4 紫陽花の色は
ゲームセンターを出た良平たちは、郁美の言う心当たりの場所に向かっていた。
郁美が言うには、誘拐の黒幕は郁美が中学の時の友人で、実際に誘拐したのはその彼氏かもしれない、とのことだった。
しばらく雨が降っていたせいで、ゲームセンターにも、外にもあまり人がいなかった為に、白昼堂々と犯行が完遂出来たわけだ。
雨は、午前中までの勢いを取り戻し、ザーザーと音をたてて良平たちに降り注いでいた。傘をさす人たちの間を抜けるように走るが、強く、激しく降る雨は、良平たちの体力を奪うには十分すぎた。徐々に疲労の色が濃くなっていく。視界が薄れていくのは、おそらく、雨のせいでは…
「先輩!大丈夫ですか!」
急に現実に引き戻された。郁美だ。疲れの色は見えるが、まだまだこれからという表情をしている。
「ごめん、ちょっとバテた」
「紗英先輩は2メートルくらいでバテてカフェに倒れ込んでましたから」
郁美は歯を見せて笑った。誰かに似ているような気がした。
それから、すぐに真剣な表情に戻って、立ち止まった。
「ここです」
そこは、建設途中と思われるビルだった。鉄筋が剥き出しで、コンクリートの板のようなものがあちこちに積まれていた。
勇む心を抑えて、呼吸を整える。嫌な想像が脳裏を巡る。さっきから連絡を試みるが、返事はない。仮に返信が来たとしてもそれが莉乃ものであるとは思えない。
「先輩、気持ちは分かります。でも。ここからは、私の聖域
ホーム
です」
「なにか、あるのか」
一応は、郁美はそう言った。それからビルの反対側に回って、ビルが完成していれば非常口かなにかになったであろう金属の簡単な扉を押した。
中は恐ろしい程静かで、外で降りすさぶ雨の音しかしなかった。良平は、音を立てないようにゆっくりと、しかし確実に一歩ずつ歩みながら、郁美の指示を待った。
「いるとしたら、ここに…」
郁美の見る方向には、教室一つ分くらいの大きさの部屋、(といってもコンクリート打ちっぱなしではあるが)があって、奥に段ボールの敷かれた空間があった。そして、莉乃もそこにいた。いた、なんていうのはあまりに優しい表現で、目と口を布で塞がれ、手と足をガムテープで拘束されたいた。莉乃は身じろぎ一つしない。意識を失っているのかもしれない。
「先輩はここで見張っていて下さい。とりま準備してきます。なにかあれば、私のことは気にしないで大丈夫なんで」
わかった、と返事をすると、郁美は小さく頷いてどこか別の部屋に消えて行った。
ギャル子の幽霊が居ない事に気づくのにそこまで時間はかからなかった。しかしそれはそれで好都合だ。あの雰囲気で周りのいられると思うと、気が気でない。
「…でさー、ちゃんと捕まえて来たワケ?」
「おん。だってあれっしょ?あの4人の中で一番遊んでそうなやつ」
「そうそう…って、なにこいつ、違うケド」
「うっそマジで?!」
騒がしくやってきたのはギャル子に似た格好の二人組で、1人は男だった。
「あーっ!イライラする。みすずー、なんか違うの来たよー!」
今さっき来た方向に呼びかけた。それからすぐに、「嘘マジでー!?」とか言いながらまた二人組が出てきた。こっちもギャルのようだ。さっきから、「みすず」「ふたば」と呼び合っている。
「うわマジじゃん。こいつ、意味わかんない。死ねば」
「ごめんってばー。だってこの子、いっちゃん遊んでそうじゃん?」
「知らない。ムカつく。このまま公園の男子トイレ置いてきてよ」
「うわ、確定ルートじゃん」
みすずの彼氏と思われる男がケラケラと笑った。
良平は身体に纏わりついた雨水が乾いていくのを感じた。怒りが込み上げる。激しく歯を噛み締めた。握った拳から血が出そうだった。
良平が一歩踏み出そうとしたときだった。
「なにやってんの」
不機嫌そうに振り返る4人。視界に捉えたのは彼女らのよく知っている郁美の姿だった。
しかし良平にとっては初めて見る姿だ。なびく金髪、盛りすぎかというくらいの長い睫毛、手入れの行き届いた爪、鮮やかな口紅。確かに郁美なのだが、あまりの衝撃に怒りがどこかに引いていった。それは、郁美がそれであった衝撃的よりも、郁美の後ろにいたギャル子と、郁美の姿が完全に同じようにだったからだ。
あの商い教室で出逢ったギャルの幽霊と、郁美が、同じ?頭が周りきらなかった。
郁美の姿に目を取られている時だった。後ろのギャル子が、こちらを向いて何か口を動かしている。なんとかそれを読み取る。
「い、ま、の、う、ち」
4人とも、郁美に気を取られているようで、こちらに気がつく様子はない。うまく回り込めば、そのまま救出できるかもしれない。良平は頷いて、ゆっくりと歩み出した。
「郁美じゃん。そんなカッコでなにやってんの。ウケるんだけど」
「今更なに、裏切り者のクセに」
みすずとふたばの言葉を聞いても、郁美はそのまま立っていた。
「アタシがなんで抜けたか、二人はわかる?」
「はあ?」
「分かるかって聞いてんの!」
少し気圧されたのか、みすずが少しずつあとずさりした。負けじとふたばが答える。
「道で素敵な先輩見つけたって言って、そいつのいる高校いくために、やめたんでしょ!」
「そう、そうだよ。でもそれだけじゃない…」
郁美の高校選びに衝撃を受けている場合ではない。良平は、莉乃の元に足を進めた。まだ気づかれる様子はない。
「じゃあ、なんだっていうのよ」
「2人ともさ、彼氏ができてから、3人でいること少なくなったんだよ。アタシはさ、寂しかったんだよ。でもさ、言える訳ないじゃん。だから、メイクとか、沢山練習して、アタシのところに戻って来てくれるように、頑張ったんだよ。でも、ダメだった。だから…」
「自分から抜けたかっていうの?」
郁美は俯いたまま、両の手を握って、涙をこらえているようだった。
「…バカ」
沈黙を破ったのはふたばだった。
「そんなこと、言ってくれれば、良かったのに、バカ」
みすずが続ける。
予想外の反応に、驚きの表情を浮かべる郁美。
「そんなこと言われたら、メイク落ちるじゃんか…」
みすずとふたばが、最初はゆっくりと、すぐに速くなって、郁美の方に駆け寄った。
「バカ、バカぁ…」
3人で抱き合って泣いている。
しかし彼氏2人の方は、さながら面倒くさそうな顔をして、その場から退場しようとしている。許せなかったが今は莉乃の方が優先である
良平は、莉乃を抱き起こし、目と口の布を取った。気を失っているようだ。それから、できるだけ速く、ガムテープを取り払った。
「先輩…」
ガムテープの痛みか、意識を取り戻した莉乃の口に指を当てて言葉を制した。
莉乃を置いて、あの彼氏どもを成敗しようかとも思ったが、それは無用のようだった。さっき良平が侵入した場所を、後ずさりしながら彼氏どもがやってきた。何かに怯えているようだ。
「オンナノコの友情が分からない男子はぁ、こうだよっ!」
紗英だった。たしかみすず彼氏の方の腕を鷲掴みすると、そのまま軽く持ち上げて、コンクリートの床にたたきつけた。建物が揺れた。もちろん気のせいだ。
「いってぇ!なんなんだよ、なんなんだよおおおお!」
そう言って2人とも逃げていってしまった。
静寂を取り戻した空間には、もう言葉は必要なかった。
もう雨は止んでいた。
◇◇◇
それから、本やネットで調べていて、分かったことがある。
あくまで推察の域をでないが、良平が出逢ったギャル子の霊は、『生き霊』とよばれる類のものだったのではないだろうか。生きている人間の、強い想いや、具現化して、霊となってしまうのだ。怨念の籠もったものであれば、その相手に対して絶大な威力を発揮するが、生き霊を放った本人も良くないことがあるらしい。自分の魂を半分にしているのだというから、当然かもしれないと思った。莉乃は、もしかしたら死者の霊しか見ることができないのかもしれない。それなら莉乃がギャル子の姿を見られなかったのも合点がいく。
今回の場合は、郁美の、ギャルメイクは、ふたばや美鈴に対する想いが形になったものだったのだろう。郁美が、それらと向き合ったことで、ギャル子も消滅したのだろう。いや、1つになった、というべきか。
一応、その後の話もしておこう。
誘拐の一件以降、莉乃は良平に対してだいぶ優しくなった。と、莉乃は思っている。良平は、更に素っ気なくなってしまった、と少し残念がっている。その行き違いには莉乃の良平に対する一見複雑そうで実は単純な想いがあるのだが…
郁美は、ギャルメイクこそしないものの、1学年のファッションリーダー的存在となっている。ちなみに、郁美の高校選びに関わった素敵な先輩、というのは未だにわかっていない。
ふたばと美鈴は、そこまで大きく変わったところはないが、郁美との縁を取り戻し、彼氏との縁をすっぱり切ったらしい。
紗英は柔道部だった。
紫陽花は、植えられている場所の酸性度によって色が変わる。酸性ならば青、アルカリ性なら赤になる。ところが根から送られてくる成分の量の関係で、同じように株でも色が違うことがあるという。しかし、だからこそ、美しいのだ。同じ色だけでも、それは、同じ色の中の輝きに過ぎないのだ。2つの色が互いを理解しあうことで、より深い、多彩な輝きが生まれるのだ。
梅雨の時期の見頃になる紫陽花は、雨を受けて、より輝く。それは雨の中の美しさよりも、やんだ後の、露の輝きなのだ。
雨のつくことわざに、悪い意味のことわざはあまりない。
雨降って地固まる。
雨垂れ石を穿つ。
郁美は、誰かのところに雨が降って、その勢いに、冷たさに、長さに、凍えているなら、伝えてあげられるだろう。
この世にやまない雨はない、と。