赤いのは食べ物ではありません(2)
ロイドが変態になった。
獣から変態へは、進化したというべきなのか、退化したというべきなのか、判断に迷うところだ。
「おいこら、ロイド、気絶している人間の匂いを嗅ぐな、頬ずりもするなっ!」
「先見の予知が当たったな、我が君」
「お前、話を逸らすなよ……」
ゲオルクに槍の石突でぐりぐりされたりしているにもかかわらず、ロイドが抱き込んだ女性を手放す気配はない。ついでに言えば、ロイドは、女性の相方らしき黒猫に猫パンチの連打を受けている真っ最中なのだが、特に堪えた様子もない。
「ルク、溶岩の池はどうするの?」
主従漫才を見ていたイリスが、口を開いた。
ゲオルクは、悩んだ様子で額に手を当てる。
「……どうするって言ってもな、元凶をまずどうにかしないと、どうにもならないだろう」
「我が君、食べるなら、鍋がいいと思う」
「お前は食から頭を離せ馬鹿野郎」
ぶれないロイドに、ゲオルクは地を這う声で言った。
「まずは、赤いのとやらを池から引っ張り出すのが第一だな」
そう言って、ゲオルクは慎重に溶岩の池のふちに近付いた。
イリスの秀逸な魔法に守られているといっても、うっかり落ちたりしたらまったくもって洒落にならないだろう危険地帯である。
「かなり深いな……」
ゲオルクは、手にした槍で池の深さを測ろうとしたが、池の底に槍の穂先が届いた手応えはない。厄介なことに、この溶岩の池は思いの外深いようだった。
ただの自然にある溶岩ならばまだしも、見知らぬイキモノに生み出された溶岩の池が持つ危険性は未だ測りきれてはいない。
ゲオルクが持つ槍のように、壊れる心配が全くない道具などそうそうないため、灼熱地獄状態の池をどう攻略するか思案のしどころだ。
「ん?」
ゲオルクが槍を池から引き抜こうとしたとき、彼が手にしていた槍に軽い重みがかかった。
「なん、……だ?」
ゲオルクが引き上げた槍には、見知らぬ生き物が引っ付いていた。
目を引くのは、宝石よりも鮮やかな紅。
白い被毛を鮮烈な赤が彩る。
全体的に丸みを帯びた体躯に、短い四肢が付いている。
……そして、何故か頭部にあるはずのものがなかった。
「……ああ、これか……」
ハムスター(仮)は、ロイドに丸かじりされたと思しき部分の体毛が、禿げていた。
プルプルと震えている様子を見ると、それが街中に溶岩の池を作り出した存在だとは、とても思えなかった。
「めし」
「ひぃっ?!」
「めしじゃねえっ!」
女を抱えたまま近付いてきたロイドに、ゲオルクは蹴りを入れる。
ロイドに毛を毟られたトラウマ故か、ハムスター(仮)の震えが痙攣に近くなっていた。
……そして、心なしか、ゲオルク付近の気温が上昇している気がする。
「——おい、赤いの? で、いいのか? 頼む、落ち着いてくれ。貴殿の身の安全は、アレクサンドリア国王の名において保障しよう」
ゲオルクは、一応平和な筈の自分の国で、何故いちいち自分が自国民以外の相手の安全を保障しなければならないのか、と情けなく思った。
国が平和であることの定義の一つが、他国民の身の安全も前提となっていることではないのだろうか?
——諸々の元凶たるロイドは、何やら物凄く嫌そうな顔をしていた。
と、ハムスター(仮)の、開いているのか閉じているのか分からなかった糸目が、パッチリと見開かれた。最上級の紅玉を彷彿させる赤の、硬質な輝きを有する瞳が、ゲオルクに向けられる。
「ウチ、もうくわれへん?」
「食わせない。うちの馬鹿にはよくよく言い含めておこう」
子供の様な甲高い声に、ゲオルクは努めて優しく言い聞かせる。
自律型災害に等しいイキモノに臍を曲げられ、被害が拡大したら泣くに泣けない。
「……めし」
「いい加減に、食い物とそれ以外の区別をつけろっ!!!」
未練がましくハムスター(仮)を見るロイドに、再びゲオルクの蹴りが入った。
しかしながら、ロイドの視線は、ハムスター(仮)に固定されたままだ。
そして、ハムスター(仮)の痙攣も止まない。
さり気なく上昇し続けていた気温は、イリスの魔法でも緩和が難しくなりつつある。
——如何にこの場を治めるべきか?
その難問に直面にしたゲオルクに、悪魔の囁きが聞こえた。
ゲオルクは、王である。
王とは、百を守るために一を切り捨てる覚悟を持つことを義務付けられた人種だ。
故に、例え誰に恨まれようと、被害を最小限に抑えることを最優先にしなければならなかった。
「~~くそっ! 匂いでも嗅いで、食った気になってろっ」
「え、それも問題やんっ!」
食から離れようとしない臣下に対する、破れかぶれ気味のゲオルクの叫びに、シャーっと、黒猫が抗議の声をあげていた。
ロイドの瞳が、キラッと光ったのは気のせいだと思いたい。
主君からの公認を得、さらに遠慮なく女を嗅ぎ出した変態を見て、ゲオルクは心中で生贄に土下座をした。
——前を向いて生きていけるよう全力で支援するので、ここはどうか運の尽きだと開き直って、そこの馬鹿を適当に流してほしい——
それが、ゲオルクの偽らざる心境であった。