4 パン屋の君
「アリスさん、田舎に戻ったそうですわ」
そう言うのは、王立学園の奥庭に公爵家の権力を行使して作った自分用お茶スペースで優雅に紅茶を楽しむメルローゼ様だ。その向かいの席になぜか私が座っている。そして周囲は彼女の取り巻き――ごほん、間違えた麗しき攻略対象者数人が立っている。
なんか、取調べされているような気分で萎縮してしまう……。
出された紅茶もそこそこに、私は彼女の話を聞いていた。
どうやらアリスさんはあの後、学園を中退して田舎の実家に戻ったらしい。これで完全にバッドEDを回避できたことになったからか彼女は嬉しそうで、しかし少し残念そうな顔もした。
「アリスさんには酷いことをしてしまいましたが、彼女にはいい薬となったことでしょう。田舎で少しでも幸せになってくださればよいのだけど」
アリスさんは他の男性にもちょっかいをかけまくっていた事実がバレ、フラム王子にも見限られてしまったようだ。自業自得とはいえ、可哀想ではあるので私も彼女の幸せを遠くから祈っておこう。
で、メルローゼ様は私にこんな事後報告をわざわざしにきたのだろうか。
そんなことしなくても噂はすぐに耳に入るし、私はユーシス様のところへも通っているからフラム王子の話もそこそこ聞いている。直接言わなくてはいけないことではないはずだが。
ちらりとメルローゼ様を見れば、話が途切れたあと彼女はどこかそわそわと視線を彷徨わせている。なにか私にいいづらいことがあるのか。面倒なことになる前に紅茶を飲み干してお暇した方がいいかな。と考えていると、先にしびれをきらせたのは宰相息子のフェイラン様だった。
「メルローゼ様、アルルーシャ嬢に聞きたいことがあるのでしょう?」
びくりとメルローゼ様の体が跳ねる。それと同時に他の三人が渋い顔をした。
「そ、そうですわね。迷っている時ではありませんわ……」
彼女は頬を赤く染めながら、指を交差させてもじもじとしてみせる。
え? なに、その反応。
「アルルさん、あなた市井のパン屋オーレンを知っているわよね?」
「ああはい、通ってますから」
「では! あそこで働いている黒目黒髪の素敵な紳士は知っていて!?」
なんだか言葉を荒げながら、メルローゼ様は聞いてくる。
黒目黒髪の素敵な紳士? あそこはオーレンのおっさんと奥さんが二人できりもりしているはずだ。忙しい時はベルンツ兄様やアレシス兄様が手伝ったりしてるみたいだけど……。
黒目黒髪か。
どうしよう、二人とも黒目黒髪だ。
「ど、どうでしょう? 覚えがあるようなないような……」
「とても素敵な方なの! パンのことを親切丁寧に教えて下さったり、荷物が多くなって困った時は馬車まで運んでくださったし、なによりあの優しい声と笑顔にわたくしはもうっ! ああ、パン屋の君……」
メロメロだ。
熱をあげてヒートアップするメルローゼ様とは対照的にどんどん攻略対象者達が落ち込んでいく。がんばって、君達もうちょいがんばって。
うーん、優しい声と笑顔か。アレシス兄様はバイト中でもあまり人に愛想を振りまいたりしないのでやっぱりベルンツ兄様の方かな。やったねベルンツ兄様、超美少女が恋人になるかもしれないよ! その前に倒さなくちゃいけないハイレベルな敵がいるけど頑張ってね。
後、あまりにもメルローゼ様の圧が強かったのでうっかりベルンツ兄様のシフトをぽろっと言っちゃったけどいいよね!
私、もうシラナイ。
恋愛のごたごたに巻き込まれるベルンツ兄様の図を想像して、私は合掌したのだった。
それから一月ほど経って、ベルンツ兄様がメルローゼ様に追いかけまわされて胃に穴が開いたとか、ハイレベル恋敵達にいじめられて泣いて帰ってきたりとか、ユーシス様にお菓子を食べさせられまくったせいで体重がやばいことになったとか、色々――それはもう思い出したくもないほど色々あったけど、ユーシス様との打ち合わせもなんとか進んで、ようやくそれなりの形となった。
そして今日、私はユーシス様と一緒に街の中央にある『カーヴァル出版社』を訪れている。
ユーシス様が王子様であることは出版社でも一部の人間しか知らないらしく、彼は変装していた。髪は地味な茶色に、目は銀色、深い帽子を目深にかぶりちょっと怪しい人だ。色が違うってだけで印象も結構変わってすぐにユーシス王子だ! と気が付かれない。私も最初会った時、あんた誰状態だった。それでも迸るイケメンオーラは消せないのか、地味な色にしているのに女子の視線は熱い。
そんな中を潜り抜け、出版社に入ると美人な受付嬢に案内されて編集長室に通された。
編集長は恰幅の良いおじさんで、私達が来ると丁寧に礼をして席に座るよう促した。
「殿下、すみませんなわざわざ御足労を」
「俺は王子だが貴方達からしたらまだまだひよっこの小説家、これくらいは当たり前だろう。それに今日俺達は出版社に新しい小説……ラノベを売り込みにきたのだからな」
ユーシス様と相談して、あの新しい若者向け小説を『ラノベ』と名付けた。私がそれとなく案を出したらユーシス様が即決してしまったのだ。なんていうか最近、ユーシス様は私に甘い気がする。家への送迎も途中からエルド様じゃなくてユーシス様自身がついてくるようになった。正直、気が休まらないので馬車の中くらいは静かなエルド様が良かったです。
「ふむ……はと便で送っていただいた原稿と絵を見ましたが、本当にこれは今までにない斬新な試みですな。我々はとても面白いと思いましたが、民衆に受けるかどうかは出版するまで分からない。だが、私は挑戦してみようと決断致しました。新たな風を常に取り入れ書の革新を続けていくことこそが我らの使命ですからな」
熱い編集長に私達の拳も強く握られる。
どうやら私達のラノベは、出版してくれる意向らしい。ユーシス様は安心したのかほっと息を吐いた。
「感謝する、編集長殿」
「こちらこそ、殿下の新たな風、強く吹かせてみせますとも」
二人はがっしりと握手を交わして私達は出版社を出た。
さて、今日はもう帰るのかなと思ったらユーシス様は馬車に乗らず私の手を引いて歩き出した。
「ユーシス様? お城に帰らないのですか?」
「ああ、ちょっと寄りたいところがあるんだ」
そう言いながら私の小さな歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれる。手を繋がなくても転んだり迷子になったりはしないと思うのだが、ユーシス様はちょっと心配性なところがある。なにせ、近頃は城の中でも移動する時は手を繋いでくるのだ。
なぜ? と聞いたら、彼は笑顔で『安心するから』と。
私はチビですが、子供じゃない。十七歳のレディであることを前も言った気がするが繰り返し訴えれば、そういう意味じゃないとなんでかガッカリされた。
意味がわからん。
ユーシス様は前に来た事があるのか目的地までは迷うことなく進んで行った。そして辿り着いたのは。
「パン屋オーレン!」
最近なにかと話題に上るパン屋オーレン。主にベルンツ兄様の惨劇の舞台である。あ、間違えためくるめく恋の舞台である。
「なんだ、知っているのか?」
「常連ですから」
「そうか、ならわざわざ来ることはなかったかな? 前に来た時、市井の中ではかなり安くておいしいからアルル嬢にもと思ったんだが」
「何度食べてもおいしいので、今日も食べます」
その言葉に、ユーシス様は甘くとろけるような極上の笑顔を見せてくれた。私はもう慣れたが、周囲にいたお嬢さん方が被害にあった。地味な色にしててもイケメンはイケメン。乙女には殺人的なオーラです。
眩しいなと思いながらオーレンの扉を開けると。
「……いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませーー!」
沈鬱な表情のベルンツ兄様と、輝かしい笑顔を浮かべるメルローゼ様がいた。
くるりと踵を返して帰りたくなったが、ユーシス様が入っていってしまったので渋々私も中に入る。
ねえ、なにやってるの? メルローゼ様!
美しき公爵令嬢、メルローゼ様はオーレンのエプロンを下げて綺麗な銀髪を編み込み、三角巾をかぶっている。ちょっと浮いてるパン屋の看板娘さんだ。
ユーシス様は二人を見て、しばらくして気が付いたのか、ああと声をあげた。
「ファーレス公爵家のメルローゼ嬢じゃないか」
「あら? あなたは……ユーシス殿下ではありませんか。どうしたんです? その恰好」
「俺は街に用があって変装だ。そういうメルローゼ嬢こそここでなにを?」
メルローゼ様はふふんと楽しげに微笑むと隣にいた置物みたいになっているベルンツ兄様の腕に自分の腕を絡ませた。
「いつでもどこでも愛するパン屋の君と共に! わたくし、オーレンでバイトさせていただくことになりましたの!」
すごく嬉しそうだ。
いいのかな、かりにも公爵家のお嬢様がこんなとこでバイトって……。
ちらりとベルンツ兄様を見れば、彼は必死にこちらにアイコンタクトしてきた。
た す け て !!
私は笑顔でサムズアップ。
が ん ば れ !!
恋する暴走乙女を止めることなんて、か弱い私には無理無理。
ユーシス様とパンを選んで、メルローゼ様に会計をお願いし私達はオーレンを去った。ベルンツ兄様はいい加減現状を受け入れたらいいと思う。色々面倒なこと考えるから、胃に穴が開くのだ。ポジティブにいけ、我が他の家族のように。
私はというとオーレンの近くにある公園でユーシス様にあーんの刑に処されていた。公衆の面前でとかどんな公開処刑ですか? ユーシス様……。