それはありません(4)
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さつりくのはおう、ころしてころして。
あとには、したいがころがるばかり。
うつろのきし、きりきざんできりきざんで。
あとには、なにものこらない。
のこらない。
のこらない。
のこらない。
——ウェールズ大森林の周辺地域に伝わるわらべ歌
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フェノメナ。
或いは、世界の呪詛。
王鞘が代々受け継いできたそれは、そう呼ばれている。
フェノメナというのは、極稀に異界より堕ちてきた者に宿る、事象の欠片だ。
世界によって押された異物の烙印は、この世界に本来住まう生物には決して馴染むことがない。
普通ならば、〔剣〕のフェノメナに触れたとき、誰であっても細切れになる筈だったのだ。
虚空に舞う鈍色の紋章——世界の呪詛に触れてなお何事も無く、ロイドの腕にしがみ付く女。
その姿を見たロイドの胸に、湧き上がるものがあった。
「おなじか」
赤銅色の男は、今まで誰も見たことがないような無邪気な笑みを浮かべた。
「——お前も、おれと同じ」
そう言って、ロイドは女を抱きしめた。酷く脆い彼女を、壊してしまわぬようにそっと、けれど、離れていかないように強く。
彼女は、ロイドと同じく異界の民の血を引く、フェノメナの適合者だった。
そして、ロイドが初めて出会った、殺しあう必要のない同胞。
……本当の意味で『王鞘』と成れるのは、どの時代でも独りきりでしかない故に、ロイドの血族は頻繁に近親者同士で骨肉の争いを繰り広げてきた。ロイド自身も、物心ついてすぐにロイドを危険視した実母に襲われ、これを返り討ちにしている。
しかしながら、ロイドの存在が彼女の邪魔にならない限り、ウェインの出ではない彼女に、ロイドを殺す理由はない。
ロイドの世界でたった一人、いつか殺す覚悟なしに、傍にいることが出来る相手。
それがいるかいないかで、世界の見え方が全く違ってくると、ロイドは今まで知らなかった。
——ああ、そう言えば、赤いのが彼女の名前を呼んでいた。
「レン」
口の中で転がすその名は、えもいわれぬ甘さを含む。
ロイドの中に、『レン』という特別な分類項目が作成された瞬間だった。
◆◆◆
同時刻。
王城の背後に広がる大森林で、呻き声が上がった。
「……あやつめ、やりおった……」
この世の終わりだと言わんばかりの絶望の表情を浮かべ、目の覚めるような紅の髪を少女はかきむしる。
紅の髪と対をなす白い肌。鮮やかな金色の瞳が印象的な、美しい少女だった。
ただ、その行動のせいでいろいろと台無しになっている。
「認定したのだな……」
少女の横にいた子供は、死んだ魚の目で遠くを見ていた。
濃い目の茶色の髪と瞳。古風な衣装に身を包んだ子供の年頃は、十歳程か。ただ、その瞳に幼子の無邪気さは無く、見た目とは裏腹の、老成した雰囲気を醸しだしている。
——当代の王より先見の言葉を伝え聞いた時から嫌な予感があったが、大当たりだった。
「……救いがあるとすれば、ロイドは『あれ』よりも純粋な方だということなのだ。きっと頑張れば、改善の余地がなくもないのだ」
「馬鹿者っ!!!『あれ』に比べれば、あの失敗作だってまともに見えるのじゃっ!」
少女は顔を引き攣らせながら、子供に突っ込んだ。思考回路が禁制品の変態男の所業は、今思い出しても鳥肌が立つ。そんな男の迸る妄執の対象だった女には、ひたすらに憐みを覚えたものだった。
「……それにしても、ロイドめ。よりによって真竜の庇護下にある娘に手を出しおって、妾を殺す気かっ!」
そう喚きながら少女——神域たる大森林を統べる地神は地団太を踏む。
地神の神聖さなど欠片も無い振る舞いだったが、付き合いの長い子供は特に気にしなかった。数百年もの間人々とかかわってきたせいか、この地神は中々に人間臭いところがあるのである。
「しんりゅう。……儚い夢だったのだ」
虚空を見ながら、子供は溜息を吐いた。世界最強種への憧れを無残にも打ち砕かれた子供は、目から心の汗が出ていた。
子供は、地神にあれやこれやを見せてもらっていたのだが、——あれはない。
——何故仮の姿が肥満気味のハムスターなのだ黒猫なのだもうちょっと違うのはないのかロイドに噛まれて悲鳴をあげるって何なのだそれで道のど真ん中に溶岩の池を作られたら迷惑ではないかその溶岩の池を消すのになぜヘンな踊りと下手糞な歌が必要になるのだ——。……もっとこう。もっと、こう——。威厳とか、威厳とか……。
地神の本来の姿が紅の地竜であり、密かに親近感があっただけに、子供の衝撃は巨大だった。
しかしながら、腐っていようが予想外だろうが、相手は生ける災厄とも異名をとる真竜だ。うっかり敵に回した日には、人生を諦める方が早いイキモノなのである。
さらに言えば、竜の眷属の情は強い。況や、真竜をや。
——守ろうとしている存在に害虫が集って、真竜が何もしないと断じるのは、ただの莫迦だ。
「火竜も黒竜も、厄介なのだ。森を燃やされるのも困るけれど、わたしの鎧で闇を防ぎきるのは、難しいと思うのだ。闇は、炎よりずっと範囲が広いのだ」
「その前に、あんな魔力の塊に居座られたら、地脈が狂うのじゃ! うう、あの失敗作のせいで、地脈の流れが乱されたというのに、これ以上地脈がおかしくなったら妾の手に負えなくなるではないか……」
「紅姫の力は、地脈に依存しているのだからな。いつも思うのだが、紅姫も大変なのだ」
元々、この地の地脈は一度甚大な傷を負った故に、ただでさえ淀みやすい。その歪みは、年に一度の魔物の大量発生という形でも発露している。
地神の力は神域に根差すものであるため、はっきり言ってしまえば、紅の地神の力では真竜に対処できないのだ。
地神と子供の周囲には、どんよりとした空気が漂っていた。
「……ないとは思うけれど、ロイドが他の女に乗り換え希望なのだ」
「考えるだけ、無駄ではないか」
「あの者達に申し訳ないのだ。ずっと思っているのだが、王鞘の血統は、執念深すぎるのだ……」
「それを言っては、おしまいじゃ……」
「……そうなのだが」
そして、がっくりと項垂れた子供と地神は、まるで葬式のごとく辛気臭い溜息を吐いた。
***
アレクサンダー・ロイド・ウェインが継承した血脈は、多様な種族の純血統を擁するこの国の中でも、極めて特異なものだった。
ウェインの当主が代々襲名してきた『王鞘』——代々第一の忠臣として王の対としても扱われる役職は、他国には存在しない。
それもそのはず。
『王鞘』は、この国でのみ成り立つ代物だ。
——王の剣を収める鞘。
それを詳しく表現するならば、王《を弑するため》の剣を収める鞘であることを知る者は、そう多くない。
ウェインの血統は、時の王が狂った場合の対抗手段となるために、生み出された。
この国の王統の血族は、人外の力を宿す器に魅入られやすく、その為に彼等は望まないながらも道を踏み外す。
……万が一狂ってしまったなら、彼等は周囲を殺し尽さずにはいられない。
だから、主君が堕ちきる前に引導を渡すのが、王鞘の責務だ。
万を滅ぼす一を斬る一。
斯く在れと望まれ、そう在り続けて、——そうでしかいられなくなって。
嘗てあった儚い祈りと誓約は、捻じ曲がり歪んで、それでも真摯なまま。
——歴史的事実として、王鞘は、自ら選んだ主君の傍らに最期まで寄り添い、決して裏切ることはない。
良く言えば、一途。
……ぶっちゃければ、興味・関心を持つ対象がひたすらに偏った、粘着質で執念深い性情の人間しかいなかった。




