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2 猫

 猫はじっと莉乃を見ていた。莉乃もじっと猫を見ていた。


 午後のホームルームが終わり、さて帰ろうとしたとき、担任の先生に声をかけられてしまった。沢園とかいう名前の先生で、長い間この学校にいるらしい。プリントを運ぶのを手伝えというから、手伝って国語準備室まで着いて行った。沢園先生は莉乃をイスに座らせると「何か悩んでることはないか」なんて聞いてきたのだ。

 「特にないです」と答えたが信じて貰えなかった。なら最初から質問しなければいいのに、なんて言わなかった。沢園先生は、莉乃が入学してから誰かと会話している所を見たことが無いらしい。

 そんなことないと納得させるのに思ったよりも時間がかかってしまった。車で送っていこうかと聞かれたが丁寧に断った。

 そういう訳で莉乃はもう日が沈みかけているこんな時間に、帰宅しようとしているのだった。


 途中、猫を見つけた。もしかしたら、猫に見つけられたというのが正しいかもしれない。

 猫は、今朝良平と会った場所でずっとうろうろしていたようで、莉乃を見つけると、猫らしい柔らかいステップで莉乃の所までやってきた。そして、莉乃の目をじっと見ていた。

 だから莉乃も、猫をじっと見ることにした。かくして3分程が経った。


 猫は飽きたのか、自分から目をそらしてどこかに歩いて行ってしまった。


「なんだよ。猫」


 猫はもう行ってしまったから、誰に言うでなく莉乃は愚痴ると、家に向かって歩き出した。その頃にはもうすっかり日は落ちていた。

 通り町通りを抜けて人のいない住宅街にさしかかったところで莉乃は気づいた。


 誰かが後をつけている。


 多分、通り町通りの辺りからだったと思う。後ろに誰かいる。ほんの少しだけ歩調を早めてみる。後ろの誰かも同じく歩調を早めた。ついてきている。確信した。

 家の場所を知られないように、少し遠回りで住宅街を歩いてまわった。今日ほど誰かが気づいてくれたらと思ったことはなかった。


 息が荒い。そもそも運動は得意ではないけれど、足がやけに重かった。それなのに、注意していないと走り出してしまいそうだった。幽霊を見たって怖くないのに、なんで、こんなのが怖いんだろう。自分に嫌気がさした。


 ふとカーブミラーを見た瞬間、後ろの誰かの姿が見えた。

 上下黒いシャカシャカした服に、同じく黒いキャップを目深に被り、マスクをつけていた。全身真っ黒なのにマスクだけ白くて、カーブミラーの近くに立っている白い街灯に照らされて、マスクだけが浮いているようにだって見えた。

 しかし迂闊だった。もしかしたら1秒だってカーブミラーを見ていなかったかもしれないのに、後ろの誰かと目があった。

 キャップとマスクの間から覗く血に飢えたナイフみたいな眼孔が、莉乃の本能に危険信号を出した。


 振り返ろうとしてももう遅かった。


「……っ!」


 後ろの誰かは莉乃の腕を掴んで、もう片方の手で莉乃の口を抑えた。

 男の人だ。と思った。

 買わされたばかりの教科書の入った鞄は投げ出され、カーブミラーにぶつかって地面に落ちた。こういう時どうしたらいいかなんて知らなかった。多分抵抗して、声を出せばいいのだろうけど、声なんてでなかった。どんなに叫ぼうとしたって、喉に蓋がされてるみたいになって声が消えてしまう。かろうじて出た拒絶の声だって、誰かの手が握り潰した。


 どうやったかなんて覚えてない。捕まれていた腕がブレザーの袖からするりと抜けた。そのまま抵抗しようとしたら、肘が誰かのお腹の辺りに当たった。一瞬拘束が解けた。莉乃は走り出そうと足を踏み出した。


 この瞬間、莉乃は自分の運動神経を呪った。右足が左足を蹴り飛ばした。なんとか右肩から落ちたけど、痛いなんて言う間もなく、誰かが莉乃に覆い被さった。

 やっぱり声なんて出なかった。誰かは莉乃の二の腕を抑えた。


 もうだめかもしれないと思った瞬間、莉乃の中で、何かが壊れた。


「……もう、好きにすれば……?」


 言い終わるかどうか、誰かは殴り飛ばされたみたいになって近くの外壁にぶつかって動かなくなった。

 莉乃ははっとして我に返った。誰かは動かない。死んでいるかもしれない。しかしそんなことどうでも良かった。莉乃は壊れた何かを拾い集めて、家に向かって走り出した。


「あ、今朝の……」


 角を2回程曲がったところに、淳がいた。

 淳は、どうもすみませんというようにへらへらしながらそこに立っていた。


 幽霊なのに、幽霊だけど、バカみたいにほっとしている自分がいることに気がついた。なぜか涙が溢れて、その場にうずくまってしまった。


「わわっ!なんで泣くんすか!自分なんかしたっすか!?」


「なんで、も、ない、です……気に、しないで、下さい……」


「そ、そうっすか……?」


 莉乃はひとしきり泣いてから、外壁にもたれるように膝を抱えて座った。

 街灯が2人を照らした。でも淳には影ができない。本当に幽霊なんだなと莉乃は思った。


「昔から、コンプレックスだったんです」


 何が、と聞かなくても淳はわかった。

 莉乃は膝を抱えきれていなかった。原因は、膝と体の間にある、高校生にしては大きな胸。それを押しつぶすみたいに体を縮こめている。


「これのせいで、変な人に声かけられる事も結構あって。高校だって本当は別の所が良かったんです。でも、受験の日、痴漢に遭って、乗り換えた後もまた……それで、電車嫌いになっちゃって、合格辞退したんです。それで、歩いて通えるこっちの高校に……」


「誰かに相談とかはしたんすか」


「親くらいのものです」


 淳はしばらく考え込んだ後、ぽんと手を叩いて言った。


「自分、動物と会話できるんすよ」


「え?」


「猫とか犬とか、あと頑張れば魚もいけるっす」


「幽霊だから?」


「違うっす。生前からっす」


 莉乃は一瞬ぽかんとして、ふっと笑みがこぼれてしまった。


「なに、それ、信じると、思ってるんですか?」


「ホントっす!ホントに喋れるっす!」


 慌てる淳を見て、莉乃はまた笑ってしまった。

 莉乃は笑いをどこかに収めながら、ゆっくり立ち上がってスカートを払った。


「ありがとうございました。えっと、淳さん」


「え、あ?うっす」


「あの、さっきの人、死んでないですよね」


「さっき?なんのことすか?」


 莉乃はまた可笑しくなってクスクスと笑ってしまった。


「じゃあ、また明日」


 莉乃は淳に一礼して帰路についた。途中で、鞄を忘れた事に気がついたけど、家についてみたら玄関に置いてあった。多分淳がやったのだろう。

 莉乃は、ちょっとくらい協力してもいいかな、と思った。

 ちなみに、帰ってから「こんな時間まで何してたの!」とめちゃくちゃ怒られた。


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