四、王子様とか聞いてません
「あー……すまん。我を忘れた」
あれから一悶着あってのこと。ようやく私に逃げ出すつもりなないことを理解してくれようで、再会を名残惜しそうにしているところをなんとか浜までお引き取りいただいた。
そうして私が混乱しているうちに彼も自らの仲間に事情を説明し、ようやく話を終えたところで飛び出したのがこの台詞だ。
「そ、そうね。私も、見苦しいところを見せたわ……」
おかげで交渉前に気まずい空気が漂っているじゃない! どうしてくれるのよ!
「交渉の話だけど!」
私は半ば自棄になって叫んだ。当初の目的を忘れられては困る。
「ああ、了解した。交渉なら俺が話を聞かせてもらう」
やはり私の交渉相手は先ほど不埒な真似を働いた彼だった。お前かよと危うくツッコミそうになったけれどここは我慢。
「俺の名はラージェス。この船の責任者ってところだ。その、色々と無礼を働いて申し訳なかった。話を聞かせてもらえると助かる」
その言葉に偽りはないようで、交渉役を引き受けてくれたことに船員たちは安堵している。おそらくみな自分には荷が重いと感じていたのだろう。彼への信頼と、彼自身の頼もしさが垣間見えた。
前代未聞の交渉だ。それを最高責任者であると真っ先に名乗りを上げる姿には好感が持てる。見た目の印象は、正直に言って軽薄そうな海の男という印象だったけれど……早急に訂正と謝罪を送っておいた。
「改めまして、ラージェス様。私は海の王の娘、エスティーナと申しますわ。正当なる王女として、私の発言は王の意向でもあることを申し上げておきます」
私は王の名代、代弁者。私が発案者という立場もあり、陛下には私に行かせてほしいとお願いしている。
「嵐に遭遇し船を失った方々、私たちが助けて差し上げますわ」
「随分とお優しい提案だな。早速そっちの条件を聞かせてもらおうか」
ふうん。この人……この状況に差し伸べられた救いの手、有り難くないわけがないでしょうに……。これは気を引き締めて交渉に当たる必要があるわね。
彼はすぐに助かるや、有り難い等の言葉を発しなかった。あくまでも交渉、立場は同じ。自分たちは弱者ではないという威圧感を放っている。聡明な相手であることは頼もしいけれど、頭が切れすぎるとなれば厄介だ。
「貴方たちを助ける変わりに、私たちを助けてもらいます。私たちを守ってほしいと言うべきかしら」
「守る? 俺たちが……一体何からだ?」
「貴方たち人間からですわ」
「なんだと?」
「知らないとは言わせない。私たち、人間の世界では高値で取り引きされているのでしょう」
金色の瞳を携えた見目の整った容姿。鱗に覆われた足は人間にしてみれば珍しく、見世物にされている。観賞用にと取り引きされることもあるそうだ。そのために私たちは人間に近付くことを危険なことだと教えられている。
「私たちの要求は簡単よ。人魚を捕らえることを罪として取り締まってほしいのです」
いくら人間が危険だと説明しても好奇心に負ける者はいる。けれど私たちには捕らえられた仲間を救うことは出来ない。それを食い止めることも出来ない。人間のことは人間に対処してもらうしかないのだ。
「なるほど……。そっちの望みは把握した。けど、俺らを助けるって条件に見合うかは微妙なところだ」
「つまり?」
「なあ、エスティーナ姫。お前は話がわかりそうな奴だから言わせてもらうが、割に合わないとは思わないか?」
「私は昔、貴方を助けたはずよ」
憶えてはいないけれど、交渉の材料に使わせてもらう。ラージェス様も痛いところを突かれたと苦い顔をしていた。
「もちろん感謝はしてるいる。個人的には頷いてやりたいが、俺も人の上に立つ身なんだよ」
お前も姫ならばわかるだろと視線が訴えている。やっぱり簡単には頷いてくれない相手のようだ。
「いいわ。貴方たちが私たちを守って下さるのなら、私たちも貴方たちを守ることを約束します」
「何?」
「ねえ、ラージェス様。貴方たちは勘違いしているのではないかしら? 私は今、交渉……対等な立場での取引を行っているけれど、私たちを敵に回して無事に航海が出来ると思う?」
「なんだと!?」
今度は人間たちの間に緊張が走る。
「もしかして、私たちをただ人間に捕まるだけのか弱い存在だと思っているのではなくて? 人魚を大人しいだけの種族と思われては困りますわ。私たちは海の支配者、私たちを敵に回して安全な航海を望めるとは思わないことね」
仲間たちは私の合図で武器を構える。もし海中から船を攻撃されたとしたらどう? 怖ろしいでしょう? 今度は私が視線で訴えかける番だ。
「けれど私たちも人間と争いたくはありません。だから助けを乞うのです。逆に考えてみてほしいのだけれど、私たちを味方につけることほど海で頼もしいことはないはずよ。賛同していただけるのなら積極的に海で困っている人間を助けることを約束します。ラージェス様も、海を敵にしたくはないですよね?」
これはラージェス様たちの国が貿易によって発展していることを見極めたうえでの挑発。航路という手段を封じられて困る人間を相手にしなければ意味はない。
「そうそう! 言っておくけれど、私たちはたまたまラージェス様たちを交渉相手に選んだだけですわ。もし断られてしまったら、そうね。また他の人間を相手に交渉しないといけないわ。例えば、別の国の人間だとか」
「随分と人間の事情に詳しいんだな」
誰だって自分の利益が惜しいはず。それを他国に奪われるとなれば尚更だ。
「かいかぶりですわ。それに、なにもこの場で頷けと言うつもりはありません。無事国にお帰りいただき、この話を上の方に伝えてほしいのです」
「いや、その必要はない」
「まあ! この状況で、自力で国に戻れると思っているのかしら? それともいつ来るかもわからない助けを待つとでも?」
漂い始めた不穏な空気にラージェス様は盛大に慌てていた。
「まてまて! 話は聞かせてもらったって意味だ! もちろん俺の一存だけで頷くことは出来ないが、正直貿易が盛んな我が国には願ってもない話だからな。説得次第でみんなも頷いてくれるだろう。無事国に帰ることが出来たのなら前向きに検討させてもらう。約束するぜ!」
えっと、この言い方って……
「もしかしてラージェス様って、結構偉いお役目の人……だったりします?」
当初、私はこの交渉こそが大事件だと思っていた。けれど人間たちにとっての大事件はすでに起こっていたのだ。
「一応、リヴェール国の王子だが」
王子が遭難して行方不明なんて大事件じゃないのー!!
「言ってなかったか?」
「聞いてません!」
「ラージェス・イストリアだ。よろしくな」
よろしくじゃないですよね!?
「しかし一つ問題がある」
深刻な顔で切り出したのはラージェス様。いえもっと慌ててほしいわ、王子様っ!
「互いに手を結んだとして、それを確かめる術がない。俺たちは互いに生きる世界が違うだろ? そこで俺からエスティーナ姫に提案がある」
「何かしら」
「妻として俺の城で暮らさないか? そうすればいつでも俺たちの誠意ある対応をその目で見届けられるぜ」
この提案を受けた時の私の心境、わかります?
「…………は……のですか?」
「は?」
彼が首を傾げるので私は再度声を荒げた。
「三食寝床は付くのですかと聞いているのですわ!」
それはそれは激し過ぎる衝撃に、前のめりに問い質したところラージェス様は若干引き気味でした。
「あ、ああ、もちろんだ」
「どのような!?」
「どのような!?」
「詳しく! 詳細を求めますわ! 食事は誰が作りますの!? メニューは!?」
「あ、あーっと……なんだ。城の料理人が丹精込めて作った品を提供しよう。腕はいい。美味いと、俺は思う」
「お部屋はどのような!?」
「どのような!?」
「言っておきますけれど、牢屋生活なんて論外ですわ!」
「あ、ああ、なるほどそういうことか。部屋は……最上級の部屋を用意することを約束する。柔らかなベッドに、ふかふかのソファーも用意させよう。調度品も一流のものだ。間違っても固い牢獄で過ごさせることはないから安心してくれ」
「ふふ、ふふふ……」
この私を人質にしようというのね。ああ、こんなにも笑いが止まらない日が来るなんて!
「いいでしょう。その提案、乗りますわ!」
大声で宣言すると仲間たちどころか発案者であるラージェス様も口を開けていた。
本日の更新はここまでとなります。
また朝になりましたら更新予定です。
その後の二人はいかに……よろしくお願い致します!