくさとその場から逃げ出した。
ひとまずエレベーターに乗り込み、最下層へ。
「……はっ、何やってんだか」
不意打ち気味に自らの発言を思い返し、自虐的に笑ってしまった。まさか、アンドロイド相手に謝罪するとは……。
いい加減疲れてきている証拠だった。いや、既に憔悴し切っているのかも知れない。
無理もない話だ。ここならばと期待し、訪れ、調べて、徒労に終わる。ここ最近はずっとそれの繰り返し。澱のような疲労感は、その度に募り積もっていく。
コネクターは何もするなと助言してくれる。すべては流のためを思ってのことだ、と。
皮肉でも何でもなく、本当にその通りなのかも知れない。何もしないことが流にとって一番気楽な道のりで、大人しく待つことだけが唯一許された自由。
「……」
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
冗談じゃなかった。
「いい加減分かっただろう、流。『都市』から出たとしてもお前の望みは叶わない。何もないに等しいのだから」
「……どうしてそう言い切れる? どこかに何かあるかも知れないだろ?」
淡々と詰め寄る声に、負けじと言い返す。意地を張る。そうすることしかできないから。
端末越しに、盛大なため息が聞こえてくるようだった。
「何かってなんだ? お前は一体何を目的としているんだ? 出ることができれば目的達成なのか? 違うだろ?」
コネクターがしたいのは、可能性の話ではない、建設的な話だ。流が縋りつく希望はあまりにも現実に即していない。
「分かるだろ?」
「分かんねえよ」
エレベーターが最下層で止まり、扉がスライドして開く。
流は黙々と歩いて最初に入ってきた地点まで戻ると、ぐるりと視線を巡らせて、出入り口とは反対側の壁際を舐めるように調べていった。
「やっぱりな」
思った通り、入ってきた西門のほぼ真向かいに面した壁にパネルが埋め込まれていた。その周りをよく見れば、長方形を象るように切れ目が走っている。
つまりはこれが、外界へと続く唯一の道だ。随分寄り道をしたが、ようやく辿り着いた。
いや、本音を言うのならこの扉の存在をあえて無視していた。どうせ開ける術など持ち合わせていないのだから、探したところで意味は無い。
八方塞がれた今だからこそ、藁にも縋りたい気持ちでここへやって来た。
試しに石扉を軽く叩いて、思い切り押して、切れ目に指先をひっかけ引っ張ってみる。当たり前だが、ビクともしない。
流は力なく項垂れ、ため息と一緒に弱音を吐き出した。
「どうにかできないのかこれ。諦め切れない……。せめて一度外に出てみて、それからでも……。ハンマーなんかじゃどうにもならないよな……。それならいっそ頑丈なロープかなんかを調達して、壁の上から跳び下りた方が―――あ?」
何の前触れもなく、分厚い扉がスライドして開き、外から光が差し込んだ。
自然の光に包まれる。これも流にとっては初めての経験だ。刹那の間視界を真っ白に焼いた閃光が晴れると、その先には緑豊かな草地と、木々が生い茂った森があった。
「……」
思わず一歩、後退した。
目の前の状況を理解するまで、瞬き一つほど。
「何で……」
ようやく吐き出した呟きは、吐息の割合が多すぎて、吹き込む湿った空気の中へと溶けていく。
もう一度息を吐き出す頃には、声帯は正しい機能を取り戻していた。
「何だ、何をした? 何をしたんだよ! 教えろ、コネクター!」
「お前が携帯端末を開閉パネルにかざし、認証を行った。まあ、偶然パネルの上に当たってしまっただけだが」
「ああっ? 何でそれで開く? そんなあっさり開いていいもんじゃないだろ、これは!」
「当然だ。『都市』の管理に従事するごく限られた者のみが開くことのできる扉だ。実際、本来の用途で扉を開けたのはこれが初めてのことになる」
尚更意味が分からない。『都市』の最高機密事項レベルで閉ざされていた扉が、何故、今開くのか。
流の困惑をよそに、コネクターは「けれど流、」と事もなげに続けた。
「お前の身分証の等級は、最大限まで引き上げられているんだろう? 入れないところはなく、開けられない扉はない。故に、これも例外ではない」
流は今度こそ、開いた口が塞がらなかった。
「お前……、それ、知ってて……?」
「お前も知っていたはずだぞ。すべての扉を開くことができる、と説明されたはずだ」
「……ああ、そうだったな……。ああ! そうだったよ、くそがっ!」
思わず壁に叩きつけた手のひらが、じんじんと燃えるように痛む。喉も同じだ。張り裂けていないのが不思議なくらいだった。
自傷行為は極力避けてきた。怪我をすれば病院へ無理やり収容されてしまうから。今この場においては、そうでもしなければ正気を保てそうになかった。
マグマのように煮え滾る怒りをぶつけるべき相手がここに居ない。自らの身に痛みを刻むことでしか、怒りを相殺できなかった。
流は携帯端末の向こうへ向けて、獣のような唸り声を発した。
「コネクター、お前は知っていて何にも言わなかったんだな。俺が右往左往する様を見て笑ってたわけか」
「笑ってはいないが、懸念していた。お前は何一つ確かなことがなかったとしても、『都市』の外へと出て行ってしまうのではないか、と」
コネクターは静かな声で警告する。
「流、『都市』から出てはいけない」
「……」
「何が、と断定するにはあまりにも懸念要素が多すぎる。だから対処の手段もない。コネクターは『都市』の外では活動できないし、携帯端末も使えなくなる。俺からの通信も途切れるだろう」
「はっ、そいつはいいこと聞いたな!」
「……流、俺はお前の邪魔をしたいわけじゃない。俺はお前を助けになりたくて―――、」
「ざけんなよ!」
コネクターの身勝手な言い分を、一喝して黙らせる。
一体誰が、何のために、流を冬眠から目覚めさせたのか。すっかり棚上げしている事の張本人に、もう一度己の罪を思い出させてやりたかった。
「全部、お前のせいだろうが!」
「……」
無言が返ってくるだけで満足だ。これまで散々振り回され、踊らされ続けた。それも、すべておしまいだ。
「待ってろよ、屑鉄どもが。全部叩き潰してやる」
宣戦布告を叩き付け、ずかずかと乱暴な足取りで扉を抜ける。
無造作に踏み出した次の一歩が、くしゃり、と柔らかな草地を踏みつけた。
☆ ☆ ☆
ここまでの読了、ありがとうございます。これにて3章完結です。繋ぎの章なので、短くまとめました。
八方塞がりから、未知の希望を見出し、一か八かの賭に出た流。次章では、探し求めていた反撃の糸口と遭遇します。
引き続き、楽しんでいただけると嬉しいです。