先読みは賽を振る
欲望と絶望に彩られた醜悪な舞台で、役者は踊る。
客席で見守る、観客の存在を知らぬまま——。
***
——それは、殺戮の覇王の物語。
其が歩む道には、常に死が充満する。
凶を招き、災厄をまき散らす、大禍の星。
滅ぼし、亡ぼし、終には、ほろびる。
——いくら願おうと、その手は常に血塗られる。
——振りぬいた刃は、守るべき者だけではなく、自らも貫いた。
——嗤って哂って笑って、わらう。
——最期まで、泣き方を知らぬまま。
そして、涙は枯れ果て。
耳に届くのは、怨嗟と呪詛。
星に導かれるまま、骸の山と血の河で彩られた道を、ただ進む。
——そして訪れる、惨禍と死を敷き詰めた幻影。
その陰に揺らめく、微かな瞬きを、彼女はどうしても見たくなったのだ。
……悲劇には、もう、厭いたので。
◆◆◆
「——で、一体何の用だ」
「槍王は女性の扱いがなっておらぬの。 それでは、後々苦労するであろうな」
「余計な世話だ」
多少の交渉の末に押し入った彼女の目の前で、青年の眉間の皺がどんどん深くなっていく。
短気は損気だが、この青年はまだまだ修行が足りないらしい。
それ程見目の悪くないこの王が、二十歳を過ぎても浮いた噂のない原因の一つは、このしかめっ面のだろう。この青年王が険しい顔をすると、常に身に纏っている覇気や威圧感が倍増するのだ。温室育ちの令嬢達はおろか、歴戦の女性騎士達さえ怯えさせるそれを身に受けて、平然としていられるのはごく少数だ。
その少数に分類される男が、不思議そうに目を瞬かせた。
「我が君は、後々どころか今までも苦労しているだろ。 この前も、女に引かれて落ち込んでいた」
「やかましいわっ!」
第一の忠臣のいらない一言に、青年が切れていた。
赤銅色の髪と瞳が特徴的なこの男は、よく己の主君の怒りを無自覚に煽る。
幼い獣の様に首を傾げる男は、何故自分が怒鳴られたかをほとんど理解していない。
槍王の第一の忠臣は、底なしの食欲に情緒の発達を阻害されてしまったようである。
「我が君、腹が減った」
「それしかないのかお前はっ!」
豪快に腹の虫を鳴らす忠臣に、主君は突っ込んだ。
「……ったく。もう、余計な体力を消費しないように、そこら辺に転がってろ」
疲れたような主君の言葉に、大人しく男は床の上にごろりと身を横たえた。
何も考えず主君の命に従ったのか、それとも空腹が限界を超えたのか図りかねる行動だ。
何とも言い難い表情で臣下を見下ろす青年。
「苦労しているの」
「……こいつに世間の常識を求める方が間違っているからな」
青年は、その若さに似合わぬ、何かを悟りきった表情を浮かべた。
「獣と人間の感覚は別物だ。だからこそ、獣は人間の世界を理解しきれないし、人間も獣の世界を理解しきれない。——それで、獣に人間と同じものを見ろというのも酷だろうが」
言外に主君に獣扱いされた臣下は、床に横になってからはピクリとも動かない。事情を知らない者が見たら、死体と勘違いしそうだ。
頻繁に訳の分からない行動を起こす男だが、主君曰く、一応男の中では理に沿っているつもりらしい。
徒人とはかけ離れた世界を生きるのは、彼女も男と同じだ。
けれど、男は彼女と違い、他者との前提条件を共有できない故に、どこまでも人の世を『正しく』知覚できず、理解もできない。
——男の、絶望的でさえある他者との乖離。それは、男の主君の努力を以てしても、埋めることができるものではなかった。
それでも、羨ましいと、——
と、彼女の眼球に、鋭い痛みが走る。
彼女の世界が急速にぼやけた。
赤
赫
アカ
人から逸脱した
泣けない瞳
壊れた大地
堕ちていく星々
終わりを見るのは
満足気に
砂嵐が目の前に散る
黒
伸ばされた手
微笑む口元
クロ
鏡面の水
花が
浮かんで
「——おいっ」
青年の声が、揺らいだ彼女の世界の輪郭を補強した。
鋭い視線が彼女を射ぬくのを感じた。
「何を見た」
「急病人に気遣いはないのかの」
口では文句が出るものの、彼女にとって、青年と話すことは酷く気楽なことだった。
槍王と呼ばれる青年王の許容範囲は呆れるほど広く、そして、彼はとても敏い。
だから彼女の目を、真っ直ぐに見ることができる。
恐れや嫌悪を向けられるのではなく、ただそう在るだけだと、彼女が受け入れられることは非常に稀だったのだ。
「分からぬ」
彼女の短い言葉にも、眼差しの鋭さは失われなかった。
彼女は僅かに自嘲の笑みを浮かべる。
「貴殿に関わる先は見えにくいのじゃ。——『殺戮の覇王』よ」
「その呼び名は止せ」
苛立たしげな声と五割ほど増した威圧感に、彼女は苦く笑う。
大凶星。
血族殺し。
忌み血の王家。
……その一族には、彼等の望まなかった呼び名のなんと多きことか。
——遠い昔に、微笑む声が、彼女に言った。
この首一つの価値を、共に見てみようじゃないか。
贖える命が多いほど、この血に意味があったと確かめられるのだろう。
明るかったはずの笑顔は、今は光の中に霞んでいる。
己の価値を、信じながらも、諦めていた、かなしいひと。
そのひととの断絶が浮き彫りになるだけ時間が流れ、それでも、消えることのない約束が、彼女の胸に刻まれていた。
……この生に、意味があったと、言えたなら。
——そして、彼女は、握りしめていた賽を投げたのだ。