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それはありません(5)

セクハラ表現有。ご注意ください。

 男は無邪気に笑っていた。

「——お前も、おれと同じ」

 そう言って、男はレンを抱きしめる。壊してしまわぬようにそっと、けれど、離れていかないように強く。

「レン」

 男に初めて呼ばれた自分の名は、何処か甘く響いた。


「え?」


 気づけば、レンの視界には青い空が広がっていた。

 レンに男が密着しているのは相変わらずだが、手の動きが、なんというか、厭らしかった。

 レンだって二十八年も生きていれば、そちらの経験もあるにはある。だが、地割れが起こっている野外で男に押し倒されるのは、流石に初めてだ。

 先程食欲的な意味で喰われそうな予感がビシバシしたのだが、今度は違う意味で食べられそうな気分になっている。

 勘違いだったら恥ずかしいが、寧ろ勘違いであってほしい。

 ——食材認定されたのは、自分の気のせいだったのだろうか?

 レンは空を見上げたまま、乾いた笑みを浮かべる。

 いろいろなものが怒涛のごとく降りかかりすぎて、レンはまだ自分が置かれた状況を受け入れかねているのだ。

 彼女の首筋に顔を埋めてきた男は、部屋の中のようにふんふんと匂いを嗅ぐのではなく、思いっきり深呼吸をしていた。……男は一体レンから何を補給しているのか、分からないのだが知りたくもない。

 奇妙は沈黙が流れていたが、それは長くは続かなかった。


 男の硬く武骨な手が、レンの衣服の下に入り込む。

「——ひゃっ?! ちょ、まっ、く、くすぐった——」

 妙な声が出そうになって、レンは慌てて口を押えた。

 背中を撫でられると、弱いのだ。

 視線を感じて目を動かすと、男がレンをじーっと見ていた。

 何故か不満げな男は、的確にレンの鋭敏な箇所に触れてくる。

 それに耐えきれず、レンが反応を返すと、薄いながらも男から嬉しそうな雰囲気が伝わってきた。

 男の様子を見ていられなくて、思わずレンは目を瞑ったが、そうすると触角がより鋭敏になってしまう。

 レンは、顔に熱が集まるのを止められなかった。

 ——何。この羞恥刑。


 魂をどこかへ飛ばしかけたレンの耳に届いたのは、幼いくせに酷く老成し、やけに哀愁を漂わせた声。


「——もう、いい加減にするのだ……」


 雷光に酷似した光と、落雷の如き轟音。

 何が何だか分からないうちに、レンの上からのしかかってきた重みが消失した。


「……大丈夫か?」

 気まずげな低い声に、呆けていたレンは顔を上げた。

 彼女の前に現れたのは、全身鎧を片手に持った巨人族——ではなく、子供サイズの全身鎧を片手にぶら下げた壮年の男性だった。

 レンよりも大柄な男性は、金属製の手袋と独特な意匠のベルトを身に着け、もう片方の手に柄の部分まで真っ赤に焼けた槌を持っている。

 そして、男性に首根っこを掴まれぶらんぶらんと揺れている全身鎧は、金縁に彩られた白銀で、神々しい代物だ。大抵の種族の成人には着ることのできないその鎧をよく見ると、なんと中身があるようだった。

 レンから見れば、実に意味不明な組み合わせである。

「止めるのが遅れて、申し訳ないのだ」

 稚いのに年寄り臭い子供の声は、兜のせいでくぐもっていた。

 一線を越える前に救出されたのはありがたかったが、その前の羞恥刑を見られたと思うと、レンは叫び出したくなった。

 感謝すべきか、遅いと怒るべきか、レンは本気で悩む。

 レンの葛藤に抗議する様に、壁に何かを叩き付けるのに似た、鈍い音がした。

 音がした方を見ると、見えない何かに行く手を阻まれた男が、機嫌悪く目の前の空間を引っ掻いていた。

 所々焦げている男が見えない壁を引っ掻く様は、どうしてか主人に置いていかれた犬猫を連想させる。

「大霊廟主、何故邪魔をする」

「犯罪は駄目なのだ」

 男に対する全身鎧の返答は、単純明快だった。

 やはり、当人の同意も無しに、衣服の下に触りまくるのは、この国でも法に触れるらしい。

「おれの」

「む?」

「レンはおれのだから、問題ない」

 太陽が東から上って西に沈むのと同じく、当然の真理だと言わんばかりの言葉だった。

「その認識自体が、大問題なのだ……」

 捻じ曲がった常識のまま突っ走った、犯罪者すれすれの残念男に、全身鎧は呻き声を返す。

「欲しい女がいたら、まずは既成事実を作ることから始めると聞いた」

「それでは相手に嫌われるのだっ! 自分から難易度を上げて、どうするのだーっ!!!」

 全身鎧の叫びに、男は衝撃を受けた顔をした。

 どうやら、自分の知識が間違っていることを、本当に自覚していなかったらしい。

 じーっと、レンを見つめる瞳は、途方に暮れた迷子のようだ。

「……どうしたら、好きになってくれる?」

 男の言葉に、全身鎧は心底安堵した。

 ——大丈夫、大丈夫だ。今から頑張って矯正すれば、この男が執着を拗らせて病みに行きつく可能性を低くできるのだ。多分。

「まずは、間違った知識の洗い出しなのだ。心があっても、行動が駄目駄目なら、台無しなのだ」

 全身鎧が淡く輝いたかと思うと、次の瞬間、十歳ほどの子供の姿になった。

 子供は、身に纏っていた古風な衣装をまさぐると、分厚い本を取り出す。

「この本に書いてあることを、一字一句覚えて実践するのだ」

 ぶらんぶらんと揺れる子供が、真顔で掲げた本には、『馬鹿でも分かる恋愛指南・入門編~初恋のあの子はこれで落とせっ!!~』と書かれていた。


*『馬鹿でも分かる恋愛指南』シリーズ

『入門編~初恋のあの子はこれで落とせっ!!~』&『応用編~これであの子ともっといちゃつけっ!!~』+お子様厳禁の『特別篇~これであの子といちゃつき天国っ!!』。

都市伝説化した恋愛指南のバイブル。

しかしながら、筆者が本書の制作のために無茶苦茶したことが発覚し、発禁処分に。

某ちびっこは、数百年前にとある女性の刷り込みを解消するために、本書を探し出した模様(ただし、当時の試みは大失敗)。


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