七、貴女が迎えの人かしら?
いつも遠く離れて海から眺めていたリヴェール国の港町。あらゆる国から船が集い、人や荷物が盛んに出入りする港はたとえ早朝であろうと活気づいている。
荷物を積み込んでは慌ただしく旅立とうとする船。積み荷を下ろしてはのんびりと景色を楽しむ船乗りたち。船から降りると興味深そうに町並みを眺める旅人――
この町を訪れる理由は人それぞれにある。けれど遠くからでも肌で感じられるほど、賑わいの声が途絶えることはない。
そんな港町から海岸沿いに回り込めば静かな砂浜へと場面は変わる。白い砂浜に波が打ち付ける様子はリゾート地のパンフレットのような美しさで、今となってはその海で泳ぎ放題という贅沢をしている私がいた。
砂浜の先には険しい岩肌を見せる崖がある。そこから視線を上げていくと、崖の上には立派なお城が建っている。
この辺りの海域は深く流れが早いため人間たちからは危険視されている。そのため私は人目を忍び、時折この美しい人間の城を眺めに訪れていた。
確かに海の世界は美しいけれどね。海ばかり見ていると飽きるんです。たまには建築物が恋しくなるんです!
誰が住んでいるのかも知らないけれど、見晴らしのいい丘の上、その最上階ともなればどれほどの絶景が待っているのだろう。そんなことを考えるのが楽しみだった。
さらに回り込めば人気のない岩場へと辿り着き、奥まったところにはひっそりとした洞窟がある。遠く離れた海から様子を窺うと、入口にはシンプルな紺色のワンピースを来た女性が立っていた。ぴんと背筋を伸ばし、立ち姿の美しい人だ。
その姿がラージェス様ではないことに朝早くから呼び立てたことを申し訳なく思いながら、私は海に潜り水中から洞窟を目指した。
この洞窟、実は海と繋がっているのよ。洞窟内は空洞になっていて、空気もあるわ。レイシーにはああ言ったけれど、もしもラージェス様が悪い人だったら困るもの。いつでも逃げ出せる用意はしておかないとね。
備えあれば憂いなし。私は慎重に水面の様子を探った。
洞窟内は薄暗く、こちらから外の様子が見えていないように、入口からも中の様子は見えないらしい。水位は低く、人が立って歩くには十分な空間が広がっている。
そんな洞窟内には取り残されたように置かれたカゴが一つ。中には女性用の衣服と、横には靴が置かれていた。
ラージェス様が正しく約束を守ってくれたことに安堵すると同時に、後戻りは出来ないという緊張が生まれる。
これでもう、後戻り出来ない。
人魚から人間へ――
魔法のような変身はほんの一瞬だ。海から這い上がる頃には鱗で覆われていた足は人間と同じものに変わっている。本来私たちは望めばいくらでも歩き回ることが出来る。もちろんその逆も、人魚に戻ることさえも自由だ。
二本の足で地面に立つと、久しぶりの感覚に身体は驚いていた。親切なことにカゴにはタオルまで用意されていて、私は懐かしい人間の服に袖を通す。慣れない作りの服ではあるけれど、一人でも着られような簡単な構造でほっとしていた。
そうして袖を通し、靴を履いたところで疑問に思う。
着こなしって、これでいいのかしら? ああ、迎えの人に聞いてみればいいのよね!
迎えの女性は最初に目にした通り、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま身じろぎもしない。背後から見た印象では細っそりとした身体つきに、おくれ毛すらも許さないと言うような完璧に結い上げられた髪型が妙な迫力を感じさせた。
いきなり背後から声を掛けて驚かさないよう、私はわざと靴音を響かせて近付く。
「貴女が迎えの方かしら?」
微動だにすることのなかった女性は私の気配に気付いて振り返る。眼鏡のレンズ越しに私たちは視線を合わせているけれど、皺の刻まれた目元は見るからに驚いていた。
「貴女はいったい、どこから現れて……」
まあ、そうなるでしょうね。
「初めまして。私はエスティーナといいますわ」
私が名乗ると女性は短く息を詰め、姿勢を正した。
「貴女様が……それはっ! いえ、詮索は迎えのお役目を賜りましたわたくしには関係のないことでしょうに……。どのような方であろうと、わたくしは……」
女性はすぐに落ち着きの色を取り戻す。表情と共に声からも驚きは消えていた。驚くという感情が去り後に残されたのは厳しさを伴う目つきだ。本来は感情の起伏が乏しい人なのかもしれない。
「大変失礼致しました。わたくしは旦那様の命によりエスティーナ様をお迎えにまいりました。イデット・ノーマンと申します。わたくしたち使用人一同、エスティーナ様をお迎え出来ますこと、心より嬉しく思います」
嬉しい、ねえ……
そうは言ってもつんとした物言いは人を突き放すような雰囲気を放っている。厳しそうな口調にはどうしても身構えてしまう。
「エスティーナ様。まずはわたくしからは一言、発言を許可いただけますでしょうか?」
「もちろんですわ」
「わたくしは幼い頃から坊ちゃま――っ、いえ。旦那様の成長を誰よりそばで見守ってまいりました」
「は、い……?」
わけもわからず、私は相づちを打っていた。
「坊ちゃま――こほん。旦那様は、それはそれは可愛らしいお子様だったのです。父親譲りの人を惹きつけてやまない人望、母親譲りの繊細な美しさ。それでいて昔から少々お転婆な面も持ち合わせていらっしゃたのです」
そう告げるイデットさんは少しだけ微笑んでいるようにも見える。でも、これは……そう、これは……
何の話!?
「木登り脱走、迷子の常習犯。打ち身切り傷は日常茶飯事。はては嵐の海で船から落ちて溺れかけただの、先日も船ごと行方不明になられたそうで。私はいったい何度旦那様の身を案じて涙を流せばよろしいのでしょうか」
「はあ……」
「まったく誰に似たのでしょう。いつもわたくしの寿命を縮めるような真似ばかりなさるのです。先日の行方不明事件など、まさに寿命が尽きる思いでした。ええもう、弱い五十にして天に召されかけましたとも。無事にお戻りくださったこと、お姿を目にした瞬間には間抜けにも膝から崩れ落ちてしまったものです」
そうしてイデットさんは一言と言いながらも結構な尺で旦那様との思い出を語っていった。
「この度の結婚においても同じです。無事にお戻り下さったかと思えば、突然結婚するなどと申されて!」
これは……大変なんですね、とでも言っておくべきなのかしら!? それに怖そうに見えるけれど、結構良い人? 饒舌だし。
「しかしながら、そのようなお姿さえ可愛らしくもあるのですから怖ろしい。わたくしは坊ちゃまの愛らしさに笑顔を教わったと申し上げても過言ではありません。ですからわたくしどもはみな、純粋な坊ちゃま――旦那様が悪い女に騙されていやしないかと心配しているのです」
成程。私が坊ちゃま――じゃないっ! すっかりイデットさんの癖が移ってしまったわ……。
成程。私は旦那様を誑かした悪女かもしれないと疑われているのね。私の旦那様は随分と慕われているようね。
「時にエスティーナ様」
「はいっ!?」
もしかして心の中で気を抜いていてことがばれた!? それとも悪女にはお帰り願います!?
いきなり名前を呼ばれたことで再び緊張が襲う。
「わたくしは先日、初めて嬉し涙を流すという体験を致しましたが。それは貴女のおかげなのですよ。エスティーナ様」
お小言ではなかったことにも驚いたけれど、原因が私だということにも驚かされる。
「坊ちゃまは……旦那様は気丈に振る舞ってはいらっしゃいますが、とても孤独な方なのです。ですから結婚についてはあまりのことに悲鳴を上げてしまったとはいえ、旦那様が苦楽をともにしたいと思える相手を見つけられたことは非常に喜ばしいことでした。ですからエスティーナ様、いえ奥様!」
「お、奥様……」
「使用人の身でありながらこのようなことを申し上げ、大変おこがましいと思われるかもしれませんが……旦那様はわたくしにとって実の息子も同然なのです! ですからどうか、わたくしたちの旦那様をよろしくお願い申し上げます!」
いつの間にか私の手はイデットさんによってがっしりと捕まれていた。
あの、イデットさん? 貴女細く見えるんですけど、どこにそんな力が隠されているの!? びくともしないっ!
とても断れる雰囲気でないことは察してもらいたい。
新キャラ登場です。イデットさん、これからも登場なさいますのでご記憶いただけましたら幸いです!
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それでは続きはまた明日。




