散々な日
あれから部屋に戻り次第直ぐ、私は荷物を持って宿屋を出た。勿論、あの宿屋にあれ以上いてはいけないような予感がしたからだ。今は街の大通りから細道に入り、そこにある店を巡りながら商品を物色している。あれから三時間経ち昼前である今の時間帯は人通りがよく女性が多いため動きやすい。何よりここは、大通りが近いにもかかわらず、横にそれた細道は入り組んでいて隠れるのに最適だ。
昨日から今まで、本当に散々な日である。
昨夜は追い回され、今朝はご飯を食べ損ない、今も誰かに後をつけられている。向こうは私が気付いていることを知らないだろうが、宿屋を出た時からずっと付けてきているのは最初からわかっていた。
どこをどう怪しまれたのかわからないが、三時間もご苦労なことだ。大方、身なりの良かったあの美形が関係していることも予想が付いている。あの男、所作が美しかった。もしかしたら貴族なのかもしれない。あのとき声を掛けてしまった私は、大変運が悪かったようだ。このまま買い物を楽しんでいる振りを続けていたら疑いも晴れてくれるだろうか。まあ、いざとなったらまくが、そうするとさらに目をつけられることになりそうなので、なるべくそれは避けたい。
はぁーーどうしてこんなことになったのか……もう嫌だ。まだ、見つかって一日しか経っていないが、既に心が折れそうだ。《鴉》以外にも目をつけられるなんて……。
このままずっと逃げきれる自信がない。
「危ない。とまって!」
そんな事を考えていると、すぐ近くから若い女性のものであろう高い声がその場に響いた。突然のことに条件反射でそちらを振り向くと私の横を三、四歳くらいの小さな女の子が走っり抜けていった。そして気づいた。その先の大通りに馬車が向かって来ていることに、このままではあと僅かでぶつかってしまうことに。だか、少女は気づいていないようで、走り続けている。ぶつかると命が危ないことは容易に想像できた。
何故だろうか、助けようとしたのは。自分でもわからないが、気づいた時には駆けだしていてその勢いのままぶつかる直前の少女の背を押していた。が、ぎりぎりで私は間に合わない。
私の身体は馬車とぶつかり少女の変わりに宙に投げ出され、次の瞬間地面に叩きつけられた。咄嗟のことで上手く受身が取れず、全身に激痛が走る。嗚呼ーー本当に散々な日だ。
慌てて此方に向かってくる人達が、ぼんやりと見えた。
まずい……。身体が動かない上に目も霞んできた。
ああ、私はこのまま死ぬのかな。だか、どうせこれからどう生きていけばいいのかもわからないのだ。それに、今まで散々殺して生きてきた中、最後に生かして死ぬのは悪くない。そんなことを思うと、自然と気持ちが穏やかになり、無意識のうちに微笑んでいた。
♢♢♢
重い瞼を開けると目の前がぼやけてよく見えなかった。その上、全身が痛い。そこまで考えて思い出した。確か女の子の代わりに馬車に引かれて、咄嗟に受身をとろうとしたのだ。そしてそこからの記憶がない。
此処は何処だろう?
だんだんと視界が開けてきたころ視線を感じ横を見上げて固まった。だって、そこには先程の宿屋の美青年がいたのだ。それも、黒髪じゃなく金髪のーー。
青年は私の意識が戻ったことに気づいたようで、顔を覗き込んでくる。
「起きたか。気分はどうだ?」
これはこれは、声までそっくりだ。そんなことを考えながら返事をしようと身体を起こそうとしてーー
「いっ……つ…」
激痛が走った。しかも全身に。どこもかしこも痛い。そりゃそうだろう、私は全身地面に叩きつけられたのだから。寧ろ何故生きているのか不思議である。否、目の前の青年のおかげ……か。
「ああ、急に動かない方がいいぞ。医者に見せたところ、左足と左腕の骨にヒビが入っている可能性があると言われた」
そんな事を言いながら、美青年は私に水を差し出してくれた。どうやら、骨折しているのは本当のようで、左腕が痛くて動かない。
「貴方は今朝の食堂の?でも、髪色が……それに、ここは?」
水を受取りつつ尋ねる。いま、私はかなり混乱していた。わからない事だらけで。
「ああ、これか?そうそう、これを見たら大体わかるだろうが、俺、王族だから」
美青年は自分の髪を指差しながら、何ともない風にそう言った。
…………。今なんて言った?王族?確かに金髪は王族に多いけど……。それにこの人、一人称変わっていないか。若干、言葉遣いも悪くなっている気がするのは気のせいだろうか。
「それに、お前だって貴族だろう?銀髪じゃないか」
……えっ。
慌てて髪を手にとって見る。銀髪だった。
ーー桂が取れている。
私の思考はそこで完璧に停止した。




