1 新入生
4月、家が近いからという理由で選んだ高校への道を、少女は歩いていた。この道を3年間歩くことになる訳だけど、別にこれといって思い入れは無かった。なぜならそもそも近所だったから。目新しい物も無いし高校生になったからといって何が変わるわけではない。
と、少女は思っていた。
閑静な住宅街を抜けると、若干シャッターの目立つ店の並ぶ3車線の道路に出る。シャッターが多いのは朝だからという理由だけではない。この辺りには《通り町通り》というおかしな名前がつけられている。朝だからか、渋滞しているわけでもない車たちでさえ忙しそうに見える。実際そうなのかもしれないが。
そこを更に抜けると、少し開けた場所にでる。その奥に、少女の通う高校はあった。
当然、学校に向かう道は生徒で溢れている。たわいない話をしてやけに盛り上がる女子生徒、クラスメイトの誰が可愛いとかそんなような話をしている男子生徒。
少女はどれにも属さない。それで良かった。
誰かに話しかけられても面倒なので、鞄から文庫本を取り出そうとした時だった。
「どうしたんですか?」
後ろから声が聞こえた。自分にかけられた言葉では無いことはすぐにわかった。自分は誰かに心配されるようなことはしていない。分かっていたのに、なぜか、振り返ってしまった。
後ろにいたのは少女と同じ制服の男子生徒。ともすれば同級生か先輩であろう。男子生徒は隣に立ったスーツ姿の若い男性と話しているようだった。男性は猫を抱いていた。
男子生徒は辺りを見回した。少女と目が合った。
男子生徒は、一瞬何かを考えたかと思えば、ポケットから生徒手帳を取り出すと少女に投げた。少女は「わっ」となったがなんとかそれをキャッチした。
生徒手帳には《長谷川良平》とあった。
少女が顔をあげた時、長谷川良平と思われる男子生徒も、スーツ姿の男性もそこにはいなかった。
◇◇◇
いつもより幾分か早く弁当を食べ終えた少女は、2年の教室に向かった。
長谷川良平という人は、2年生だった。朝、生徒手帳を渡してきたのはおそらく、会いに来いという意味。それはきっと、少女にもスーツ姿の男性が視えたから。
2年3組の教室に入ろうかどうしようかと悩んでいるとき、朝とは違う男子生徒に声をかけられた。少女より少し背が高いくらいで、変な髪型だった。ベレー帽を被っているのかと思った。
「君1年だよね、何か用?」
「あの、これ、拾ったんですけど……」
少女は持っていた生徒手帳をその男子生徒に見せた。男子生徒は「ちょっと待ってて」と言って教室に消えた。
少女が生徒手帳を両手に持ち替えるかどうかというタイミングで良平は教室から出てきた。今丁度教室を出ようとしていた所だったのだ。
「先に購買に寄っていいかな」
「あ、はい」
ちょっと変な声が出た。
◇◇◇
良平は購買でカレーパンと焼きそばパンを買うと、自販機で緑茶を買った。それから、それほど遠くない場所にある空き教室に行った。長らく使われていない机やイスが重ねられていて、静かに眠っているようだった。
「ちょっと埃っぽいけど、ごめんね」
「あ、いえ……」
良平は重ねられたらイスを1つ取って床に置き、埃を払うと、少女に勧めた。少女はそれに座った。イスが少し高くて、足が浮いているが気にしない。良平は少女と向き合う位置にある机に座った。
良平はカレーパンの袋を開けてそれに噛みついた。
「食べるとこ、見ていてほしいんですか」
「君なかなか辛辣なこと言うね。初対面なのに」
「今朝会いました」
良平はカレーパンを袋に戻して緑茶を一口飲んだ。
「俺は長谷川良平、って知ってるか」
「相良莉乃です」
「自分は吉岡淳って言うッス」
莉乃は知らない声が聞こえて声の方を見た。少し申し訳無さそうに立っていたのは今朝良平と話をしていたスーツ姿の若い男性。20代くらいだろうか。目が座っていて、にこにこしていた。いや、にやにや、へらへらしているという方が正しいかもしれない。
しかし今は特にへらへらする理由も無いから、きっと元からこういう顔なのだろうと勝手に納得した。
「この人、どうするんですか」
「そりゃ、成仏してもらうよ」
「どうやって?」
「未練が無くなればいいみたいだ」
「へえ」
莉乃は表情ひとつ変えずに言った。
莉乃は昔から幽霊が見える体質だった。幼い頃からその才は顕著に姿を表し、莉乃の知らない所で莉乃は孤立した。しかし莉乃にとってそれは苦ではなかった。もともと積極的な性格では無かったし、読書が好きだったから、周りが話しかけてこないなら読書の邪魔にならないのでそれはそれで楽だった。
ただ、いつしかそれは幽霊に対しても同じになった。幽霊だって話しかけてくるのだから、邪魔になる。それなら無視するしかない。
「じゃあ、未練って何なんですか?」
「すみません、わからないんスよ……」
「はぁ」
どうしようもないじゃないかという目で良平を見る莉乃。
「先輩は幽霊を成仏させたことあるんですか」
「あるよ。1度だけ」
「そうですか。じゃあ、後はお願いします」
「え?」
声をあげたのは淳のほうだった。莉乃が空き教室を出て行くまで唖然としていたが、莉乃が教室を出て行ってからは、またへらへらして「なんかあったんすかねぇ」と呟いた。
「何も無かったから、ああなんだろうな……」
良平はカレーパンにかじりついた。