3 その前の話
良平にメッセージを送ってスマホを閉じた莉乃は、一呼吸置いてから振り返った。
後ろの席の郁美は、莉乃に向かって手を伸ばしていた。今まさにはなしかけようとしていたのだ。
「さっき見ちゃったんだけどさ」
郁美は、黙って聞いている。
「郁美ちゃんってメイクすごいんだね!」
笑顔で、フレンドリーに、隠し事をしながらのコミュニケーションがここまでとは思わなかった。自分の顔がひきつっているきさえする。今朝見た写真の事はおいておいて、別のところから核心に迫る。
その後の何秒かで、地球が2周した気がした。
それから郁美の表情が柔らかくなった。
「見られちゃった?もしかして、興味あるの?」
「そうなの!凄く興味があるんだけど、なかなか難しくって。郁美ちゃんはどこでそれ覚えたの?」
不自然にならないように、と気を使ってるつもりだが、そもそも喋り方がおかしいことは莉乃自身わかっている。意識高い系女子を演じるのがここまで難しいとは…
「ねえ」
「どうかした?」
「隠さなくていいよ。見たんでしょ。プリ」
演劇部にでも入って修行しようかな、と思った瞬間だった。
しかしそう聞かれて、見てないよ、なんて言い訳が通用するとは思えない。莉乃は意を決した。
「そう。見たよ」
「どう思った?」
「難しいけど、見られるの嫌だったみたいだし。それに、目の下のくま、どうしたのかなって」
「そんなとこまで見られてたのね…」
ばつの悪そうに頭をかく郁美。それから少し周りを見て、筆箱から写真を取り出すと、莉乃の方に向けた。
「こっちの青い髪のが美鈴緑色のが双葉で、みんな違う学校の友達。この金髪が私なんだけど、見ての通り今は普通。他の二人はどうしてるかな…あーなんか懐かしいな。」
「そうなんだ…」
中心に写っている金髪のギャルが、今目の前で淡々と話をしているのが、なんだか信じられなかった。
「どうして筒井さんだけ、辞めちゃったの…?」
「うーん、ホントは分かってるでしょ。私ここの高校にどうしても入りたかったの。だから、辞めちゃった」
心のどこかでそう思っていたのかもしれない。莉乃たちの通う高校は、この近辺の高校のなかでは比較的偏差値が高い。中学校の3年間をこの格好で遊んでいたら、まず担任に止められてしまうだろう。
窓を向いて、郁美は続けた。
「裏切ったんだよね。私」
郁美はそれ以上何も言わなかった。莉乃も、それから言葉を無くしてしまって、写真をじっと見ていた。
「そろそろ行かなくちゃ。またね」
莉乃が返事をするよりも早く、郁美は教室を出て行ってしまった。
雨は、まだやまない。
◇◇◇
「良平くん良平くん!あっち!お寿司があるよ!」
「お寿司のぬいぐるみ、な」
そう言って、紗英はクレーンゲームの方に走っていった。右手にはイチゴのクレープ、左手には唐揚げのカップを持っている。
良平は若干疲れたようにそれについて行く。
その更に後ろを見えないギャルがついていく
「そうそうそんなカンジ~いいね~マジテンアゲ」
テンアゲとはなんだ、と聞くのはもうやめた。さっきから知らない日本語(?)が聞こえまくっていて、いちいち聞くのが面倒になってきていた。
ちなみに、木村ともう一人は既に居なくなっていた。迷子がどっちか分からないので、捜すのもやめた。
紗英の食費はともかくとして、収穫があったとすれば、良平は意外とクレーンゲームが得意だったということであろう。きっともっと上手い人はもっと上手いのだろうが、別にそこを目指すつもりはない。
マグロの握りに顔のついた謎のキャラクターのぬいぐるみを取ろうとクレーンゲームに向かっていると、ガラスの向こうに莉乃の姿を捉えた。
莉乃は何か探すように辺りをキョロキョロと見回していて、その拍子に良平と目が合った。
何かを伝えようとこっちに向かって来る。
「りょうへい君、右!右!」
「あ、ああ」
莉乃に見惚れて…いた訳ではないが莉乃を見ていたせいで手元が狂い、およそ関係の無いところにクレームゲームのアームが入っていった。無駄な動きをしながら元の位置に戻っていくアーム。それが戻るのよりも早く、莉乃は怪訝な顔をして別のクレームゲームの影に消えてしまった。
誤解されたな、と思ったときにはもう遅かった。
「取るの難しそう?」
「あ、うん、まあ、そうかもしれない」
「じゃあ仕方ないねぇ~あっ、あっちにアイスの自販機あるよっ!」
いつの間にか手ぶらになっていた紗英は、そのままアイスの方に駆けていった。アイスに救われたのは初めてかもしれない。良平は足下に放置された可哀相な人形たちを手に持って、紗英のいる方に歩き出した。
「いいねーいいねー。青春ってカンジ」
もはや人事である。というかこんな事をして本当に彼女は成仏するのだろうか。今更不安になってしまう。
「これでいいの。アタシはこれがいいの」
「これで何にもならなかったら神社かどっか行くからな」
「それはマヂ勘弁」
その時だった。
「どうも先輩、奇遇ですね!」
莉乃だった。
「こんなところでお会いするとは、デートですか?」
若干怒っているような気がするのは気のせいではないだろう。その矛先は定かではないが。莉乃が目をゆっくりと細めてニコニコしている時はだいたい怒っている。
「あー、デートっつうか、幽霊の未練がだな」
「はあ。で、どこにいるんですかね」
ギャル子は別に隠れているのではなく、良平の隣に突っ立っている。莉乃の登場があまりに急だったせいで隠れられなかったのだ。
しかしどうやらギャル子の姿は莉乃には見えていないらしい。なぜだ?
「まあ、そういうことなら私も手伝ってあげましょう。…見失っちゃったんで」
見失っちゃった、何を?と聞こうとした所で紗英が帰ってきた。
「あれぇ、りょうへい君、ナンパぁ~?」
「違うよ。後輩」
「ども。莉乃です」
「りのちゃんって言うんだね~よろしく~」
言い終わるかどうか、ニヤニヤしていたギャル子が何かを感じて振り返った。それに気づいた良平も振り返る。そこには莉乃と同じ1年生の制服を着た女子生徒が、どこか懐かしそうに辺りを見ながら歩いていた。
続いて莉乃も気がついたようで、女子生徒、もとい筒井郁美のところへ駆けていく。
「筒井さん一人?」
「え、あ、うん」
「じゃあさ、一緒になんかしない?」
郁美はあまり乗り気でなかったようだが、莉乃に根負けして、こちらにやってきた。
莉乃としては、自分1人では力不足と感じていた。良平と紗英をどうにかするということについて。
そこからは4人と見えない1人で行動した。まず、プリクラを撮った。
撮影は何事もなかったが、その後加工をする場面で、1枚、良平の肩にバッチリネイルの決められた手が写っているのに気がついた。完全に心霊写真である。良平は慌てて、星形のスタンプを肩に置いた。少し不自然だが仕方ない。
それから、併設されている小さなレストランで軽食をとった。紗英は軽食、と言いながラーメンとチャーハンのセットをたいらげた。980円なり。
程なくして、莉乃がお手洗いに行くと言って席を立った。
「えーっとぉ、いくみちゃんだっけぇ?ぬいぐるみ、いるぅ?」
そう言って紗英は良平が持たされていた謎のぬいぐるみ達をテーブルに上げ始めた。
「わぁ、いいんですか?こういうの好きなんですよ」
「全然いいよぉ。だってそれ食べられないんだもん」
たい焼き、のぬいぐるみ。チキンナゲット、のぬいぐるみ。よく見たら全部食べ物だった。そんな話をしている間に、ギャル子が「シメはカラオケっしょ」と言ったので提案してみたところ、あまり遅くならなければOKということで、後は莉乃待ちとなった。
しかし莉乃は一向に帰ってこず、莉乃が席を立ってからもう15分が経っていた。
「んーりのちゃん遅いねぇ」
「私見てきますね」
「おねがぁい」
そうやってお手洗いに向かった郁美だったが、出てきたのは、郁美1人だった。
「あれ、りのちゃんはぁ?」
「えっと、あの」
「どうした?なにかあったのか?」
郁美が差し出して来たのは、莉乃の生徒手帳だった。莉乃の名前と顔写真が表紙に印刷されている。
嫌な予感がした。
良平は、怪訝な顔で聞いた。
「つまり、どういうことだ」
あまりに突然の事態に、誰も、今起きていることを口に出そうとはしなかった。
トイレに行ったはずの莉乃は居なくなっていて、生徒手帳が残されている。考えられる最も悪い可能性。
莉乃は、何者かに誘拐された。
しかしその瞬間の沈黙を破るように、郁美が声をあげた。
「心当たりが…心当たりが、あります」