6 空と涙とラムネの色は
「さて、どうしたものか」
木村が去り、崖底には良平だけが座っていた。足の出血は治まったし、これから登ろうと思えば登れないこともない。
しかし、先ほど木村が崖登っていったように登ろうとすれば、猿も木から落ちる、というふうになってしまうのは一目瞭然だ。そもそも良平は猿ですらないのだから。
良平は暇のあまり、辺りの花を摘んで円形に並べるという、さながら妖精のような事をしていると、崖の上が賑わってきた。
おそらく後続集団だろう。本気で走ってきた良平たちとは別に、遠足かハイキング感覚で参加している生徒たちは、お喋りをしながらゆっくりと後をついてくる。良平も去年はそうだった。ただ異なる点があるとすれば、誰ともお喋りなんてしていなかった事くらだろうか。
誰かが崖下を覗き込んで来たら、なんて言ってやろうかと、どうでもいいことを考えながら上を見上げていると、逆光となって、黒い何かが降ってきた。
ほとんど反射的に手を伸ばす。
「空から女の子がっ!」
別段ゆっくり落ちてきた訳ではないので、ドサッとぬるい音がして、良平は落下物の下敷きになった。
「いてて……」
お姫様抱っこをするような形で、良平は落下物を受け止めた。張本人は、まだそれに気づかない。
良平は苦し紛れに落下物を受け止めた感想を述べた。
「まさか本当に、女の子が降ってくるとは」
ようやくキャッチされたことに気づいた落下物の女の子は、二重に驚いて、そのまま固まってしまった。
なんで先輩がここにいるのか。
なんで私はお姫様抱っこされてるのか!
◇◇◇
「へえ、そんなことがあったんですね……」
落下物の女の子、もとい莉乃は、良平の隣にちょこんと体育座りして、木村の約束の話を聞いていた。
「そういえば、莉乃のところには連絡無かったんだな」
「番号交換し損ねたので」
「莉乃おまえ、そういうとこあるぞ」
私知らない。と言わんばかりに目線を逸らした。そしてその先で、円形に並べられた花を見つけた。
「これ、何の花か知ってます?」
莉乃はそれを拾い上げると顔の近くに持ってきて、あどけない笑顔を見せた。
「いや、知らないな」
「これ、ホトトギスって言うんですよ」
「ホトトギスって、鳥のか」
「どう見ても花じゃないですか。鳥のホトトギスが模様が似てるので、こういう名前なんです」
ホトトギスの姿を想像しようにも、身近にいたとしても、かの織田信長の俳句しか思い出せず、模様なんて言われてもそうなのか、としか思えなかった。
後で調べて見たら、思いの他似ていた。
「可愛いですよね。こんなに小さな花なのに、長く咲いているんです。たしか、夏の終わりから今くらいの時期までずっと」
莉乃は、まるで夢を語る幼い少女のような目をしていた。
たしか木村がおじいさんと約束をしたのも、変電所の裏庭に入っていったことがきっかけだったはずだ。
花というのは、そこまで人を惹きつけるものなのだ。良平のことを好きだった、あの少女のように。
「ずっと咲いているから、花言葉は『秘めた想い』なんて、ロマンチックですよね」
「秘めてばっかりいると、そのうち忘れちゃうよ」
良平の耳元で、確かにそう聞こえた。聞いたことのある声だった。はっとして振り返るが、誰もおらず、崖と木々だけが佇んでいた。
「先輩?」
「ああ、ごめん」
莉乃の声で、ようやくこちらに戻ってきたような気がした。
「おーい! 崖から落ちたマヌケはどーこだー!」
ゴールで待機していたであろう体育教師が、メガホンかという声で叫びながらこちらにやってくるのが見えた。
「ここでーす」
莉乃が立ち上がって手を振った。
「さあ、行きましょう。マヌケな先輩」
「莉乃おまえ、そういうとこあるぞ」
莉乃はいたずらっぽく笑って、良平に手を貸した。
◇◇◇
肉体、及び精神的疲労によりくたくたになっていた良平は、強歩大会をリタイアし、その後病院へ搬送された。足の怪我が、思っていたよりも酷かったからだ。骨折に加えて、抉れたような傷があったそう。恐らくは尖った木片がごっそり足を持っていったのだろうが、応急的な手当てがなければ、失血によるショックなどもあり得たそうだ。誰もが、テーピングを持っていてラッキーだったね、と賞賛した。
強歩大会が終わった後、つまりは表彰式を行うタイミングで、木村は姿を消した。体調不良を訴えて早退したとか。イベントがイベントだけに、無い話ではないのかもしれないが、木村が無理を通して帰ったのは火を見るより明らかだ。
他校にいる彼女に会いに行ったとかいう噂があるが、どこから漏れたのか、皆が言っていることは大体あっていた。
西日が差し込むグラウンド。1位の表彰台に空色のラムネ瓶が置かれているのを、不思議に思わなかった者はいないだろう。
一つ付け加える事があるとすれば、木村はその日、小瀧の涙を見ることになった。ただ今度は、笑顔の混じった泣き顔だった。ということくらいだろう。




