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ゴースト・バレンタイン  作者: サトウイツキ
8月の話 後編
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10 あるいは覚めない夢か

「……そうなんですか…そんな夢を……」


 かけてあったコップに水を入れて、何杯も飲みながら夢の話をした。


「先輩、昨日の夜、というか今朝の深夜ですけど、部屋に戻ってから、外に出たんですね……」


「…え?」


 良平は水を飲み干してしまってから、ほとんど上の空で返事をした。

 当然、そんな覚えは無いからだ。


 おそらく、眠気のせいで記憶が曖昧になっているのだろうが、外に出るようなことは無かったはずだ。莉乃が言うには、昨日良平は確かに部屋にもどっていたのだという。その後は莉乃も寝てしまって、良平の行方は分からないらしい。


「え、でも、その傷…」


 良平は、指示されたとおりに自分の腕を見た。よく見なければ分からないが、あちこちに小さな傷の痕があった。もう治ってしまって痛みも無かったが、夢で見たような傷が、全身にあった。


「それに靴にも…何かの蔦でしょうか……?」


 言われて気づいたが、浴衣の裾も、綺麗にはされているものの土がついていた跡があり、良平の靴においては、千切れた草や土がこべりついている。


ーー夢じゃなかったのか……?


 そんな想像が頭をよぎった。

 状況証拠は十分だ。しかし百足の怪物がいたような痕跡はないし、あの怪物が民宿の中にいたとして、自分が生きているというのにも違和感が残る。

 まだ夢を見ているのか、あるいは現実なのか。


「莉乃、ありがとう。ちょっと風呂行ってくる」


「そうですか。私は部屋に戻ってますね」


 良平は莉乃と別れ、浴場に向かった。

 脱衣所のカゴには、既に浴衣が入れてあった。


「安達か……?」


 一通りの用意を整えて、露天風呂への扉を開いた。


「やあ。誰かと思えば長谷川君じゃないか。玄関で寝ていたのには何か訳が?」


 光彦は浴槽に大の字になって浸かり、顔だけを良平に向けて話をしている。


「ああ、ちょっとな」


 光彦は「そうか」と笑って再び視線を戻した。


「ここ、今年中に壊してしまうってことは話したよね」


「ああ」


 良平は洗い場にある木製のひっくり返したバケツみたいな椅子に腰掛けて、身体を軽く流した。まだ完全に癒えていない傷もあり、そこに湯がかかる度、また引っかかれるような痛みに襲われる。


「小さい頃よくここに来て遊んでいたんだ。海に行ったり、それこそ肝試しなんかやったりしてね」


「お前にもそんな時期があったんだな」


 足の先から、ゆっくりと湯に浸かっていく。最初こそ頭まで突き抜けるような痛みが全身を伝わったが、浸かってしまえばよく分からなくなってしまい、むしろ心地よかった。


「僕をなんだと思ってるんだい。全く」


「秀才。なんでうちの高校に来たのか謎。もっと上に行けたろうに」


 安達は笑って答えた。


「秀才なんてやめてくれ。僕は、ちょっと捜し物をするためにこの高校を選んだんだ」


「捜し物?」


 光彦は聞こえるか聞こえないか、いつもより数倍落ち着いたトーンで言った。

 良平は濡れたタオルを枕代わりにして、露天風呂の岩場に頭を載せた。夢のせいで全身に蓄積されてしまった疲れが、湯に溶けだしていくような感じがした。疲れに色がついていたなら、浴槽全体が染まっていたかもしれない。


「そう。うちの高校には色んな噂があってね……そういえば、この近辺の話もあった気がするよ、距離は結構あるのにね。ともかく、僕はそれでここを選んだんだ」


 光彦はそれ以上多くを語ろうとしなかった。

 遠くで聞こえる波の音、すぐ近くで聞こえる湯が流れる音、ゆったりとして暖かな時間が辺りを包んでいる。まるで夢など、最初から無かったかのように。


「僕はそろそろあがることにするよ。木村君たちも起きてくるだろうし」


 光彦は腰にタオルを巻き、ゆっくりと立ち上がった。


「俺もそうする」


◇◇◇


 脱衣所に男二人。良平は浴衣ではなく、いつもの私服に身を包んだ。首にタオルをかけて、扇風機を浴びている。


「そうだ、幾つか聞きたいことがある」


 良平はその格好のまま光彦の方に体を向けた。

 光彦は髪をタオルでわしゃわしゃとやりながら、黙って聞いている。


「この質問は、お前の昔の話にも関わっていると思う。お前が話したくないなら話さなくて構わない。ただ、今回の旅行は、不可解なことが多すぎる。俺のちょっとした秘密も話すから、できるだけ協力してほしい」


 良平が言い終わるかどうか、光彦はやや食い気味に分かったと呟いた。


 良平は、以前から光彦になら話しても良いと思っていた。もし言うなら、このタイミングだろうか。ただ、今これを言ったところで信じて貰えるとも限らないし、信じて貰ったところでそれが今回の一件の解決に繋がる可能性だって100パーセントじゃない。

 それでも、言ってみる価値はあると思った。


 おそらくこれは、光彦の為にもなるからだ。

 この民宿に来たときから僅かながらに感じていた違和感、突然いなくなったかと思えばまたすぐに姿を現す光彦の父、安達徹。そして、みほちゃんという幽霊の存在。


 バラバラだったピースが、良平の中でだんだんと繋がっていっていた。


 良平は、一度息を全て吐いてしまってから、意を決したように言った。


「俺さ、実は幽霊視えるんだよね」


 光彦はゆっくりと振り返り、柔らかい笑みを浮かべた。


「そんな気はしていたよ」


 それからタオルを首にかけてしまうと、持ってきていた櫛で髪を整え始めた。


 幽霊が視えるというカミングアウトに対して、予想外の反応で、面食らったのはむしろ良平の方だった。ただ、すんなり受け入れてくれたという面では、感謝してもいいのかもしれない。


ーーここからが、本題だ。


「まず聞きたいのは……みほちゃんって女の子のこと、知ってるか?」


 光彦の手が止まった。鏡を通して良平の目を見ているのが分かる。


 止まっていた歯車が、動き出す。

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