9 トーンの魔術師
「メルローゼ様! メルローゼ様あぁぁぁーー!!」
どかーんと、中庭へ続く扉をぶち壊して、私は優雅に紅茶を楽しんでいたメルローゼ様に突撃した。後ろでフェイラン様が扉をせっせと直している。ここがメルローゼ様のご実家であるファーレス公爵家だったらこんな真似はしないが、学校なので問題ない。たぶん。
「ふふ、あらどうなさったの? アルルさん」
「アレク様が! アレク様が! ベタの貴公子として君臨成されましたーー!!」
はたから聞けば意味の分からない言葉だが、メルローゼ様はしっかりと理解してくれたようでにっこりと笑顔を浮かべた。
「アレクは仕事が早くて助かるわ」
「やはり、メルローゼ様の差し金だったのですね!?」
「お気に召さなくて?」
「いえ、グッジョブです! エクセレントです! パーフェクトです!」
どうやらこういうことらしい。
私の元で三日間、アシスタントをしてベタの上手さを褒められたことをアレク様から聞いて知ったメルローゼ様が『アルルさん、最近学業も忙しいですし原画があがらなかったら大変でしょう。アレク、手が空いていたらどうぞ彼女を助けて差し上げてね?』なんて、あなたが頼りよ! みたいに言ったらしい。
振られたとはいえ、好いていた女性にこう言われれば、ころっといくよね! アレク様は見事、たまごみたいにころっといった。
「いいなーアレク様、私もなにか絵心でもあればよかったんですが」
と、フェイラン様が扉を直し終わったのかこちらにやって来た。
「あなたには護衛の任があるじゃない。知っていてよ? 四六時中アルルさんの傍を離れないそうじゃない。それ以上にくっついてどうするの」
「アルルーシャ嬢は、可愛いのでずっと見ててもいいんですが」
「ノーと言える日本人に私はなる」
「と仰るので、最近は控えてます。アシスタントなんてまともにできる才は残念ながらなさそうなので」
そうそう、フェイラン様、アレク様がベタ係になったことを知って自分も手伝いをと申し出てくれたんだけど彼、剣と学業以外はそれほど有能ではないらしくお茶はマズイは、皿は落とすわ、紙を破るわで『扉の前から動くな』命令を出してしまったほどだった。君はいつからどじっこになったんだい?
ついでに言うと、どこから聞きつけたのかユーシス様まで家に押しかけて、アシスタントをすると言い出してしまった。おい、あなたはラノベの執筆があるだろ。そして普通に公務もあるだろとまろやかに言って追い出そうとしたが、時間は作ると言って聞かず、ほほうではどれだけやれるかやってみるがいい!! という旨をさらにまろやかに言ったところ。
舐めてた。ユーシス様舐めてましたよ。
彼、器用だ。
私の残念な頭はすっかり忘れていたが、ユーシス様は美味しいお茶を淹れる達人であったのだ。見事な使用人スタイルで給仕をこなす姿は王子に見えない。執事長だ。セバスチャンだ。
その為、追い出すことができず今ではすっかりセバスチャンは定着した。ベル鳴らすと来るんだよ、ふざけておいただけだったのに。ただのネタだったのに。王子侮れない。
「アルルさんったら、ずいぶんとリア充な毎日をお過ごしになられているのね」
「仕事仲間の眩しさが目に痛いのだけが残念ポイントですけど」
超絶イケメン王子と攻略対象者のフラッシュは、ほんと目がつぶれる勢い。保養なんかじゃない、ダメージゲージが振りきれるレベル。
メルローゼ様の後ろに控えていた使用人に紅茶を淹れてもらいつつ、私はのんびりと彼女とお茶をすることにした。以前は公爵令嬢だし、悪役令嬢だして敬遠していたけど話してみるととても楽しい人だ。ベルンツ兄様には悪いけど、この人となら家族になっても良いと思える。
そういえば、最近メルローゼ様の周りに他の攻略対象者がいなくなっていた。ベルンツ兄様への愛を認めて諦めたということなんだろうか。ゆえにメルローゼ様のオタクが暴走し始めている気がしないでもないが。
「こう、作業環境が整ってくるとさらに欲って出てくるもんですよねー」
お茶を飲みつつ、気が緩んだせいかそんな言葉が漏れる。
「あら、どんな? わたくしに叶えられるものでしたら言って下さっていいのよ?」
すでにお姉さんみたいな感じで微笑まれる。美しいーー!! そして頼りがいになるお姉様だわーー!!
「メルローゼ様、トーンって知ってます?」
「ええ、漫画などに使う画材ですわね。かけあみや模様などが描かれている」
「そう、それです! やっぱりペンのみの白黒だと味気ないし、書き込み量もぱないんで欲しいんですよ」
「なるほど、ふーんそうねぇ……」
黙り込んで悩んでしまうメルローゼ様に、やっぱり無理かなと半分諦めかけていると。なんでも頼れるお姉様はやはり違った。
「トーンは魔術師に……ですわね」
……はい?
『一週間後、魔法院へ行って下さる? 話しは通しておきますから』
というメルローゼ様の言葉に従って、私はフェイラン様、ユーシス様、エルド様を同行者に魔法院へやって来ていた。魔法院は王国の優秀な魔術師達が集う場所である。魔法が使えない私には一切関わり合いのない場所ではあるが、ここでなにが待っているというのですかメルローゼ様。
戸惑いながらも魔法院へ通された私達は、とある一室に案内された。
その部屋はなにかの実験室のようで色んな見たこともない機材が並び、触ったらこれ怒られるやつやってのがいっぱいある。なので私は触れない近づかない、けつまずかない。
「すごい、古今東西の珍機材がいっぱいだ! ああ、これはなんだ? 見たことがないな!」
ユーシス王子が好奇心旺盛な子供の目をして機材に近づく。
「面白そうですね。これなんかなんでできてるんでしょう?」
ちょんちょんフェイラン様が物体を突っつき。
「あ、二人ともむやみに近づいたり触ったりしちゃダメ――」
止めようとした私は、足元のコードに気付かずからめ捕られて二人を巻き込みすってんコロリン。大参事。なんだろうね、事前に言うとフラグになるんだろうか。
色々物が落ちてきたが、ユーシス様とフェイラン様に守られ無傷です。まあ、その上からエルド様が守っていたので痛かったのはエルド様だけだ。
「エルド様、大丈夫ですか?」
慌ててかけよると彼は頷いて、無事を知らせてくれる。どうやら無傷のようだ。騎士様、頑丈。
にしてもどうしよう、貴重品とかあって損害賠償請求されてもうちじゃ払えない。顔を真っ青にしているとユーシス様が頭をなでなでしてくれた。
「大丈夫、誠心誠意謝れば許してくれるさ。もし賠償を求められても、それこそ問題ないよ」
「? なぜです?」
「俺を誰だと思っている? 王子だぞ?」
あ、悪い笑顔ですね。
握りつぶすんですか? それとも裏金流しちゃうんですか?
「まあ、それは冗談としておそらくこの中に賠償を求められるようなものはないだろう。片づけは申しつけられるだろうがな」
「もちろんそれはしますよ……やらかしたの私ですし」
「すみませんアルルーシャ嬢、もとはといえば私が機材を触ったりしたからですね。私も一緒に片づけます」
なんてハプニングもありつつ、しばらくすると奥の部屋から黒いローブを纏った青年が入って来た。眼鏡のいかにも頭の良い委員長! 的な風貌で、よくよく見ると目鼻立ちは整っている。また顔面フラッシュか! と慄いていると彼はばっと私に近づいて、反射的に剣の柄に手を添えたフェイラン様にもかまわず私の手を取った。
「君がアルルーシャ嬢か!?」
「ふへい!? そ、そうですけど!?」
「なんとひよこのように可愛らしい! 結婚してください!」
「なんかわかんないですけど、お断りします!!」
「ふられた! でもいい! 僕はあなたの絵をかわりに嫁にします」
変な人きたーー!!
鼻息荒い彼は、即座にフェイラン様とユーシス様に手荒に拘束され、ぐるぐるの簀巻きにされて床に転がされた。二人の背に殺気と黒い影が落ちているのは気のせいだろうか。気のせいだと言って下さい。
「申し遅れた、僕の名はレイベル・カーシス。魔法院の魔術師で先日メルローゼ嬢にある依頼を頼まれた者だ」
簀巻きにされたまま、冷静になったのかレイベルは語りだした。
「なんでもアルルーシャ嬢はトーンなる画材を必要とされていると。だから僕はこの一週間寝ずに思考と研究を重ね、メルローゼ嬢の説明された通りのものを作ろうと必死だった」
「なぜ、そこまで熱心に?」
ユーシス様が怪訝そうに聞く。
私もそう思う。この世界の人が私の描く漫画絵に興味を持ちだしたのはごく最近。そしてまだそれは一部と言っていいだろう。彼がそこまで一生懸命トーン製作に励む必要はないと思うのだが。
その疑問は次の彼の一言で片付いた。
「僕はアルルーシャ嬢の絵の熱狂的なファンなんだ!!」
あー、そういうことか。
それであの結婚して下さいにいくんですね。私は無理なんでどうぞ絵を嫁に迎えてください。
「喜んでくれ、アルルーシャ嬢! トーンは今朝完成したのだ! さっそく君に見てもらいたい。君と共に新たに生み出されたトーンの感動を分かち合いたい!」
「あーこっちかな?」
「アルルーシャ嬢、この部屋にトーンがあるみたいだよ」
勝手に奥の部屋を開けて覗いたユーシス様とフェイラン様は私の手を引いて一緒に部屋に入った。肝心の製作者、レイベルを置いて。
「あ、ちょっと待ちたまえ! 僕はアルルーシャ嬢以外の者の入室を許可した覚えはないぞーー!!」
「へー、すごいこれがトーンか」
「たしかにこれがあれば絵は楽になるかもしれまんせんね」
「すごーい、ありがとうレイベル」
そこにあったトーンを回収し、私達はレイベルを転がしたまま部屋の後片付けを済ませ、さっさと退散した。レイベルはずっと騒ぐか、泣くかしていたが私は仲が悪いはずの二人が足並みそろえているのを見て、なんだか寒気がするので口を挟みません。
その後は、彼からのファンレターが毎日のように届いたが容赦なくユーシス様に燃やされた。
トーンはありがたく使わせてもらい、メルローゼ様が量産にこぎつけてくれたので安心して消費ができるようになったのでした。