赤いのは食べ物ではありません(1)
「——お前は何やってんだっ!!!」
ゲオルクの放った渾身の跳び蹴りは、狙い通りに彼の忠臣の後頭部に直撃した。
赤銅色の頭の男は無駄に頑丈なため、自分の足を痛めないように蹴り飛ばすのは、地味に技術を要したりする。
地面に転がったロイドが、恨めし気な目をゲオルクに向けてくるが、悪いのはロイドの方である。
大の男が妙齢の女性に馬乗りになって、ふんふんと匂いを嗅ぎまくっているのは、どう見てもアウトだ。
ぐったりとした被害者の女性は、ゲオルクの背中にへばり付いてきたイリスが介抱している。
「おいこら、寄るな変態」
懲りずに女性に近付こうとするロイドの頭を、ゲオルクは槍の石突でどついた。
未練がましく女性をじーっと見ているロイドを、女性の傍らにいた黒猫が威嚇している。
思えば、ロイドがゲオルク以外の人間に執着を示すのは、酷く珍しかった。
——いや、まさか。
……流石にロイドにもヒトと食べ物の区別はついていると、ゲオルクは思いたかった。
ゲオルクには、どうしてもロイドに聞かなければならないことがあった。
「ロイド、あれは何だ」
ゲオルクが指差した先にあるのは、赤く煮えたぎる円状の池だ。
ロイドが、獣じみた仕草で首を傾げた。
「? 我が君にはあれが溶岩以外の何かに見えるのか?」
「違うわっ! 俺が言いたいのはそこじゃねぇ!」
ゲオルクは思わず、ロイドに掴みかかった。
「な・ん・で、屋台街のど真ん中に溶岩の池ができてんだよっ! ここは火山地帯でも何でもないんだぞっ!!!」
無意味に各種耐久性の高いロイドはけろりとしているが、現在彼等のいる場所は、すぐ横の溶岩のせいで異常な高温にさらされている。
ロイドに押し倒されていた女性は、高温のせいで脱水症状を起こしていた。
ゲオルクも、イリスに補助魔法をかけてもらわなければ、この場に近付けなかっただろう。
「赤いのを食おうとしたら、熱くなって火を出してきた。火を避けた時に、赤いのから手が放れて、地面が焼けて溶けて、赤いのが溶岩の中に逃げ込んだ」
「意味分からんわっ! 赤いのって何だっ?!」
いまいち要領を得ない臣下の説明に、ゲオルクは切れた。
ただ、一つだけ確実なのは、目の前の男が原因の一端を担っていることだ。
「見た目は60㎝の太っていて赤い斑のハムスターだったが、中身は知らない。食っていても、あまり食えてなかった。最低でも上位の火属性なのは確かだ」
「おま」
「——あと、濃厚だった」
「あ?」
「黒いののは五臓六腑に染み渡る感覚だったが、赤いのは、濃厚だった。黒いののとは違うが、魔石よりもずっと食っている感じがした」
「……」
どこかうっとりと話すロイドに、ゲオルクは引いた。
ある意味何を食べても同じはずのロイドの口から、食したモノについての批評を聞くのは初めてだったのだ。
まあ、町のど真ん中に溶岩溜まりを作り出すモノなら、何かが濃厚になるのだろう。
そして、ゲオルクは、ロイドが何やらとんでもないモノを好物に認定したかもしれないことに気づき、背筋が冷たくなる。
——今まで以上に被害が拡大する気がしてならなかった。
ゲオルクは軽く目を閉じて、こめかみを揉む。
彼は、うっかり先見の言葉に従ってしまったことを現在進行形で後悔しているが、大切なのは、これからどう動くべきか、だ。
「——って、何やってんだ、お前はっ!」
ロイドは、ゲオルクが僅かばかり目を離した隙に、イリスが介抱していた女性を抱き込んで、ふんふんと匂いを嗅いでいた。
「黒いのの匂いを嗅いでいる」
「真顔で返すなっ」
一見すると、今のロイドは完全に危ないヒトだ。
「何で嗅ぐっ?!」
「なぜだか、食べてなくても、食べた気分になる」
——何だその素晴らしい体臭は。
長い間ロイドによる食害に悩まされてきたゲオルクは、そう思ってしまった。
「——いや、その人の許可をとってからにしろっ!」
「同意があればいいんだ……」
臣下の変態行動を禁止しなかった王に、イリスが突っ込んだ。