表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴースト・バレンタイン  作者: サトウイツキ
8月の話 前編
16/43

4 何事もなかったかのように

 はもう水平線に近い位置にいて、後1時間もすれば完全に沈んでしまいそうだった。夜明け前にも似た群青色が辺りを包んでいる。


 窓が一方にしかない部屋の中では、この明るさでは足りないのだろうが、良平は電気をつけずに部屋の隅で団扇を仰いでいた。

 昼間から雲一つ無い快晴の空だったが、この時間になってくると少し涼しくなってきていた。開け放たれた窓から涼しげな風が流れてくる。良平たちの泊まっている部屋とは反対側にある部屋で、窓の向こう側には青々と木々が広がっている。


 良平は、ふと時計を見た。


「6時半か…」


 シンプルな壁時計が、呼吸するように秒針を動かしている。


「う、うぅ…」


 声がして、良平は目線を落とした。

 和室の中央に敷かれた布団の上に、浴衣姿の莉乃が寝ていた。莉乃は唸りながら目を開けると、ゆっくりと身体を起こした。額に違和感を感じて触れてみると、熱さまシートが貼られていた。まだひんやりと冷たい。


「おはよ」


 背後で声がして、びくっとして振り返ると、部屋の隅に良平の姿を捉えた。


「お、おはようございます……?」


「いいよ、まだ寝てな」


 良平は、中腰のまま足を引きずって莉乃の布団の近くまで来ると、あぐらをかいて座った。まだ状況を飲み込みきれていない莉乃を優しく寝かせると、団扇に仰いだ。木々の爽やかな涼しさが向きを変えて莉乃の方に流れて行く。


「熱中症だと思う。どこまで覚えてる?」


「熱中症…えっと、先輩たちが海に行っちゃった後、食堂で本を読んでて……その後徹さんに暑いだろうからって、お水を貰ったんです。…えっと、そこまで、です」


「窓も開けずに本なんか読んでたら、そりゃあ熱中症にもなるよ」


 良平はははっと笑って、団扇を自分の方に向けて仰いだ。


「すみません…」


「別に責めてる分けじゃないよ。まあ、調子悪かったなら、言ってくれた方が良かったかな」


 莉乃は驚いたような顔をしてから、申し訳無さそうに言った。


「いつから気づいてたんですか…」


「ここ着いた時、かな」


 莉乃はなんだか恥ずかしくなって良平から目を反らした。

 その時気がついたのだが、1階の方から賑やかな声が聞こえてきていた。


「先輩、私はもう大丈夫なので、皆さんの方行って下さい」


 莉乃があまりに真面目に言うものだから、良平は少しムキになって、


「嫌だ。莉乃といる」


 なんて言ってしまった。

 一瞬間があって、2人とも真っ赤になってそっぽを向いた。


 森の方から、ヒグラシの声が聞こえる。1階では、拓郎が大富豪になったらしい。


「じゃ、じゃあ……」


 先に口火を切ったのは莉乃だった。


「もうちょっと、いて下さい…」


 不安とか、緊張とか、申し訳無さを全部ひっくるめて、布団の中から手を出した。そしてそれを、良平の方に向けた。


「うん」


 良平の手と、莉乃の手が重なった。


 硬くて、大きくて、ごつごつした手。

 小さくて、柔らかくて、暖かい手。


 お互いの胸の鼓動が手のひらを通して伝わっていく。

 誰が望んだか、時間がゆっくりとして、もはや止まっているようにさえ感じた。


「先輩…あのっ!」


 誰かの携帯が鳴った。

 良平の携帯が振動しながら光っている。


「…あ、ごめん。……もしもし?」


『もうすぐ飯だってよ。莉乃ちゃん大丈夫なん?』


「とりあえず目は覚めたよ」


『それは良かった』


「……直接言いにこいよ」


『だって、なんかしてたら悪いと思って』


◇◇◇


 夕食は、莉乃も参加して大賑わいの中終了となった。


「はぁー食った食った」


「にしても、徹さんどこ行ってたんでスかーマジ心配してたんですよー」


 郁美が食べ終えた食器を運ぶのを手伝いながら徹に話しかける。

 徹は「ごめんごめん、ちょっとねぇ…」といつもの笑顔で答えている。大人相手にそんな事を問い詰める程の勇気は郁美には無く、その後は紗英や莉乃と話していた。


「りのちゃんも心配したんだよぉ?」


「その節は、ありがとうございます」


「私たちは何もしてないよぉ。お風呂から出たらりょうへい君が浴衣姿の莉乃ちゃん大丈夫運んでてさぁ。何事かと思っちゃった」


「そうなんですね。…ん?」


「どぉしたの?」


「いえ、あの、だれが私に浴衣着せました?」


「いくみちゃんもこたきちゃんも、一緒にお風呂でたよねぇ…あれぇ?」


 一同の視線がゆっくりと、そして確実に良平に集まっていく。2階に上がろうとする良平だったが、視線によって止められてしまった。ジェットコースターに乗った時の、最初の坂を上っているような気分になる。

 もう、逃げられない。


「…先輩、どこ行くんですか?」


「え、あ、ほら。急用だったから、さ、ね? 怒らないで」


「ちょっと、お話ししましょうか」


 辺りはすっかり暗くなり、夜の帳が民宿を包んでいた。

 莉乃の恥ずかしいのを隠しながらのあまり怖くない説教を、やや楽しそうに聞いていた良平。


 この後起こる事を考えてみれば、ほんの少しの休憩に過ぎなかったのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ