2 夜の学校
良平にとって、バレンタインなど、苦痛でしかなかった。
良平には大学生の姉と中学生の妹がいる。配る相手が多いのか、単にチョコを作るのが好きなのか、はたまた両方か。良平は新作のチョコが出来上がる度に、味見と称して毒味をさせられていた。家族とはいえチョコが貰えるので、良平も楽しんでいたが、それはもうはるか昔の話である。良平が小学校を卒業した辺りから、チョコの種類はカンブリア期の如き進化を遂げた。今でもたまに思い出すのが、豚足チョコである。
チョコレートにコーティングされた、甘辛い味付けの豚足は、口の中に入れた瞬間絶妙なハーモニーを生み出して、良平の胃袋とハートを破壊した。
そんなことがあって、良平はバレンタインが嫌いだった。
しかし芹澤が成仏するためとあっては協力せざるを得ないだろう。そもそも芹澤が成仏するのに協力したいと言ったのは良平本人に他ならないのだから。
放課後、良平は近所のスーパーに寄って、チョコレートの材料をあらかた買い占めた。バレンタインの時期で、バレンタインフェアなるものをやっていたため、目当てのものはすぐに見つけることができた。唯一後悔があるとすれば、レジの店員に不思議な表情をされたことである。
良平は買った物を鞄に隠すと、一旦帰宅した。
キッチンでは、姉と妹がチョコを作っていた。しかしチョコを作っているはずなのに、カレーの香りがするのは、きっと夕食がカレーなのだろうと信じ込むことにした。
しかし夕食は、アジのフライだった。
良平は、帰りに胃薬を買ってこようと決意して、約束の時間を待った。
時計の針が12時30分を指したころ、良平は家を出た。
普段着にコートを羽織り、自転車に乗り、向かう場所は、学校。
2月の刺すような寒さの中、軽快に自転車を走らせ学校に着いた良平は、自転車を近くの茂みに隠し、辺りを警戒しながら学校の敷地に侵入した。
幽霊の芹澤と会ってから1ヶ月余りで、分かったのは、芹澤は学校の敷地から出ることはできないということだった。本人でも理由はわからず、頑張って出ようとしても、気づいたら自分のクラスにいるのだという。
つまり、良平が芹澤の指示でチョコを作るには、学校で作るしかないということだった。
玄関口に来たところで、芹澤の姿が見えた。
外と玄関を分けるガラスの扉には、もちろん鍵がかかっている。芹澤は向こう側に行ってなにやらガチャガチャしているようだった。ややあって、鍵が開いた。
「じゃじゃん!すごいでしょ。手作りなんだよ」
芹澤が見せてきたのは、アクリルのキーホルダーで《ラリックマ》という血まみれの熊のキャラクターがデザインされていた。これを作るキットがあるらしいのだが、最近の女子はこういうのが好きなのか、芹澤が個人的に好きなのかは謎だった。
ともかく、キーホルダーを使って内側から鍵を開けるのを繰り返して、良平と芹澤は調理室まで行くことができた。
さすがに電気をつけるとバレるので、月明かりだけでの作業だったが、その日は雲が無く、明るい夜だったため、特に問題はなかった。
「さあ!作るぞー!」
「おー」
無駄に気合いの入った芹澤を後目に、良平は割ったチョコを入れたボウルを一回り大きい熱湯の入ったボウルにつけ、チョコを溶かし始めた。
溶けたチョコを買ってきた型に流し込み、冷蔵庫に入れて待つこと15分あまり。
「とりあえず完成」
手作りチョコレートの完成である。
アーモンドの入ったものと、ホワイトチョコレートのものと、普通のチョコ、計3パターンのチョコが完成した。
「食べてみて!」
自分が作った訳でも無いのに目を輝かせて良平を見守る芹澤。良平は普通のチョコを口に放り込んだ。
「まあいいんじゃないか?」
ほとんど姉と妹の見よう見まねでやったにしては、上出来だろうと良平は思った。しかし芹澤は、眉をハの字にして、良平の感想に不満気にしている。
「なんか反応薄い」
「自分で作ったもんそんなに褒められるかよ」
「でも違う。もっかい作り直し。まだ材料あるんでしょ?」
確かに、良平の鞄にはアーモンドの他に、くるみやカシューナッツ、トッピング用のチョコスプレーや、既製品のクッキーなど、いろんな物が入っていた。
良平も、普通のチョコでは芸がないと思ってはいたので、次のチョコを溶かし始めた。
「で、誰に渡すんだ?」
「えーっと、あー、ないしょ」
「教えてくれなきゃどうしようもないだろ。渡すの俺なんだから」
「いいのっ!早く、口より手を動かす!」
「はいはい……」
芹澤に急かされるまま、良平は次のチョコを作った。
カシューナッツを入れたチョコ、ホワイトチョコを使って2層になっているチョコ、他にも2つほど作り、計4パターンのチョコを作った。
「どう?どう?」
「俺は馬か……まあ、いいんじゃないか?2層のやつは見栄えもいいし」
「さっきのやつと反応変わんないじゃん……」
「そんなこと言ったってなぁ……」
芹澤は神妙な顔つきでチョコを眺めている。しかし時間はもう2時になろうかというところだった。
「続きは明日ってことで。いいか?」
「うー。しょうがない」
使ったボウルやトレイを綺麗に洗って、元の場所に戻す。それから他の材料を鞄の中に詰め込んで、証拠隠滅完了。良平はほんの少し自分が誇らしくなった。
「じゃあ、また明日」
「……また明日」
芹澤は、いつになく歯切れが悪かった。
「どうかしたか?」
「……あっ、何でもないの!気にしないで!ほらほら、早くしないと明日寝坊しちゃうよ!」
良平はそのまま急かされるように調理室を出ると、芹澤の言うとおりに扉を閉めた。芹澤は、鍵は閉めておくからと言ってその場で良平と別れた。
良平は辺りを警戒しながら学校を出ると、コンビニで胃薬を買い、速やかに帰路に着いた。
「あんな芹澤、初めて見たな……」
まるで何かを隠しているような、そんな芹澤を見るのは、初めてだった。
◇◇◇
火曜日にバレンタインデーを控えた前の週の週末。チョコを作るのにはうってつけのスケジュールである。しかし良平からしてみれば、それは終末戦争と同義であり、おそらく、鎮魂歌の鳴り響く日であった。
そのため、たまたまこの日、美化委員の定期作業があったことに、良平はまさしく救世主の如く光を見たのである。
良平の通う学校には、生徒会に続く巨大勢力として、美化委員会が存在する。読んで字の如く学校全体を美化する事を目的とした委員会で、大きな活動として、定期作業というものがある。
月に2回、各クラスから嫌々連れて来られた、もとい選抜されたメンバーにより、校内の清掃や、中庭の草むしり、ゴミ拾いなどが行われる。ボランティア活動だと思えば悪くないかもしれないが、弁当支給で朝の9時から午後5時まで草をむしり続けるのは、さすがに骨が折れるというものである。
しかし良平は、バレンタインの期間中できるだけ家に居たくない。チョコレートテロ姉妹から逃げる為に朝から家を空けられる理由ができるのは、非常に喜ばしいことであった。そのため、今回の定期作業には自ら進んで手を挙げた。
良平自身美化委員会の定期作業には何度か参加したことがあったため、勝手は分かっていた。
しかし良平は作業の開始とともに、脇目も振らずに中庭に向かった。中庭には、季節の花の植えられた花壇があり、それに囲まれるようにベンチが設置されている。秋ごろまでは、お昼になると人の集まる憩いの場のようになるが、冬にかけて寒くなってくると、次第に人は寄ってこなくなる。花壇やその周りに積もっていたであろう雪は、既に地面に溶けてしまっていて、誰も使わなくなったベンチに、氷の重しのようになった雪が載っていた。
良平は、花壇の前にしゃがみこむと、もとからあまり生えていない雑草を、黙々と抜き続けた。花壇には季節の花が植えられている。この時期は、フリージアだ。
良平は花に関して詳しくはないが、人づてに、今年は早いうちに花が咲くかもしれないという話を聞いた。しかし目の前のフリージアは、膨らんではいるものの、固く閉ざされたつぼみのままである。教室の芹澤の机に生けられたフリージアもここの物を使えれば良かったのだが、まだ花が咲いていないのではどうしようもなく、近所の花屋で購入したものである。
良平が気配を感じて振り返ると、そこには芹澤果穂が立っていた。
「定期作業とは、熱心だねぇ」
「まあな」
良平は素っ気なく答え、また草をむしり始めた。芹澤もそれ以上何も言わず、ただ良平を眺めていた。
気まずくなった訳ではないが、良平は辺りを見渡して人がいないのを確認すると、花壇の方を向いたまま芹澤に言った。
「お前、フリージア(これ)好きなんだよな」
「うん」
「なんで?」
「うーん……なんとなく?」
芹澤はえへへっといたずらっぽく笑った。良平が、何か言いかえそうと思い立ち上がって振り返るが、もう芹澤の姿はなかった。変わりに、遠くから別のクラスの女子生徒が走ってきて、「抜いた草を入れるバケツ、いります?」と言った。




