サイレント・ソング
「新曲の楽譜、持ってきたぜ!」
勢い良く扉を開き、俺はそう言った。
そこは軽音楽部の部室。中にいるのはもちろんその部員たちで、俺と同じバンドに所属
するメンバーである。
「おお! 早かったな!」
「待ってました!」
などという歓声とともに部員たちはすぐ駆けてくる。餌に群がる鳩のようにやってきた
彼等に、俺は片手に持ったそれを魅せつける。
「フハハ! 貴様ら、これらが欲しいか??」
ひらひらと動かして、力尽くでも奪ってこようとする彼らの手や視線を右へ左へ揺らす。
「欲しい! 欲しいです!」
「よこせ……。それを俺たちによこせ……」
「そうか、そうか……。ならば我を崇めよ! 讃えよ! この俺、歌の神を!」
俺は片手のそれを頭上へ掲げ、近くに置いてあった椅子の上に立った。続いて部員たち
は跪き、俺を神のように崇めるべく雨乞いをする姿勢へ移る。
「……なにやってるの。あなた達」
と。神の儀式や何かが始まろうとした時、ようやくツッコミ役が登場した。
「遅いじゃないか、ルア。この調子だと何の歯止めもなく悪魔召喚とか、生贄の儀式とか
いったものが始まってしまうところだったぜ」
椅子の上に立った俺の目の前には、ポニーテイルの少女が立っていた。ベースを入れる
ためのケースを背負い、部室に入ってすぐにこの部屋の状況を理解したのだろう、呆れた
表情で視線を向けている。
「掃除で遅くなったから急いで来てみれば……。練習もせず、何をやっているのよ」
ほら立って、と他のバンドメンバーに手を差し出して立ち上がらせる。すると先程まで
一緒になっていた部員の一人が、
「違うんだよ、ルア。俺達は真面目に練習してきたんだけど、真が部室に入ってくるなり
ふざけ始めてさ」
と言い始め、そうだそうだと他の部員達も続いた。
それを聞いたルアはため息混じりで俺の方へ向き、
「また真? つくづくこういうこと好きね。チャラ男くん」
「いやいや。ノってきた時点で皆同罪さ」
ルアの言葉を大げさに拾わず、俺はひとまず椅子から飛び降りた。ルアに呆れられるの
はいつものことだし、部員達がノリを大半に生きているのもいつものことだからだ。
俺は咳払い一つした後、
「さて、改めて言おうか。新曲の譜面、持ってきたぜ」
ルアと部員達にもう一度、片手に持ち続けていたそれを――つまり新曲の楽譜を――見
せた。
部室の状況だけを理解していたルアがわずかに前に出て、
「へえ、新曲、もう創ってくれたんだ」
「今回も気合いを入れて書いてくれたから、すごい曲になってるぜ」
そう言って、俺は数枚の紙で構成された楽譜をそれぞれに配っていった。
「すげーな、今回も。気合入ってるな!」
楽譜を受け取った部員達はすぐさま紙に目を移し、読み込んでいく。たまに歓声が聞こ
えるということは、今回もまた好評ということなのだろう。あいつに不評なんてありえな
いだろうけどな、と俺は心の中で呟く。
「これ、文化祭で歌う予定のやつだろ? すっげーな、クオリティーはいつものように高
いし、まさか夏休みの前に持ってきてくれるとはな!」
部員の中の一人がそう言った。
俺達の高校の文化祭は、夏休みが明けて一週間ほどが経ってから開催される。余裕があ
るからと、どの部活やクラスでの企画も比較的のんびり準備するところが多いのだ。結果
として期日までに満足のいく仕上がりが出来ず、中途半端なまま公表することになる場合
も多い。
この部員は前のクラスでそういう失敗を経験していたらしく、早めに準備をしようと他
の部員達に声掛けをしていたのだ。
「これだけ早く創ってくれれば、練習時間も多くなる。今年の文化祭も俺達が貰ったな!
」
「ああ。早い方が良いって言っていたし、わりと前から頼んでたんだよ。正直言って、こ
んなに早く出来上がるとは思ってなかったけどな」
夏休みを丸々使えばかなり練習ができる。文化祭の時、軽音部の発表会は伝統的に体育
館を一日中占拠して行われるから、その分、観客からの期待も高い。中途半端な出来栄え
では伝統が廃る。だからこそ、観客以上に演奏側も気合が入るのだ。
と、文化祭への期待とモチベーションの上昇でその場が盛り上がっていたところで、
「今回もまた……この曲を創ってくれた人は、出てくれないの?」
少し寂しそうにルアは言った。彼女の立っている方へ振り返ると、
「毎回わたし達のために曲を創ってくれるのは嬉しいんだけどね。やっぱりわたし達だけ
目立つというのもおかしい気がするし……」
ああ、そのことか。予想通りの話が出たので、俺はいつも通りの言葉を返した。
「創った本人がそれで良いって言ってるんだ。大丈夫だって。それにあいつ、絶対人前に
は出たがらないだろうしな」
「だけど……。だったらせめて、わたし達くらいには、顔を見せてはくれない? 毎回、
オリジナルの曲を創る時は任せきりになってしまっているし、直接お礼が言いたいの」
駄目かな、と俺の表情を窺いながら頼んでくるルア。対し、
「気持ちは嬉しいだろうけど……何度も言っているように、あいつ、究極の恥ずかしがり
屋でさ。二人以上の人に注目されると完全に話せなくなるし、俺でさえ、まともな会話を
するには時間を要するんだ」
「でも……」
歯切れ悪く、ルアが食い下がろうとしたのを遮って、
「分かった。とりあえず、バンドメンバーに顔を出す気はないかってのは聞いておくよ。
それくらいだったら、もしかしたら了承してくれるかもしれないしな」
「そう……。じゃあ、お願い」
俺の提案でようやく、ルアはおさまってくれた。
内心では、絶対会うなんて言わないだろうなと予想はついていたけど、こちらにはこち
らの立場ってものがあるし一応伝えておくか、と俺は決めた。
ルアはベースケースから愛用のベースを取り出し、調律を始めている。他のバンドメン
バー達も各々の楽器を片手に、新曲のフレーズを弾き始めていた。
そろそろ、頃合いかな。
俺は自分用の楽譜を持ち、
「それじゃ、俺は帰りまーす」
「ちょ、待て。お前、練習は?」
「今日はあいつに教わる」
あいつ、とは、この曲の作成者である――ということは知れているので、
「みっちり教えてもらってこい」
との言葉で、送り出された。
部室の扉をゆっくりと閉めて、一度深呼吸をする。これからが本番だ、と気合を入れ、
俺は走り出した。
向かう先は軽音部の部室がある棟とは別の棟。この学校はいくつかの棟で構成されてい
て、これから行くのはそのうち最も古い校舎だ。それがどのくらい古いのか――数字的に
は知らないが、その校舎が現在使われておらず、よって誰も立ち入らないくらいだという
ことはよく知っている。
廊下を駆け抜け、別棟へと行くのは大して時間がかからなかった。
階段を登り、階を上がっていく。一階、二階、三階……四階。さらに階段を登ると、そ
こは屋根のある室内ではなく、外――つまり屋上へと出る。屋上と階段を隔てる扉に触れ
――静かに、俺は扉を開いていく。
……いた。
「よっ」
俺は極力明るくする努力をしながら、彼女へ声を掛ける。
「…………」
返ってきたのは、無言とすでに赤く染まりつつある頬だったが――俺には充分に思えた。
「今日も、ここにいたんだ」
詰めれば三人くらい座れそうな青いレジャーシートの上に座る彼女は、耳にイヤホン、
片手に鉛筆、もう片方の手に楽譜を携え、膝の上にはノートパソコンを置いて――つまる
ところ、いつもと同じような格好で迎えてくれた。レジャーシートの下はコンクリートな
のに正座しているあたり、彼女の生真面目さが出ているのかななんてことを思う。
「新曲、好評だったぜ」
何も言葉を返さない彼女のもとへ歩み寄りつつ、話しかける。
正確には、言葉を返さないというより返事を考えてそれを口に出すまでに時間がかかっ
ているだけなのだ。
実際、
「……そう」
と、ようやく彼女が反応を見せるまでに俺は彼女の座っているレジャーシートの片隅に腰
掛け、彼女の膝の上に乗っているノートパソコンの画面を覗くくらいの時間があった。
マイペース、というか。会話のリズムが、早くないのだ。俺は大して気にはしていない
が。
「夏休み前に曲が出来上がるとは思ってなかったらしくて、皆喜んでた。早くから練習で
きる、ってさ。今年の文化祭ももらった、とか」
「……っ。……そう」
俺がパソコンの画面を覗きこんだことでお互いの顔が近くなったからか、わずかに仰《
の》け反り、かなり顔を赤くしながら彼女は言った。
「……なら、よかった」
そんな彼女の仕草を見て俺は小さく笑いながら、
「相変わらずだなあ、雪菜は」
と言った。何が、と聞こうとしているのだろう上目遣いへ視線を向け、
「未だに顔を見て話せないところとか、ちょっと距離が近くなるとすぐ赤くなるところと
か、さ」
雪菜――というのは彼女の名前で、俺が下の名前で呼んでいるのは別段親しいからとい
うわけではなく、最初に会った時に彼女が名乗った名前がそれだけだったからである。も
っとも、俺は男だろうが女の子だろうが下の名前を使って呼ぶのだが。
「……シン、は、……顔が、近い」
俺が話しかけてから数分が経ってようやく、雪菜は俺と会話できるようになったらしく、
単語によって構成された文章を発するようになった。
彼女いわく、話せるようになるためには、ウォーミングアップが必要なのだそうだ。運
動する前とかには聞く言葉だけど、会話の場合は何を暖める――あるいはほぐすのかと訊
いたら、「わたしにとっては会話は異種格闘技」とのことだった。いずれにしろ、「シン
みたいなチャラ男にはわからない」らしい。
「その呼び方も、相変わらずだよなー。シン、って。俺、真なんだけど。ま・こ・と」
「それは、もう、済んだ話」
雪菜は俺をシンと呼ぶ。真と感じで書かれた俺の名前を何処かで見て、それでどういう
わけかシンと呼ぶようになった。
「まあ、かっこいいし、気に入っているから良いんだけどね」
俺は靴を脱いでレジャーシートの上であぐらをかいた。そのついでに手元にあった楽譜
を手に取ろうとして――雪菜に阻まれた。
いいじゃんかー、と言うと、
「まだ未完成だから」
だ、そうだ。
「でも、出来たら見せてくれるんだ?」
「暇、……だし。……シンも、暇そう、だから」
雪菜は赤くなりながら、そう答える。
「それは帰宅部の役得だね」
「シンは、帰宅部じゃない」
そうでした、とおどけたように笑って――雪菜が帰宅部なのが、俺にとって、ね――な
んて思ったのだった。
程よく暖かさを含んだ風が、不意に俺達の間を駆けて行った。屋上だからというのもあ
るし、夏休み前というこの季節だからというのもあるのだろう。不思議と自然なんてもの
を感じ、空を見上げてしまう。いい風、と呟く彼女の声が、耳をくすぐる。
「なあ、雪菜。軽音部の奴らがさ、せめて自――」
「――嫌」
何を言い始めるのか予想出来ていたのだろう、俺の言葉を塞ぐように雪菜はもう一度、
嫌、と言った。
せめて軽音部のバンドメンバーくらいには顔をみせてあげたら、というお願いを伝えよ
うとしたのだが――やはり、駄目だったらしい。
「前から言ってる。実際に会って話をするのは、嫌」
断固拒否、といったところだろうか、拗ねたような表情になった。
「まあ、そうだろうなとは思ってたけどな」
呆れたように返す。俺は雪菜が、分かっていたのならどうして訊いたの、と問いかける
だろうことを読んで、
「あいつ等にはあいつ等の立場ってものがあるのさ。曲を創ってもらっておいて、自分達
だけが表舞台に出るのは気が引ける――とかな」
「でも、わたしはそれこそ望んでない」
そう。雪菜は表舞台に出るということそのものが、嫌なのだ。彼女の性分が故に。
「ひとまず、わかったよ。伝えておく。会わないってな。悪かった」
黙って頷いて、雪菜は視線をパソコンの画面へと移し、操作し始めた。どうやら、電源
を落としているらしい。
本人が言うところのウォーミングアップはすでに終えたらしく、いつも通りの会話が出
来るくらいには雪菜も話せるようになった。常にこの状態だったら――良いとまでは言え
ないかもしれない。正直、もう少し話してくれた方が気楽ではある。沈黙に耐えられない
のは、俺だけなのかもしれないけど。
「…………」
そして再び、沈黙がやってくる。
雪菜と話していると沈黙するのは日常茶飯事ではあるのだけど――今日の、それも今回
の沈黙はまた、別の辛さがあった。
話すべきことは。話さなければいけないことは。……あと一つ。
意味のない前置きを適当に振ってから、俺はようやくその話を口にした。
「この間、オーディションに応募したじゃないですか」
基本的にいつもふざけ半分で生きているから、真面目な話をする時にどんな顔で、どん
な口調で話せばいいのかわからない。自分が違和感と生真面目さと、それによって付いて
来た可笑しさを顔に出していいのかすらわからず、俺は言葉を続けた。
「えーっと、ほら。雪菜が曲創ってくれて、俺がそれを歌ってCDに焼いたやつ。わかる
?」
返答は無言で首を縦に振ることだった。
「あれなんですけどね。……受かりました」
ここまで言えば何かしらの反応があるだろうと思っていたが、雪菜が取った反応といえ
ば首を縦に振るという――肯定にも、相槌にも、「それで?」という疑問を投げかけてい
るようにも取れるものだった。単調というのか、無反応に近しいというのか。
「えーっと、それでね? オリジナルの曲で応募可で、別の人が書いたやつでも良いって、
オーディションの時に確認はとったんだけど――」
ここからだ。なるべく、普通に、平然と、何でもないことのように、
「今後も俺と組んでやっていくってことで――良いんだよね?」
次の返答も首一つの動作かと思っていたら、今度は口を動かして言った。
「そのつもり」
短い文章、ととれるかどうかすら怪しい返答に俺はひとまず安心する。
「そっすか。いやなに、オーディションは曲を創ったけどデビューしてからは駄目、とか
切られたら、俺としては終わりだなーって思ってたから……よかった」
俺は曲を創れない。歌を歌えても、曲を創る事は出来ない。雪菜が創った歌をただ歌っ
ているだけなのだ。
「でも正直、オーディションに受かったのはあの曲自体の力が大きかったんだろうなーっ
てさ」
どういうわけかここで、雪菜は少しむっとした表情になったが構わず俺は続けて、
「あの、サイレント・ソングって曲。感動したよ。やっぱり雪菜らしいなって、そう思っ
た。伝えたいことっていうか――」
「――シンが」
不意に、雪菜は俺の言葉を止めた。上目遣いに、不安さなのか怒りなのかよくわからな
いものを織り交ぜて、
「……シンが、頑張ってくれたから。シンが、すごく練習してくれたから。喉が枯れるく
らいに、練習してくれたから」
だから受かったの。彼女はそう言った。間髪入れず顔を赤く染めたのがまた、雪菜らしい。
変なところで押しが強いんだよなー、なんて思いつつ、お礼を返しておいた。
「そんじゃまあ、これからもよろしく」
「……うん」
でも練習しすぎて喉を壊すのはもう止めてね――と言われたからまあ――心配してくれ
ていたらしい。
風が、吹いていた。
自分がここにいるのだと――我に返るような、冷たい風が。
「二年目、だな」
不意に言ったにも関わらず、怪訝な顔をせずに肯定の動作を取ってくれるの
は雪菜の優しさかな、なんてことを視界の隅に映る彼女に思った。
でもきっと、その意味は理解してくれてないのだろう。
それが高校生活二年目という意味であり、軽音部に入ってから二年目という意味であり、
そして何より――雪菜と出会って二年目という意味だということを。ついでに言うと、俺
的チャラ男卒業から二年目。
「チャラ男デビューから二年目?」
雪菜がくすりと笑いながら、珍しくからかってきた。
「いや、むしろ卒業だって」
「そう? 高校デビューなのかと思った」
ある意味ではね。と返し、はて、俺ってそんなにチャラいかね、と振り返ってみる。思
い付く例を挙げてみよう。
可愛い女の子はもちろん、基本的に初対面の人には必ずメールアドレスなどといった連
絡先を交換する。
「彼女がいない時期が、基本的に無い」
途中で雪菜が参加してきた。
ふむ。
……暇だと思ったら誰でも友達を誘って遊びに出かける。
「服がチャラい」
ホワイトデーはお返しが大変。
「口調がチャラい」
髪を染めて、高校の入学式の日、入場を断られた。
「なんかチャラい」
「なんかってなんだよ」
くすり、と彼女がまた笑う。
「頼んでもないのに俺のチャラポイントを挙げないでよろしい。二つ目から適当だし。そ
れと、一年弱前から、彼女はいない」
へえ? と疑いの目を向ける雪菜。ホント、『口が暖まった』ら話せるんだよなー。
「ホントだよ、本当。一年くらい前に、当時付き合っていた彼女とは別れて、それからず
っとフリー」
正確には攻略中、とは口が裂けても言えない。
……一年が、経った。それだけなのに、この一年で途方も無いくらいの経験をしたよう
に思える。高校生になってから得た経験値は、それまでの比にならない筈だ。
それは雪菜だって例外じゃない筈だ――というのは、俺の希望的観測と言えるかもしれ
ない。だが少なくとも、傍目から見て変わった――というのは、言えるだろう。
一年と少し前――体験入部期間で、色々な部活動を体験していた頃。俺は当時付き合っ
ていた彼女と一緒に帰る約束をして、その待ち時間を使って学校を廻ることにして――人
気のない棟に廻り屋上へ行った。
完全な気まぐれだった。屋上へ続く扉を開けたことも、そこで見かけた女の子に興味を
もったことも。
お、可愛い女の子発見! と呟いて話しかけに行ったことを覚えている。雪菜は当時、
一言も話せずにいたけど、俺が勝手に喋ってた。
こんなところで何をしてるの? お、レジャーシートにパソコン、完全に居座ってるカ
ンジじゃないですか?。
キミ何組? 可愛いね! え、歌? それ。楽譜だよね? すっげー! 歌を創れるん
だ? 見せて見せて! あ、しかもこれボーカロイドだっけ? すごいね! どれどれ…
…。
確か、そんなようなことを勝手に話して、半ば強制的に雪菜から楽譜を取って――調子
に乗っていたのは、乗れていたのは、そこまでだった。
「最初、シンは早かった」
というのは雪菜からの評価で、つまるところ雪菜に話をさせずに自分のペースで話して
いた俺への評価ということだ。
「雪菜は全然話してくれなかったよなー」
楽譜を見て。彼女のボーカロイドに歌わせた歌を聴いて。
すぐに。速攻で。一瞬で。衝撃が走った。
簡単に言うと、惚れた。ひと目惚れならぬ、ひと耳惚れ。
……すごい。
呆然とそこに立ち尽くし、俺は自分でも気が付かないうちにそう呟いていた。
その後すぐに、この歌を歌いたい等と思ったのはおそらく、その日は軽音部の体験入部
に行ったからで――おそらく抜けきっていなかったのだろう妙なチャラ要素が変な方向で
発動したからだろう。
正直、ボーカロイドの声はまだ好きになれない。でも自分は歌を歌えない。誰かに歌う
ことを頼むにも、自分にはまだそこまで仲の良い友達がいない。多分、今いる友達にそん
な話をすると、引かれる。曲を創ることが好きなだけで、歌を歌うのは苦手。
という情報は、俺が雪菜と出会ってから一ヶ月ほど通い詰めた結果得られたものである。
本当に、あの頃は少ししか話してくれなかった。すぐ真っ赤になって、俯いてしまうのだ。
「本当、成長したなー」
だからこそ今の雪菜を見て、そう思うのだった。そう、と俺のコメントに対して真面目
に反応するところも含めて。
「シンは成長したというより、……変わった」
それは初めて聞く話だ。どんなふうに、と訊くと、
「それは言えない」
だ、そうだ。内気なんだか、秘密主義なんだか、俺がそんな間合いに入っていないという
ことなのかはわからない。
俺だって雪菜が変わったと思っているし、その分俺自身も変わったと思っている。それ
と同じことなのかなーなんて思いつつ、どうにかしてその内容を言わせることは出来ない
かと考えつつ、俺はレジャーシートに寝転がった。
寝転がる、と言ってもレジャーシートだってそんなに大きくないので、上半身はレジャ
ーシートの上にあったが、下半身はコンクリートの上だったが。
俺がそんな行動を取っている間に、雪菜は広げていた楽譜の類を片付け始めていた。帰
る準備なのか、もう今日はやる気がないのか、と考えていると、
「……デビューのこと」
鞄の中に荷物を入れながら、視線もそこに集中させながら、
「ひとつ、訊いてもいい?」
ここでイヤだと答えたら、どんな反応を見せるのか気になりはしたが、そういう空気で
もなさそうだったので、いいよとだけ答えた。
シンは。シンの方は。
「わたしと組むということで……いいの」
そう、問うた。
「わたしが歌を創る。シンがそれを歌ってくれる。……それで、いいの?」
俺はようやく、雪菜の片付けをしている筈の手が、無意味に鞄の中身を入れ替えしてい
るだけだということに気がついた。視線はそこにあって、きっと、そこにないのだろう。
おそらく彼女の意識は、他のところにある。
「わたしは歌えない。人前で話せない。でも、歌を創ることが好き。それを聴いてもらう
のも――最近は好きになれた。でも」
でも。それはわたしの都合。そう、言った。
「シンがもし、わたしの歌を歌うことに縛られて、他の人が創った歌を歌えなくなるなら
――言って欲しい。わたしは、そこで退くから」
起き上がった。そのスピードで音が出るくらい、勢い良く。彼女が驚いて飛び上がるく
らいに、強く。
待てよ。雪菜。
「それは違う」
ああ、畜生。言い損ねてたのか、俺は。
「俺が歌いたいと思った歌を、今まで歌ってきたつもりだよ、俺は。それがずっと、雪菜
の創ってくれた歌だったんだ」
一年前のあの日。
無口なきみの、歌を聴いた。
あまり、というより全く話してくれない君の、声を聞いた。
「歌ってメッセージ性強い、とか。伝えたいことを持つことがすごいだとか。まあ、俺に
はよく分からないけどさ」
歌を創ることが好きなだけ。
人前では歌えないし、話せない。
何を考えているのか。何を思っているのか。口に出して表現できない。
そんな、無口で不器用で、内気な女の子。
「それでも確かにみたんだ。あの時――初めて雪菜の歌を聞いた時」
雪菜の意志を。声を。
「それは今も、変わってない」
たしかに、ここに。
「一年前に俺が見た意志は、今でもここに健在だ」
わかってくれた? と訊くと。
案の定、いつも通りの真っ赤な顔が仕上がっているのだった。
夏が近い。
空が綺麗だ。風が心地いい。暖かくて、気持ちが良い。
「なあ、俺等そろそろ付き合わない?」
出し抜けにそんなことを聞いてみた。
「…………」
すると雪菜は毎度の如く、不満そうな――怒っているともとれそうな――曖昧な表情に
なる。
毎度の如く、というのも。
実は、俺が、こういうふうに告白したのは今回が初めてではない。雰囲気的に良くて、
これはノリでオーケーが貰えそうだと判断した時、あるいは出し抜けに、不意のタイミン
グを狙って――何度か告白したことがある。
その前例はすべて、ことごとく、完膚無きまでに、
「……いや」
という一言によって打ち砕かれ、俺の勇気と希望は宇宙の塵となって消えていく。今回も
そうだった。
雪菜は告白された時に、一瞬目を開く。それは毎度のことだ。そして怒ったような、拗
ねたような顔になって断ってくる。うーん。脈ありだと踏んでいるのだけど、これがなか
なかオーケーしてくれない。かなり頑固だ。断られて諦めない俺も俺だけど。
だが今回はもう少しせめてみようか。そう思った。
「どうして、いやなの?」
うん、これは脈ありの相手でないと確実にウザがられる質問だ。運が悪ければ『お前が
嫌いだからだ!』という雰囲気を醸し出しながら、「あ、ごめん」に続くわりとどうでも
良さそうな言い訳につながる。一年前の俺ならそんな危険地帯には足を踏み入れることは
せず、次に乗り換える。
だがもうその頃の俺は終わりだ。彼女持ちであることをステータスとして出歩く時代は
終わりを告げたんだ。
俺は雪菜の返事を待つ。お前はタイプじゃない! とか言われないことを望みながら。
「…………」
しかしどうしたことだろう。拗ねたような表情から何一つ変化がない。じっと俺の表情
を見据えている。これは失敗だろうか。それともどうやって返したものかと言葉を選んで
いる最中なのだろうか。
結局、返事らしきものが返ってきたのは、俺が質問してから数分が経ってからのことで、
本来なら会話は終了している筈の時間だった。
「……わからない?」
それだけ。それだけ言われた。いやむしろ、訊かれた。質問を質問で返された。
分からない、と返すと。雪菜は次第に頬を赤らめ――といってもすでに結構赤かったが
――そのうち頭から水蒸気が出てくるのではないかというくらい赤くなってようやく、こ
う言った。
「ちゃんと、言って」
言うが早いかすぐ目をそらす。耳は真っ赤、頬はもちろん真っ赤。首ですら赤くなりつつ
ある。茹でダコみたいだ――なんて思いながら、ああ、そういうことかと俺は納得した。
要するに。
俺がどうして雪菜に付き合って欲しいと言っているのか――それを言って欲しいと、つ
まりそういうことだ。感情面での、内面での話をするのが苦手で、今までそういうことを
必要としない女の子としか付き合ったことのないが故の、初歩的なミスである。
ふむ。ということは、雪菜は俺の約十回に及ぶ告白をその言葉を言わないからという理
由だけで断ってきたということだ。なんと頑固な。というか言ってくれ――というのは俺
の我が儘か。
原因がようやく分かったが故に、気付かなかったことが悔やまれる。感覚的には、問題
を記述問題だと思って解いていたら実は選択問題だったと途中でわかる、みたいな感じだ。
息を吸って。不意に俺は立ち上がって。大空に向かって。感情を、吐き出した。
「雪菜ーーー! 好きだーーーーー! 付き合ってくれーーーーーーー!!」
言い切ると同時に振り返る――あ、もう顔を伏せちゃってるよ。耳が真っ赤。
……勝った。
なんとなく、そんなことを呟く男子高校生が一人と、想定外の事態に手で真っ赤な顔を
隠す女子高生が一人、そこにいた。うん、青春だ。
「そこまで……しろ、なん……てっ」
ビニールシートの上に再び座り直して数分――、ようやく声らしき声が聞こえた。
「いやー、だってこんなに人を好きになったの初めてだしー? ぶっちゃけ心臓から血液
が吹き出すくらいの強い感情だったしー? 俺、すっげー雪菜のこと好きだしー?」
ここでさらに追加ダメージを与えると、雪菜は完全に撃沈し、よく分からないうめき声
のようなものをあげるだけになった。
「ついでにどんなところが好きかも言おうかー? 例えば、カラオケで俺が二十曲歌って
ようやくその気になった雪菜が顔を真っ赤にしながら一生懸命――」
「――もうっ! ……いい!」
耐えられなくなった雪菜が顔を上げて、珍しく強い口調で俺を遮った。なんともまー、
きれいに真っ赤ですこと。
「……わかった、から。……もう、いい」
「わかっていただけて何よりですよ。お姫様」
「――――っ」
ふむ、ようやく。これにて俺の目的は達成せしめたということで。
これからどんな日々が待っているのかも分からないが、とりあえず今までの功労賞とい
うことで。報酬をいただこうかな?
「ねえ、雪菜」
なに、と限界値を軽く超えた顔を上げた雪菜に、俺は言った。
「俺、まだ返事もらってないんだけどなー」
「――それはっ」
「相手に言わせておいて、自分は言わなくていいなんて――そんな都合の良いお話はない
よね?」
この日、俺達の帰りが大分遅くなったのは、言うまでもない。
――あとがき――
どうも。風月白夜ふうげつびゃくやです。
最近頑張っていることは、自動車学校での勉強です。
加えて、苦手なことは後書きを書くことです。
此の度はこの作品に目を通して頂き、有り難うございます。
ぼちぼち、作品を書いていけたらと思っておりますので、よろしかったら、今後も風月白夜をよろしくお願い致します。
次作:背中の未来 http://ncode.syosetu.com/n2999cb/
前作:とらすと、ゆ~ http://ncode.syosetu.com/n5953bv/