4 無機質な問答
慎重を期して、まずは確認する。
「……緊急事態っていうのは俺のことでいいのか? 俺が、こうして生身でいるってことだよな? それ以外にないだろ?」
「その通りです。主人格に無用な混乱が生じるのを避け、あなたの身の安全を確保するため、緊急システムが稼働しました」
「ってことはさ、お前は俺が生身の人間だって分かるんだよな? どうして美月たちには分からなかったんだよ?」
「叶野美月はあなたの姿を正しく認識していました。しかし、昨日までの鈴白流との違いを認知できなかったのです」
淡々とした返答に対し、流は首を傾げるしかできない。
「どういうことだ?」
「生身である鈴白流と、コネクターである鈴白流との差異を知覚できなかったのです。我々にとって重要なのは、あなたが鈴白流の意識を持った個体であるということに尽きます」
「……」
流は唸るように言葉を詰まらせた。外国語で書かれた数学の教科書を見せつけられている気分だ。
鬱陶しそうに前髪を掻き上げ、「分かんねえ話はいい」と一度切り捨てる。
「とにかく。理由は分からないけど俺だけ目が覚めたんだ。どうしてそんなことに……。コネクターなら理由が分かるだろ? 手違いってことはないだろうし。たぶん、事故かなんかだと思うんだ」
いや、この際目覚めた理由なんてどうでも良い。
流は、矢継ぎ早に要求する。
「もう一度眠らせてくれ。……できる、よな?」
「もちろん可能です。鈴白流、あなたに再度冬眠措置を行います」
「は、そっか……」
流は、喉につっかえていたものを、短い吐息と一緒に吐き出した。
鬼が出たか蛇が出たかと身構えたが、果たして相手は話が通じる上に友好的だ。それを認めて、ようやく胸を撫で下ろすことができた。
何とかなる、何とかなりそうだ、道が開けた。
心は余裕を取り戻し、頬が俄かに緩む。
「―――しかし、その前に我々はこの件について調査しなくてはなりません」
「え、調査……?」
束の間、流は眉根を潜めた。が、すぐに「それもそうか」と考え直す。
「冬眠装置に不具合があるんなら、もう一回寝てもまた目が覚める可能性があるもんな」
「いいえ、装置に不備はありません」
「え?」
流の予想を裏切って、コネクターは首を横に振った。
そして、繰り返し告げる。『ゆりかご』に機械的な不備はなかった、と。
「機器のメンテナンスは定期的かつ完璧に行われていました。これまで致命的な欠陥が見つかった事例は存在しません」
「そんなこと言ったって……。何かしら小さいパーツが一つだけ壊れたとか」
「機器の些細な故障によってオペレーターが目覚める可能性は限りなくゼロです。あなたが目覚め、正常に行動していることが何よりの証拠になります」
もしも本当に『ゆりかご』の故障が原因ならば、中で眠っていた流が何事もなく目覚めるはずはない。
アンドロイドはそう主張する。
「あなたが目覚めた理由は、現在まったくの不明です。故に、原因を調査しなければ冬眠措置に移行することはできません」
「ちょっと待てよ!」
流は声を固くし口を挟んでいた。
とても嫌な予感がする。
「何だ、さっきから調査調査って……。それは長くかかるのか?」
「不明です。現段階で調査期間を決定することはできません」
「不明って……。じゃあその間俺はどうするんだよ。寝られないのか?」
「原因不明のまま鈴白流の冬眠を再開させるわけにはいきません。その間あなたには我々に協力していただきたいと思います」
「協力って?」
「調査です」
「だから、何をだ!」
淡々と繰り返されるだけの回答。流は、「いい加減にしてくれ!」と業を煮やした。
装置に問題がないのなら、一体何の調査をするというのか。
「あなたを、です。鈴白流」
「……俺?」
真っ直ぐに指示してくる手のひらと、無機質な瞳を交互に見て、流は一歩身を引いた。
「俺の、何を調べるって?」
少しだけ広がった視野が映し出す、まったく同じ顔をしたアンドロイドたちの姿。
彼らは皆、声を揃えて口々に主張する。これはおかしい。奇妙な出来事だ。だから、調べなくてはならない、と。
「この『都市』において、あなただけが目を覚ましました」
「『人工冬眠計画』において、あなただけが目を覚ましたのです」
「あなただけが異常です」
「異常は混乱を招きます」
「混乱は防がなくてはなりません」
「そのためには調査が必要です」
「鈴白流を調査する必要があります」
「「「鈴白流。我々に協力していただきたい」」」
大きく吸い込んだ息が、喉でひゅうっ、と歪な音を立てた。
「ま、待て!」
流は必死な形相を浮かべて、両手を大きく突き出す。
「違う違う! そうじゃないだろ! 何で俺をっ、俺のせいみたいに! だ、誰かが俺を起こしたんだ! 誰か、『ゆりかご』のスイッチを切った奴がいるんだよ!」
右手の携帯端末を掲げて訴えかける。嘘ではない、心当たりはある、と。
流に学校へ行けと命令した人物のことを知れば、きっと誤解を解くことができる。
引き攣る喉を懸命に震わせ、叫ぶように主張した。
「だから、俺のせいみたいに言うんじゃねえよ!」
そんなはずはないのだ。
訳も分からずあらゆるものから取り残されて、切り離されて、たった一人孤独に喘ぐこの状況を作り出した元凶が、自分自身であるはずがない。
あってはならない。
「あなたが原因ではないというのなら、ならば鈴白流。私たちに協力してください。あなたも事態の早期解決を望んでいるはずです」
「いや、だから、俺を調べる必要はなくて……っ。そんなことしなくていいって言ってんだろ!」
世界が遠く、狭まっていくのを感じた。
強張る心臓の鼓動に合わせて呼吸が短く早くなる。手足がしびれたように身動きが取れない。
友好的だなどという勘違いは、とっくに頭の中からすっぽ抜けていた。
言葉を交わすことができるのに意思疎通が図れない。人の形をしているのに浮かべる表情はどれも不気味でおぞましい。
このままでは何をされるか分からない。
「来んなよ……っ。こっち来んな!」
流は身を翻し、教室から逃げ出した。みっともなく悲鳴を上げ、転がりながら震える足で走る。
そんな彼の姿を、無様だと笑ってくれる者さえいない。
足音ひとつなくぴったりと背中に張り付いてくるのは、無機質な瞳に灯る不気味な光。
見られている。
追われている。
迫ってきている。
「―――っ!!」
流は、狂った犬畜生のように走り続けた。
☆ ☆ ☆