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ゴースト・バレンタイン  作者: サトウイツキ
8月の話 後編
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12 夏の形は定まらない

「……」


 良平は、ここまでで分かったこと、聞いて確かめたこと、全てを細く弱い糸でつなぎ合わせて、自分の中で納得できる答えを見つけだした。そしてそのありのままを、目の前の幼い少女に伝えた。


「そんな……でもっ…やっぱり嫌だよ!」


 みほちゃんは声を荒げた。小さな体をめいいっぱいに使ってそれを表そうとしている。しかしそれはどんなに叫ぼうと、手を振ろうと、地面を踏みしめようと、良平と莉乃以外には届かない。森ですら、聞こえていないかもしれない。無情で悲痛な叫びがくうを穿った。


「あっ、待って!」


 莉乃の制止はみほちゃんの耳には届かなかった。みほちゃんは勢いよく駆け出すと、良平が振り返るよりも早く姿が見えなくなってしまった。


「大丈夫。場所はなんとなく分かった。少し調べ物をしてから行こう。確かめたい事がある」


 良平は、朝顔の咲き誇る原っぱを、来た道とは反対方向にどんどん進んでいく。やがて、一本の木の前に立つと、足をとめた。


「こいつが、1番こっち側の木」


 良平の指さす方を見ていくと、原っぱに壁を作るように生い茂る木々の中で、一番こちら側に出ているのが、今目の前にある木のようだった。

 莉乃が疑問を投げかける前に、良平はそのままゆっくりと指さす位置を動かしていく。その先を目で追うと、何のことだか分かった。


「これが、この辺りの地形が崩れた証拠……」


 良平が立ち止まった木の反対側は、根の部分がすかすかで、緩く握った拳みたいなものが土にしがみついていた。つまり、その木か向こう側こそが、崖だったのだ。


「さっきは分からないだろうから言わなかったけど、ここはきっと断層になっている。一度崩れてこの辺りの木は全部綺麗にされたんだろうな」


 それから、怪我をしないように最初の小さな崖を上がると、もうすっかり馴れた森が、ようやく歓迎してくれたような気分になった。

 良平が先頭を歩き、隣で一歩退いてそれについてく莉乃。


ーーまるで学校の帰り道みたい。


 どこかでそんな想いがよぎった。

 ふと、幼い光彦と、みほちゃんの姿が目に浮かんだ。きっと、今の自分たちみたいに、微妙な距離感で、想いを伝えることのないまま、日々を過ごしていったに違いない。これは勝手な想像にすぎないけれど、なんだかそんな気がしてならなかった。


「どうした?」


 良平が顔だけこちらに向けて声をかけた。


「なんでもないです。みほちゃん、探しにいきましょう!」


「ああ」


 良平は笑って歩き出した。

 莉乃にとって、この歩調は少しだけ速かったりするのだけど、今はこれでいい。隣を、歩けているだけでいいと思った。


◇◇◇


 民宿の方に戻ってくると、光彦がなにやら大きな荷物を抱えてビーチから戻って来るところだった。


「なんだそれ」


「ああ、長谷川君じゃないか。これかい? これはね、ビーチバレーのネットなんだよね、倉庫にしまってあったんだけど、今朝父さんが言うものだから」


「へえ、倉庫。ちなみにどこにある?」


「案内するよ。ちょっと重いんだ。手伝ってくれないかな」


 良平は折り畳まれたネットの端を胸に抱えるように持つと、光彦と息を合わせて倉庫の方に進んでいく。

 倉庫というのは、正面入り口の真反対の壁に取り付けられた一枚の扉だった。


「こんなところに扉が…」


 後ろで見ていた莉乃が声をあげた。


「まったくだよ。内側につけてくれれば良かったのにね。ここは階段の後ろ辺りのスペースだからそんなに目立たないんだろうに、なにか考えがあったのかもしれないけど」


 光彦は、良平と息を合わせてネットを一旦地面に置くと、鍵を探す為にポケットをまさぐっていて、何かに気がついた。

 扉の向こう側から、微かだが音が聞こえる。2人に静かにするように合図を置くって、扉に耳をたてた。

 確かに聞こえた。どこか懐かしいような、少女の泣き声が聞こえた。


「長谷川君、これは……」


「たぶんそうだろうな」


 鍵穴に鍵を差し込み、開ける方向に捻る。ガチャリと音がして扉が開いた。

 中には雑多に荷物が積まれており、おそらくこれから廃棄されるのを待っているだけなのだろうということはすぐにわかった。天井に穴が開いているのか、上から光が射し込んでいた。


 その光のスポットライトを浴びるみたいに、みほちゃんがうずくまって涙をこぼしていた。しかし扉が開くと同時に、その瞳はしっかりと光彦をとらえた。


「……っ!! みつひこ君!」


「この声、みほちゃんなのかい!」


 みほちゃんは立ち上がり、光彦の方を向いている。


「みつひこ君…?」


「みほちゃん、そこにいるのかい。姿を見せてほしい。君は、いったい何処に…」


 光彦の前にみほちゃんは立っている。しかし光彦は、辺りを見回しながらみほちゃんの姿を探している。


「姿は、見えない……か」


 外で聞いていようと思った良平だったが、この状況ではやむを得まいと、中に入った。


「みほちゃんなら、目の前にいますよ」


 莉乃も入ってきて、話に加わった。


「そうか、視えない、のか……」


 光彦は近くの荷物に腰掛けると、少し安心したような表情を浮かべた。

 みほちゃんはその隣によじ登り、同じように腰掛け、足をパタパタさせている。


「久しぶり、だね」


「うん」


「この民宿、閉めちゃうんだって」


「うん」


「それが、僕には分からないんだ。父さんも詳しく話してくれないし…」


「え、お兄ちゃんから聞いてないの?」


 お兄ちゃんと聞いて、光彦は反射的に良平を見た。


「この後は、俺が説明する」


 光彦はお願いするよと言って首をふった。


「簡単に、原因は2つ。1つはここの経営者、つまりみほちゃんの母親にあたる人が体を壊した。少し前に、莉乃の事を母親に似た人だと言っていたから、母親が最近ここにきていなくて、その面影を無意識に求めているんじゃないかと思ったんだ。さっき徹さんに確認したら、間違いなかった。ただ命に別状はないらしい」


 光彦は、全然知らなかったという風に肩を落として聞いている。


「もう1つは、この辺りの地形にある。ここの裏山には断層があった。例の崖のところだ。断層っていうのは地震で崩れたりして土砂崩れが起きやすいんだ。この間の地震で、少なからず崩れたんだろう。恐らく危険性を加味して、ここを閉めることにしたんだろう」


「断層……」


 当事者意識の有無、光彦はそれが特に強い方だったのだ。閉まってしまう民宿、その理由を知らなかったということが、光彦にとっては悩みの種だった。理由がわかり、少しだけ楽になれた気がした。


「私ね、ずっと自分のせいで閉まっちゃうんだと思ってたの」


 みほちゃんが口を開いた。

 その言葉は季節に合わないくらい暖かく、柔らかくて、とうの本人もにこやかな顔をしていた。


「最初は朝顔のとこにいたんだけど、時々民宿の方にも行ったんだ。そしたら、たまに見られちゃうことがあって……それで、お客さんの評判が悪くなって、閉めちゃうんだと思ったの。だってほら、私、幽霊だから」


 その言葉が引き金となったのか、みほちゃんの体が空中に溶けるように消えていきはじめた。


「そろそろ時間みたい……」


「そんな…っ」


 光彦の言葉も虚しく、みほちゃんの体は消えて無くなっていく。


「もうちょっと、みつひこ君とお話したかったな…」


 気づけば、光彦も、みほちゃんも、大粒の涙をこぼしている。


「だめだよ、みつひこ君。お別れは、笑ってする、約束、でしょ?」


 瞳に堪えきれない涙が頬を伝って地面に落ちた。みほちゃんは両腕でなみだを拭くと、少年のような笑みを浮かべた。たとえ、視えなくとも。


「そうだね。また、必ず」


「「会えるから」」


 2人の声が重なり、辺りに溶けていく。

 声が聞こえなくなるのと同時に、その場は3人だけになった。


◇◇◇


「光彦、少したくましくなったんじゃないか?」


「父さんがお墓参りなんて隠すから、こっちでも色々あったんだよ」


「ははは。すまんすまん。楽しい雰囲気を壊したらいけないかと思って」


 徹は車を運転しながら少し大げさに笑って見せた。


 片づけやら、充電器がないやらの騒ぎで、帰るころにはすっかり暗くなっていた。

 高速道路に乗り、ようやく良平たちの住む町、通町とおりまちに近づいたところで、遠くでボンッと音がした。音の方を見れば、盛大な打ち上げ花火が打ち上げられていた。


「先輩、花火ですよ。花火」


 莉乃が若干興奮気味に隣に座った良平の肩を揺らす。睡魔と戦っていた良平は、朦朧とする意識の中窓側に座った莉乃の方に体を寄せて、窓を覗きこんだ。


「花火」


 それだけ言うと、その姿勢のまま眠りこけてしまった。


「わわっ、えっと、……今日だけですよっ」


 莉乃は膝と胸の間に良平を挟んだまま、そのまま花火を見続けた。


「……来年は、一緒に、いけたらいいですね」


 誰に言うでなくひとりごちると、一際大きな花火が上がった。


 同じく寝てしまった郁美は、紗英の肩によりかかっている。

 紗英は、郁美を起こさないようにスマホを取り出すとメッセージアプリを起動した。


さえちん ピンチかもーTT


asakura 話を聞こうじゃないか。できるだけ詳しく


 同じように寝ている小瀧を肩に寄りかからせたまま、拓郎は頬杖をついて花火を見ている。


「このままじゃ、小瀧のためにならない……」


 小瀧は、小動物みたいな顔をして静かな寝息をたてている。拓郎は小瀧の頭を軽く撫でると、自分も目を閉じた。



 それぞれが、それぞれの想いを胸に、夏が終わろうとしている。

 向き合った者、信じた者、求める者、決意した者。色も、大きさも、なにもかも違うそれぞれの想いを集めて、夏は通り過ぎていく。ほんの少しの寂しさと、次の季節を残して。次の夏がくる頃には、また違う想いを抱いて、次の季節を、そうしてまた次の夏を迎えるのだ。

 誰が決めたのか、夏の形は定まらない、そういうものなのだ。

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