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ゴースト・バレンタイン  作者: サトウイツキ
8月の話 後編
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11 朝顔のワンピース

「君は、本当に……」


 光彦は驚愕の表情を浮かべて良平の方へ振り返った。


「なんだ、信じてなかったのか」


「そういう訳ではないんだけど、こう、実例を出されてしまうとね」


 光彦は席を変え、良平の近くまでやってくると、ゆっくりと話し出した。


「みほちゃん、物部美保子もののべ みほこは、当時僕と同い年で、10歳だった。みほちゃんはこの民宿を経営していた僕の親戚の娘だったんだ。夏休みなんかは毎年来ていたから、同い年だった僕たちはすぐに仲良くなったし、それこそ四六時中2人で遊んだんだ」


 光彦は櫛を折り畳んでシャツの胸ポケットにしまうと、目線を反らした。


「……彼女はその年、亡くなった」


 光彦の言葉は、いつもの何倍も重たい空気と一緒になってその場に溶けていった。扇風機が首を振り、その空気をどこかにやってしまう前に、光彦は続けた。


「事故だったんだ。昨日山に行ったとき、分かれ道があっただろう。あそこを左側に行って、その先に行くと、切り立った崖がある。そこに落ちたんだ。そしてその場に、僕もいた」


 良平は言葉を失った。


「その後は、僕自身よく覚えていないんだ。……そうだ。次みほちゃんに会ったら、伝えておいてほしい。今度きちんと会いにいくよ、って。きっと僕には見えないだろうから」


 良平は、光彦の告白に少し戸惑っていたが、少し経ってから分かったと答えた。

 親しい友人を目の前で亡くしたにも関わらず、そのことにきっちりと区切りをつけて向き合おうとするその姿勢は、すぐにでも見習わなければいけないな、と思った。


「じゃあ僕はそろそろ行くよ。父さんああ見えて朝に弱いんだ」


 光彦は浴場ののれんをくぐって外に出ると、階段を上がっていった。


「俺も、やることやるか……」


 良平はひとりごち、その場を後にした。


◇◇◇


午前10時頃、砂浜。


「まったくよお!こんなもんがあるなら先に言えっての!…そらっ!」


「今朝父さんに言われて気づいたんだ。裏の倉庫にね……おっと、葉山さんチームに一点」


 昨日に引き続きの晴天で、昨日と変わっていることと言えば、ビーチにバレーのネットが立っていることだ。レジャー用の組み立て式のもので、軽い割にしっかりしている。


 拓郎、小瀧チームVS紗英、郁美チームに分かれて簡単な試合をやっていた。審判は光彦がつとめている。


「ちぇ、オーバーか。っていうか、良平と莉乃ちゃんは?」


「なんか森の方に忘れ物したとか言ってましたよぉ」


「あんなところもう二度と行くものか」


 昨日行こうと言ったのは誰だったかと、おそらく誰もが思ったのだろうが、当の本人は気にする様子もなく、ヤレヤレといった風に首を振っている。

 そんな拓郎の首を取る勢いで、ビーチボールが飛んできた。


「危ねぇっ、このやろやったな!」


「よそ見する方が悪いんですよー」


 郁美が短めのポニーテールを揺らしながら舌を出している。

 戦いは、始まったばかりなのだ。


◇◇◇


 一方、良平たち、森の中。


 比較的丈夫で動きやすい服装に着替えた良平と莉乃は、昨日肝試しにきた森の中に来ていた。適当な大きさの気の棒を拾って、振り回して辺りの草を軽くなぎながら奥に進んでいく。


「莉乃、別についてくる事ないんだぞ?向こうはビーチバレーやってるらしいし」


「いいんです。私が運動神経無いの知ってるでしょう?」


 ならいいけど、と良平は答えると、先に進んだ。


 分かれ道までは、それほど時間がかからずについた。昨日自分たちがいかにゆっくりと歩いていたのかがよく分かる。良平は、足下に注意しながら、これまでよりも少し慎重になって左側の道に進んでいった。


 少し行くと、崖のような所があるのはすぐに分かった。

 ただ、光彦から聞いていたような切り立った崖はどこにも無く、なだらかな勾配がそこにあるだけだった。奥は木々が生い茂っていて、この場所からは見ることが出来ない。


「この辺なら降りられそうだな……」


「先輩、危ないです……っ!」


 良平が莉乃の声に振り返るよりも先に、良平は莉乃の視界から消えた。

 ザザザッと土が削れる音がして、それから辺りは静寂に包まれた。少し遅れて状況を飲み込んだ莉乃が、しゃがみ込んで思いっきり叫ぶ。


「せんぱーい!!」


「おん?」


「わわっ」


 しゃがみ込んだ莉乃のちょうど膝の辺りから、良平がひょこっと顔を出した。驚いて仰け反りそうになった莉乃の手を良平が掴んだ。


「こっち、綺麗だよ」


 促されるままに良平について行く。


 崖から降りた所に広がっていたのは、体育館ほどもある平原で、これでもかという程の朝顔が咲き乱れていた。木々の間からこぼれる木漏れ日が、朝顔と踊っているようだった。耳を澄ませば声が聞こえる。昨日の夜二聞いた亡者の声ではない。草花の、木々の、虫達の、森の息吹が聞こえる。葉が擦れる音が、まるで脈動のように。

 森の奥が、突然異世界になってしまったような感覚だった。


「こんな所が、あるんですね……」


 感嘆の声を上げる莉乃を、面白そうに、懐かしそうに眺める視線がひとつ。

 先に声をかけたのは良平だった。


「どうも」


「どーも!」


 良平が声をかけた方を見ると、生い茂る朝顔をそのまま服にしたようなワンピースを着た女の子がひとり。


「あなたが、みほちゃん?」


 莉乃はしゃがんで女の子と目線を合わせると、笑いかけた。


「そうだよ!」


「突然ごめんね。ちょっと伝えたい事があって、ここに来たの」


 みほちゃんは、首を傾げて、莉乃を見ている。

 あまりにも無垢な瞳だったせいで、言うのを戸惑ってしまった。


「みほちゃんの民宿、今年中に壊しちゃうんだって」


 みほちゃんは悲しそうに俯いて、ほんの少しだけ首を縦に動かした。シャーペンの芯に、上から圧をかけたみたいな動きだった。

 良平は、この反応を予想していた。


「でもな、それはみほちゃんのせいじゃないんだよ」


 みほちゃんががっと首を持ち上げて良平を見た。

 良平もみほちゃんを見ていたから、視線がぶつかってどこかに逃げていく。先に目線を反らしたのはみほちゃんの方だった。

 恥ずかしいような、安心したような、今までの顔つきとは明らかに違うのはよく分かった。

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