2 各々の立ち位置
対抗する術は何か無いのかと探しながらも、本当のところは不安ばかりが募る。
流がどれほど彼らを警戒したところで、まったく無意味なのかも知れない。
「それじゃあ連中は、あの時いつでも屋上に上がってくることができたってことか?」
「そうだ。誰ひとりお前を追いかける者などいなかった。緊急処理システムを解除して、それまで通りの日常に戻った。美月も重治も、何事もなく授業を受けていた」
「あれだけみっともなく喚いたのに?」
「その記憶は模倣された人格の中に存在しない。そういうことになった」
「しない、ことになった?」
何だそれは、と流は驚愕する。
流は教室に現れなかった、という形に事実を捻じ曲げたような言い方だ。誰かが決定し、皆がそれに従った。
では、誰が?
「それもコネクターの総意ってやつで決められたことか? 俺があそこで騒いだことはお前らにとって都合が悪いから?」
「その通りだ。模倣人格はあくまでいつも通りの日常を過ごしてもらわなければ困る。我々が記録した記憶のデータはいずれ、冬眠者へ移すことを前提としているからな」
遥か未来、冬眠者の意識が氷漬けにした肉体に戻り、目を覚ました時、記憶に齟齬が発生してはならない。故に、あらゆる取捨選択の決定権を握るのは、あくまでも模倣された人格の方だ。
彼らに多大なストレスを与えた結果、その先の行動を制御することが困難に陥る。それを避けるための苦肉の策だった。
人工冬眠計画において、目を覚ました流は完全なる異常事態。
あってはならないことであり、居てはいけない存在。
それを知覚したことによって影響を受けた模倣人格が、次にどういう行動に出るかまったく予測できない。
「どういう経路をたどったとしても、行き着く果てはパニックになるだろうと結論付けられた」
最悪の予測を回避すべく、アンドロイドはあの時模倣人格のシャットダウンを強制執行した。
「前にも言ったが、緊急処理システムが発動したとき、コネクターは互いの意識を共有する。そのため完全に独立した個にはなりえない。つまり」
「バックアップが可能ってことか……」
簡単な話だ。
二年一組の教室から流が居なくなった後、アンドロイドたちは流が現れる前の記憶データを引っ張り出し、そこからもう一度やり直したのだ。あたかも乱入者などいなかったように、記憶を改竄した。
模倣人格はそこに違和感を覚えない。何故なら、その影に隠れた人工知能がすべて知っているから。
仮面を被っているようなものだ、有能な役者が舞台の上で滑稽な道化師を演じているのと同じ。
主導権を握っているのは、やはりアンドロイド側なのだ。
「それで? 何で連中は俺を追って来ない?」
それぞれの置かれた立ち位置は概ね理解できたが、それならいっそう疑問が深まる。
彼らは何故、流を放っておくのか。
「俺を調べるって言っていたじゃないか。で、どうなんだ。連中は俺を調べたのか?」
「いいや。眠っていたお前をベッドに寝かせただけだ」
「だから何で!」
語気を強める流に対し、コネクターはあくまでも淡々と続ける。
「流。誤解がないように言わせてもらうが、我々はお前に危害を加えるようなことは決してしない。だから、同意もなしに身体を弄り回したり、頭の中を覗きこむようなことは断じてない」
「はん、それを信じろって? 誰かに命令でもされてるってか?」
「その通りだ」
小馬鹿にしたような軽口に、しかしコネクターは真面目に応える。
「我々を作ったのは人間だぞ? 人間に対するあらゆる攻撃、制約、強制を、コネクターが行えるはずがない」
「……前に聞いたことがある話だな」
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって人間に危害を及ぼしてはならない。
それは、ロボットに遵守させるべき原則の一つだ。
『都市』に生まれた流にとって、自律的に動くロボットはとても身近な存在だった。彼らに対する扱い方、その道徳観は義務教育に組み込まれている。
その話を聞いたのは果たしてどれほど前のことになるのか。正直今は考えたくない。
「これは絶対的な命令だ。遵守できないものは存在しない。……存在しなかった」
コネクターは、ぼそりとひと言付け加える。
自責の念がないではないのだろうが、そんなこと流の知ったことではない。
流が知りたいのは、今周囲を取り巻く状況のすべてだ。
「流、お前はとても自由な立場にいる。例外的な危険行為を起こさない限り、コネクターはお前に干渉できない」
「自由、ね……」
その単語を舌の上で転がして、次には鼻で笑い飛ばした。
「は、何が自由だ、こんなもんが? ……ざけんなよっ」
押し殺すよう放った威嚇は、どこまでも攻撃的で刺々しい。
そんな感情を抱いたところでどうにもならないことは分かっていても、コネクターを恨まずにはいられなかった。
思うことは一つ。どうしてこんなことになってしまったのか。それだけだ。
やるせない吐息が零れる。流は今にも泣き出しそうな表情を俯かせ、ぐっと拳を握った。
小さな声で確認する。
「機械の連中は俺の行動を阻害しない。そう言ったな? 自由にしていいって」
「ああ」
流は目元を擦り、顔を上げ、しかと前を見据えた。
「なら、こっちにだって考えはある」
長い廊下の先、病院の玄関口へと辿り着く。
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