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7 ベルンツ兄様vsアレク様

 私は疲れている。

 とーーっても疲れている。

 メルローゼ様からいただいたお風呂用の薔薇を湯船に浮かべてまったりした後、オーレンのおっさんのパンにかぶりつきたい。


 そんな遠い目をして立っている私の傍では熱い戦いが繰り広げられていた。


「アルル嬢は俺が送っていくから、フェイランは先に帰ってどうぞ」

「なにをおっしゃるんですか殿下。アルルーシャさんの護衛は私の役目です。もちろん彼女と一緒に戻りますから殿下はここまでで結構です」


 吹きすさぶブリザード。

 左腕をユーシス様に。

 右腕をフェイラン様に。

 がっちりホールドされ、左右に引っ張られ『私の為に争わないでー』なんて冗談でも言えない状況に陥っている。私の胃袋は現在、限界をとうに超えており体重もきっと大台に乗った。キャパを超越してデザートダブルあーん攻撃の集中砲火に見舞われた私は、胃もたれ待ったなし。


 胃に穴があいた上にぽっちゃり令嬢になったら誰が責任とってくれんの?


「ここはアルル嬢に決めてもらおうか」

「そうですね、我々だけでは決着がつかなさそうです」


 えーー。

 急に向けられた二人の視線に、メンドクサイ予感しかしない。

 どっちかを選んだところで片方にしこりが残るのは目に見えてるんだから。つか、なんで私の帰宅に二人が争うのか。冷静に考えたらユーシス様がついてくる方がおかしいことになるが、彼は最近いつもついてくるので違和感がログアウトしている。慣れって恐ろしいね。


「二人ともついてくれば……」

「嫌だ」

「嫌です」


 なんでだよ。フェイラン様は私の護衛だからついてくるんだろうし、ユーシス様は恒例行事だ。仲良くしてくださいお願いします。

 どうしたもんかと頭を悩ませていると、ふっと視界の端に銀色が横切った。それがなんなのか普段ならどんくさい私の頭は危機的状況により異常な速度で高回転し割り出した。そして両腕から二人の力が緩んだ瞬間を逃さず彼らから離脱すると猛烈な勢いでダッシュ。

 銀色のそれにタックルした。


「ごふっ!?」


 チビである私の頭がちょうどその銀色のみぞおちあたりにヒットして変な声が聞こえる。しかしそんなことをかまっている余裕があいにく私にはなかった。ユーシス様もフェイラン様も反応が早くて、しかも私より足が長くて速度もあるのであっという間に追いつかれるのだ。


「アレク様! 剣は扱えますねっ!?」

「ごほっ、ごほっ――急になんだと思ったら、アルルーシャ嬢じゃないか! 一体どういうつもりだ!」


 銀色のその人は、侯爵子息のアレク様だ。メルローゼ様の取り巻きの一人(攻略対象)である。鋭く冷たい双眸に睨まれるが、それよりあの二人の方が私にとっては脅威だ。


「剣、扱えますよね! そしてそこそこ強いですよね!」

「俺の質問に答えろよ! つか、そこそことか失礼だな一応フェイランの次には強いつもりだが!?」


 すったもんだしていると、二人が追いついてきた。


「あれ、アレクじゃないか」


 ユーシス様がアレク様を見て、笑顔で手を振る。フェイラン様がその斜め後ろで頭を下げた。


「ユーシス殿下? それにフェイランじゃないか、二人が一緒とは珍しい」

「ちょっと訳ありなんだ。アレク、アルル嬢を返してくれないか?」


 こっそりアレク様の背に隠れたのに意味なし。

 アレク様は私の後ろの襟を掴みあげるとぞんざいに前方に突き出した。首根っこ掴まれた仔猫状態である。

 にゃあ。もっと大事に扱えやゴラァ。


「なぜ城にアルルーシャ嬢がいるんだ? 特に用事もないだろうに」

「訳ありだと言っただろう。詳しいことは内緒だ」

「ま、別に興味もないけどな」


 と、早々に返却されそうになったので私は慌ててジタバタした。


「私決めました! アレク様と帰ります!」


 ユーシス様とフェイラン様が「えっ!?」アレク様が「はあ?」とそれぞれ反応する。


「二人とも喧嘩するなら知りません。私はアレク様と帰宅します。アレク様はフェイラン様の次に剣がお強いらしいので護衛にもぴったりです。ほーら問題ない、無事解決です」

「えー、でもアルル嬢……」

「ふーんだ」


 ユーシス様が言いつのろうとしたので私はつんとした態度をとった。話しはもう取り合わない。なんで帰るだけなのにこんなに疲れなきゃいけないのか。ここはちょっと突き放した方がいいだろうとそう思ったのだが。


 …………なぜだろう、ユーシス様とフェイラン様がキラキラした顔でこっちを見てくる。そしてちょっと頬が赤いんだけど?


「なんだか胸がきゅんときた」

「私もです殿下」


 はい?


「アルル嬢、もう一回! もう一回ふーんして!」

「そしてちょっと頬を膨らませると完璧かと!」

「変態ですか!?」


 なんでつんけんしたのに好感度上がってるんだ!? 恐怖に慄いていると、アレク様がなぜか私を背に隠してくれた。なんで? と思って彼の顔を見るとちょっと顔色が青ざめている。


「お前らは幼女趣味の変態野郎か!? 知らなかった、見損なったぞ! よし、アルルーシャ嬢、俺と帰ろう。なに安心しろ、奴らからは俺が守ってやる。ノブレスオブリージュ!!」


 私をタワラ担ぎし、アレク様は踵を返して全力疾走した。

 彼の行動は予想外だったのか、二人ともぽかんとしており追いかけてくる様子はない。やった、これで無事に帰れる! そう思いながらも。

 アレク様、私はチビながらも十七歳のレディなんですが?

 幼女の括りにされたのは心外なんですが?

 そして乙女をタワラ担ぎってどうなの?


 色々不満は渦巻きつつも、あっという間に馬車に運ばれお家になんとか辿りつけたのでした。



「ありがとうございましたアレク様」

「いや、いい。なにか困ったことがあればまあ、これからも助けてやらんこともない」


 アレク様はちょっと癖のある方だが、そんなに悪い人じゃない。懐にさえ入り込めれば優しい人でもある。助けていただいたお礼に家でお茶でも出そうかと考えていると。


「アルル? 帰って来たのか?」


 玄関から出てきたのはベルンツ兄様だった。

 そしてアレク様と鉢合わせしたベルンツ兄様の顔が真っ青に。対するアレク様の表情は氷点下までだだ下がりした。


 あれー? なんか寒いなぁ。ユーシス様とフェイラン様のブリザートより寒い気がするよー。

 

 じりじりと私は二人から距離をとった。

 ようやくお家に帰れたと思ったのに、家の中に入る前に一触即発である。勘弁してくれ。


「ベルンツ殿、お邪魔している」

「へっ!? あ、い――いらっしゃいませ!?」


 ベルンツ兄様、なんかパン屋でバイトしているみたいな応対だよ。声、裏返ってるよ。はたから見ると蛇に睨まれたカエルな兄様。妹は遠くで紅茶を飲みながら兄様を応援しています。

 だからお家、入っていい?

 膠着状態になっているすきに兄様の隣をすり抜けて家に入ろうとした瞬間。


「愛しのベル様ーー! 夕暮れ迫る神秘的なひとときをこのメルと共に過ごしましょう!」


 どーん!!

 メルローゼ様、ご登場。

 なんでこんなエクセレントなタイミングで来ちゃうんですか貴女はーー!!

 もう、さすがですわ!!

 ってか、いつの間に兄様の愛称がベル様に。


「……メルローゼ」

「あら、アレクじゃない。珍しいですわね、ベル様のお家にいらっしゃるなんて」


 どこかショックを受けたような顔でアレク様がメルローゼ様と対面している。まあ、アレク様はメルローゼ様がバッドED回避の為に好感度を上げられていたようだから彼女に対して少なからず好意はあるはず。このらぶらぶ(主にメルローゼ様の方)オーラに気圧されても仕方あるまい。


「縁あってアルルーシャ嬢の護衛を少しな。それとちょうどいいから、ベルンツ殿に勝負を挑もうと思う」

「へっ!?」

「あら」


 腰から剣を抜いて、びしっと玄関で引け腰状態の兄様に切っ先を向けた。


「メルローゼをかけて、剣で勝負といこうじゃないかベルンツ殿」


 きゃー、少女マンガ王道の展開だわー。

 好きな人をかけての熱い勝負、手に汗握る展開。大切な二人に挟まれて揺れる乙女心、私……どっちを応援したらいいの!?

 そんな心境ですよね! メルローゼ様っ。


「ベル様ーー!! アレクなどこてんぱんにのしちゃってくださいなーー!!」


 ぶれねぇっ!!

 この人、ぶれねぇよっ!! いっそ清々しくてカッコイイよ!!

 あ、アレク様がちょっと涙目だ!

 白いタオルでも用意しておこうかな。降参用と、涙を拭く用。


「あの……穏便にいきません?」


 兄様がおずおずときりだすと、アレク様はぎりぃっと歯ぎしりした。


「いくわけあるまいっ!!」

「で、ですよねー……」


 渋々と兄様はアンナから剣を受け取り、私達は庭へと回った。剣の勝負をするにはちょうどいい広さのある庭だ。兄様とアレク様は距離をとって向かい合った。


「潔く一本勝負と参りましょう、二人ともいいですわね?」

「ああ!」

「……はい」

「それでは、始め!!」


 メルローゼ様の合図で、試合は始まった。

 張りつめる空気の中、兄様の雰囲気ががらりと変わる。あれだけアレク様に怯えた様子を見せていたのに今ではその姿が嘘のように凛としていた。

 まあ、これが本来の『ベルンツ兄様』なのだけれど。

 そんな兄様の様子をはじめてみたのか、メルローゼ様もアレク様も息を呑んだ。ぴりぴりと痛いくらいの緊張感が走る。静かな時間が過ぎ、そして。

 動いたのは――同時。

 剣戟の激しい音が鳴り、目にも止まらぬ速さで動く二人に素人の私の目が追いつかない。どちらか優勢なのかもぜんぜん分からないが、たぶん勝負はすぐつくだろう。

 だって、相手はベルンツ兄様だし。

 そう思った瞬間、キィンッと甲高い音が鳴って一本の剣が宙を舞い、地面に突き刺さった。残された剣は相手の喉にその切っ先を突き付けている。

 シンとしたわずかな時間、ハッと勝負がついたことに気が付いたメルローゼ様が声を上げた。


「勝負ありですわ! 勝者、ベル様!!」


 剣を手放してしまったのは、アレク様の方だった。ベルンツ兄様はとくに息を乱すこともなく冷静な瞳で地面に尻もちをついてしまったアレク様に剣の切っ先を向け見下ろしている。


「ば……馬鹿な……フェイラン並み――いや、もしやそれ以上か!?」


 自分が負けたことが信じられないのか、アレク様は呆然と声をもらす。

 ベルンツ兄様は、ノー天気な家族とは違って繊細で平和主義の胃痛持ちだが男爵家の長男らしく武術の心得はあるし、乗馬も達者だし頭も良い。普段は争いを嫌って逃げ回っているが、剣の腕前はびっくりするほど高いのである。公式の試合は避けているので知る人はほとんどいないが。


「きゃーー!! さすがベル様ですわ! カッコイイですわーー!!」


 メルローゼ様に突撃され、兄様は慌てていつもの状態に戻って逃げ出した。

 うーん、恰好良さが長続きしない、それが我が家のベルンツ兄様である。アンナ達もやれやれと勝負が終わるのを見届けて屋敷に戻って行き、庭には私とがっくりと四つん這いになった負け犬のポーズをするアレク様が残されてしまった。

 アレク様、タオルいりますか? 投げますか?

 タオルを握りしめて、どうしようかなーとうろうろしているとアレク様が膝を抱えて顔を埋めてしまった。あれま、あれは静かに泣きに入りましたね。この様子だと相当メルローゼ様のことがお好きだったようだ。失恋男の対処法など私は知らない。しかし放っておくこともできなかったので、とりあえずパサリとタオルを一枚彼の頭に被せた。


「……アルルーシャ嬢」

「顔を上げなくてもいいですよ。まあ、時間もありますしのんびり庭で黄昏ましょう。とっておきの元気になれる歌も鼻歌でよろしければ歌いますから」


 前世で散々歌ったアニソンを披露する時が来たようだ。

 ふんふんふん。

 私の歌がどれほどの効果を発揮したかは定かではない。ただ、隣で微かに震えて声を押し殺して泣いている彼の背中を時々とんとんしながらアニソンメドレーはゆるやかに空に溶けて消えていった。

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