14 死という名の救い
何一つまともに考えられず、ただただ走り続けた先は、マンションの屋上。跳ね飛ばす勢いで鉄扉を開き、その場で四つん這いに倒れ伏す。
「はあ……、はあ……」
痙攣する足先と、千々に乱れた呼吸が、心肺機能の限界を訴える。しばらくの間、まるで生きた心地がしなかった。
ほどなくして全身が軋むような疲労感に襲われる頃、今度は恐怖が身を竦ませ始めた。
「どう、なった……? まさか、美月を俺が……っ」
最後まで口にする勇気はなかった。
軽い衝撃だったはずだ。置そのものに致命的なダメージが入ったとは考えられない。しかし、中身はどうだ?
何百年もの間培養液の中で保存されてきた人体だ、突然外気に晒されたことで思わぬ破損が起こる可能性を否定できない。
「どうする……、どうする……」
息が詰まり、喘ぐように開いた口から零れ出るのは、懺悔にも似た自己欺瞞。
何もできないことを理由に逃げ出したくせに、どこまでも恥ずかしかった。
死ぬしかない。
その結論に至るまでの道筋は、思い悩むにも至らないほど至極あっさりとしていた。
あらかじめ用意されていた最適解に、短絡的にも飛びついていた。
死ぬための理由ができた。大罪を犯したのだ、償うためにこの命を差し出そう。
「他にどうしようもねえだろ、これ……」
天を仰ぎ、呆然とする。
きっと、流は間違えたのだ。
もう一度眠りに就ければそれで良かった。今日のことはとても珍しい経験として、思い出の彼方へと忘却できる。
たったそれだけのことが、もはや叶わない。
死にたい。
死によって救われたい。
一人ぼっちのこの世界から、一刻も早く逃げ出したい。
流はゆっくりと立ち上がると、重たい足を引きずって、屋上の縁に立った。
「落ち着け流。彼女に問題ない。今対応するための、」
「うるっせええ!」
激声が、コネクターの説得を掻き消した。今まで一番の大声だったに違いない。喉は火鉢を当てられたように熱くなり、眦に涙が浮かぶ。
頬を伝う涙に含まれた感情が何を意味しているのか。もはや流自身にも分からなかった。
「こうすればいい。そうだ、こうすれば簡単に眠れる。はは、よし……」
恐怖よりもむしろ、何もできないことへの苛立ちの方が大きかった。
心は激しく高揚し、そっと流の背中を押してくれる。
「流、待ってくれ。それは、」
「黙ってろって言ってんだ―――よっ!」
流は制止を振り切って、屋上から思い切り空へと飛び出した。
一瞬の間。次には、味わったことのない強烈な浮遊感に襲われる。
「―――それでは死ぬことはできないんだ、流」
風切り音が耳を掠める直前、コネクターの声が届いた。
激突までの数秒間、流の頭は勝手に思考を巡らせ始める。が、その発言の意味を理解するよりも先に、横合いから身体を衝撃が襲った。
地面まではまだ遠い。一体何が当たったのかと、吹き荒れる風の中瞳をこじ開ければ、腰回りにアンドロイドが一体張り付いていた。
次いで、下からの突風に突き上げられる。
「う、おおっ?」
思考がまるで追いつかないまま、落下の勢いは激減された。
同時に、アンドロイドが自ら盾となって流を守る。その胸部が勢いよく開いてエアバックが膨らみ、落下の衝撃を相殺した。
「……なん、だ? ……え?」
気付くと、流は何事もなく着地を果たした。高層マンションからの決死のダイブが、無かったことにされた。
何が起きたか分からず、まず上を見て、次に横を見る。エアバックが萎んだ後には、アンドロイドが一体倒れている。
損壊はそれほどでもないのか、すぐに起き上がった。頭部の外装は大きくひしゃげているが、容易に見分けることができた。
流を助けたのは、美月のコネクターだった。