2 第一王子様の絵師
「アルル嬢、なにが飲みたい? 紅茶、緑茶、ジュース各種取り揃えているぞ」
そんな飲み物の博覧会みたいにテーブルに並べられてもどれがいいかなんて分からない。紅茶の種類なんてどれくらいあるんだ? 王子の趣味なのか、ありとあらゆる種類が揃っている。なので。
「一番お高くて貴重なものが飲んでみたいです」
図太い貧乏人精神で言ってみれば、ユーシス様は気分を害することもなく楽しそうに「じゃあこれだな!」と、とある一品を私に差し出して来た。
「これを選ぶとはアルル嬢も目が高い。北のアルトア地方でのみ原産されている非常に貴重で値段も張る一品だ」
でかい寡黙な騎士が他の飲み物を片づけている間、ユーシス様が手ずからその飲み物を淹れてくれた。どうやら紅茶の一種らしい。そして今更気が付いたけど、あのでかい騎士はユーシス様付きの護衛騎士エルド様だ。ゲーム画面でちらりと見たことがある。
ユーシス様のお部屋はなんというか広いんだけど色んなものがごちゃごちゃ置いてあってどこかの散らかった美術館みたいだ。古今東西の珍品集めました……みたいな。たぶん収集癖があるんだろう。この飲み物の種類からして尋常ではない。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。……あ、良い匂いですね」
お高い紅茶らしく芳醇な香りが立つ。
ユーシス様はにこにこしながら、すぅーーっと私からなぜか離れて行った。
ちょっと疑問に思いながらもまあいいか、と紅茶を口に含み。
ぶふぅーーーーー!!
思いっきり吹出した。
「げほっ、がはっ、ごほっ!?」
不味い!! 超不味い!!
牛乳を一週間くらい放置して、床に零し雑巾で拭いたものを絞ったような味がする!!
いや、そんなもの飲んだことないけど! それくらい衝撃的な不味さだった。
うう……せっかくさっきまでおいしいご飯食べてたのに後味が吹き飛んでしまったじゃないですか。
「あんなにいい香りなのに、味は壮絶なんだよな」
「知ってましたね!? 知ってて出しましたね!?」
「あははは、だってアルル嬢が一番高くて貴重なものと言うから。味は不味いが肝臓にはいいそうだぞ? もういっぱい飲むか?」
「私の肝臓はいたって健康なのでけっこうですーー!!」
貧乏人精神なんぞ出すんじゃなかった。自業自得とはいえ、あんまりだ。
ユーシス様は楽しそうに笑いながら、棚から新たに紅茶を出して淹れてくれる。
「…………」
親の仇のように出された紅茶を睨んでいると、ユーシス様は苦笑した。
「今度のは一番高くて『おいしい』紅茶だ」
「いただきます!!」
さきほどの惨劇も一瞬で忘れて高価で『おいしい』紅茶をごくりと飲んだ。香りがいいのはもちろんのこと味もすごく良かった。あの酷い味のあとならなおさらおいしく感じられる。ほどよく甘く、すっきりとした味わいに『これがお高いお茶!』と貧乏男爵娘の私はほわぁーっと幸せ心地になった。
家族にも飲ませたいなーと思いながら紅茶を楽しんでいると、私が吹いた紅茶の掃除(エルド様が黙々とやっていた)を終えた黒革のソファーにユーシス様が腰掛けた。
「さて、本題に入りたいんだが」
「そうでした。殿下はなにか私にご用事ですか?」
うんと彼が頷くと、エルド様がすっとユーシス様に一冊の本を差し出してそれを受け取った彼はそのままその本を私に見せた。
「実は俺、小説家なんだが」
「ぶふおぉっ!?」
エルド様がおぼんでユーシス様の綺麗な顔に私の汚い噴射物がつかないようガードした。すみません、ありがとうございます。
「そんなに驚くことか?」
「そりゃ、一国の王子様が小説を書いているなんてあまりないですから……。公務で忙しいでしょうに」
「まあその間を縫って上手くやっているさ、速筆なほうなんでな。もちろんコネなんぞ使ってないぞ? 小説家用の名前で新人賞に応募して受かったんだ。それでアルル嬢に一つ、頼みがあるんだが」
と、ユーシス様が私の画用紙帳をとって広げた。
さきほど使われた証言用の絵がいくつも描かれている。
「君は絵が上手い。びっくりするほどだ……実は俺の新作に新たな絵師をお願いしようと思っているんだが出版社が打診してきた絵師がどれも気に入らなくてな。なんていうかこう、俺の新たに考えている物語と絵が合わない……もう少し若者受けするような斬新でかつ柔軟な、俺もはっきりと言葉にできないんだがそういう絵が欲しい」
ふむ、なるほどユーシス様はつまり私に新作の挿絵を描いて欲しいというわけか。
「ためしに描いてみてくれないか?」
「ご遠慮させていただきます」
きっぱり断った。
まさか断られるとは思わなかったのかユーシス様の顔が驚きに彩られる。
だってさ、もしも私がユーシス様の絵師になったら何回もこのキラキラした顔と対面しなくちゃいけないんだよ? しかも一国の王子様だよ? 次期国王ですよ? 心労で胃に穴空いたら、誰が責任とってくれるのか。それにこんなことが他の令嬢達にばれたらどんな嫉妬をぶつけられるか分かったもんじゃない。ユーシス様はモテるんだぞ。愚直な弟と違ってな。
「……ダメか?」
「すみません」
悄然と肩を落とすユーシス様がなんだか捨てられた子犬みたいで心が痛む。まて、騙されるな私、ユーシス様は今年で二十四だぞ。惑わされないように紅茶をぐびぐび飲んでいると、ユーシス様は溜息をつきながらなにやら一つの箱を取り出した。
「描いてくれたら、お礼にこの高級菓子店メルゾーネのチーズタルトをやろうかと思ったんだが……」
「――描きましょう!!」
ぽーんと一本釣り。
にっこりと悪い笑顔を浮かべたユーシス様にハッとした。
ああ!! 馬鹿、私の馬鹿!! うっかりはめられたーー!!
「じゃあ、ここにためし描きしてみて」
私の余っている画用紙帳を開いて、楽しそうにユーシス様が言ってくる。
実はこの人、本性は悪魔じゃないかと思えてきた。
さらば、私の平穏な人生。
「えっと……その新作を読んでみないことにはためし描きもできませんよ。私そこからどういうふうに描くか考えるので」
「そうか、発売前だから本当は見せられないんだが今回は仕方がないな。誰にも内緒にしてくれよ」
「心得てます」
エルド様から原稿用紙のままのユーシス様直筆小説を受け取った。ユーシス様の字、ちょっと乱雑で汚いけど読めないほどでもない。
「では、拝読させていただきます」
そう断って、さっそく私は彼の原稿を読み始めた。
一時間ほど、ざっと前半部分を読み終わった私はいったん手を止めた。ユーシス様はゆったりと魔導式蓄音機で音楽をかけながら紅茶と侍女が持ってきたお菓子を摘んでいる。
私はちらりと彼を見た。
見た目は優雅な気品あふれる王子様だが、中身は悪魔の部分を隠し持った男である。その印象とこの小説の印象はまったく違った。これはなんというか……。
ラノベじゃね?
異世界へ飛ばされた主人公が神様にあってチート授かって俺TUEEEして女子に無駄にモテてハーレム状態で無双――――。
ラノベじゃね?
「どうだった?」
「なんというか……確かに斬新ですね」
この世界にはまだない文法とストーリーだ。前世では溢れるほどあったが、小難しい文芸ばかりのこの世界には新たな風といっていいだろう。
「君の目から見てこの小説は面白かっただろうか」
「はい、それはすごく面白かったです」
はじめて挑戦したのであろうラノベをユーシス様は実に見事に書き上げていた。はられた伏線の回収部分までは読んでないが、いろんなところに仕掛けがあって読み手を飽きさせず、とても続きが気になる。前世の私は文芸よりラノベ派だったのでこちらの方が好みであった。
ユーシス様はとても嬉しそうに微笑んだ。
「活字の苦手な若者にどうやったら読んでもらえるか考えに考えた文法とストーリーなんだが、手ごたえがあって良かったよ」
「なんだかすごくわくわくしてきました! さっそく描いてみます」
まっさらな画用紙にペンを迷いなく走らせていく。
ラノベといったら、従来の写実的なものではダメだ。ユーシス様が望んでいた通りもっと柔軟に、若者受けする新たな切り口が必要。
だとしたら、もうこれしかない。
私はさらさらと自分でイメージした男主人公の姿を描き出た。ラフだが今はこれで十分だろう。
「こんな絵はどうでしょうか!?」
「――こ、これは!」
ユーシス様が私の絵を見て目を見開いた。
画用紙帳に描き出されたのは前世の世界でいう、漫画タッチの絵だ。人間をデフォルメし可愛く、またはかっこよく描き出す。この世界ではまだ存在しない絵柄。
「これだ! 俺が求めていたのはこの絵だ! 人間的な形を残しながらも柔軟で斬新な筆触。目を引くデザイン――これこそ新作の主人公に相応しい絵柄だ」
感動に目を潤ませながらユーシス様はがっしりと私の手を握った。
「ぜひ、俺専属の絵師になって欲しい」
「え……専属はちょっと――――」
「メルゾーネのチョコレートパン」
ぴくっ。
ハッ、いやダメダメ騙されちゃ!
「と、先ほどの紅茶フィゾを家族分、お土産にやろう」
「――がんばります!!」
がっしりと握手を交わした。
単純なお馬鹿さんめーっと天使の自分が嘆いているが、食べ物欲求……特に甘いものと紅茶の誘惑には勝てないのです。帰ったら家族と一緒にまったりおいしいお菓子食べよー。




