1 強歩大会
緑色のラインの入ったジャージを身にまとい、正門前に集合する。3学年は30分前にスタートしているが、足の速い生徒は、きっとすぐに追いついてしまう程度の時間差だが、良平たちにはもっぱら関係ない。
良平たちの通う高校には強歩大会という、10月の前半、秋を肌で感じられるようになったころに行われる一大イベントがある。男子は32km女子は28kmの道のりを、制限時間以内に踏破するのである。一定区間ごとにある関門にて判子をもらい、それが全て無ければゴールしても失格扱いになる。
体育の成績にも繋がるため、本気で走っていく生徒もいるが、後ろで待機している30分後にスタートする1年生の中には、なにやら遠足気分の生徒もいるようだ。
「あと30秒!」
体育教師がメガホンで叫び、スターティングピストルを掲げるた。年末年始さながらのカウントダウンが始まる。
「4、3、2……」
パンッとピストルの引き金が引かれ、一斉にスタートする。のは前方にいる生徒で、後ろの方にいる良平は、ゆっくりと、徐々に徐々に歩き始めた。
とりあえず完走できればそれで良かったのだが、そう思っていたのは昨日のお昼まで。昨晩かかってきた電話のことが頭から離れない。
『もしもし……遅くに、ごめんなさい……小瀧です……』
小瀧、という名前が頭の中を駆け抜けて、他校の生徒で、木村の彼女の名前が小瀧であることを思い出すまでにかかった時間コンマ2秒。
「どうした?」
『ダーリンがね……ダーリンがね、別れようって……電話も繋がらなくて、小瀧、意味分かんなくて……』
小瀧の涙を湛えた声は、震え、不安と絶望に満ちているようで、良平は、あれこれと話を聞いた。
先ほど突然電話がかかってきて、別れを告げられたのだという。冗談かと疑ったが、その後電話も繋がらないし、メッセージに既読もつかない。自分がなにかしたのか、もしかしたら良平が何か聞いているかもしれないと、電話をかけたのだそう。
夏休み、仲のいい連中で旅行に行ったときには、嫌と言うほどラブラブを見せつけられていたし、ここ最近も特にそういった相談は受けていない。日常会話の中では、違和感も感じなかった。
なにがあったのかは分からないが、おそらく木村にも何かしらの考えがあるのだろうと良平は思っている。しかし真相を突き止めるには材料が少なすぎる。
あわよくば強歩大会中に木村に追いついて、話を聞きだしてやろうかと思ったが、それは無理そうである。
それとなく目で追っていた木村は、先頭集団に追随してさっさと先に行ってしまったようだ。
良平は、人が少なくなってきてから、ようやく小走りをして、木村の変わりとなるターゲットを探し始めた。
◇◇◇
良平は腕時計を確認した。スタートしてからまだ30分も経っていない。木陰に入り、木漏れ日が足下に不規則な模様を作っていく。いつか作ったチョコレートに似ていた。それからまだ木陰から抜けないうちに、前方で一定のリズムで走り続ける安達の姿を捉えた。
「よっ安達」
安達は少し驚いて良平の方に振り返る。良平は少しペースを上げて安達に並ぶと「がんばってるな」と声をかけた。
「長谷川君。もっと先にいるかと思っていたよ。まあ、僕はあまり運動が得意ではないからね。せめて走りきろうと思って」
安達は既に若干苦しそうな表情を浮かべながらそう言った。
良平は早速本題に入る。
「なあ安達。最近、木村、なんか変じゃないか?」
「木村君が?」
「ああ。なんというか、よそよそしいというか」
これじゃあ恋愛相談じゃないかと頭を掻いた。
「最近疲れていたようだからね」
「疲れ?」
良平は食い下がる。
「そう、今日の為にね。毎朝5キロ近く走り込んでいるようだったよ。何度か見たことがあるけれど、なんだか必死すぎるような……そうだね、死に物狂いで走っているような印象だったね」
「そうなのか」
全く知らなかった、という訳ではないが、そこまで本気で強歩大会に臨んでいるとは思わなかった。完走できればいいとしか思っていなかった良平は、少しペースをあげた。
「悪い安達、先行くわ。頑張れよ」
「ああ、ありがとう。長谷川君もね」
「おう」
良平が背中を向けたまま片手を振ると、安達も手を振り返した。
良平は走りながら何が起きているのかと思考する。
木村は運動はできる方だが、去年は、完走できればいいと言って良平と一緒に走った。良平は今年もそうだと思っていたから、少し面食らったのだ。
クラスのムードメーカーが、友人を差し置いてまでも強歩大会に本気を出す理由。時系列的に考えても、小瀧の件に関係があると考えて差し支えないだろう。
まだ情報が足りない。少し急がなければ。
良平はまたひとつペースを上げた。




