3話 二つの喫茶店と二人のお友達
Twitter上の創作企画「空想の街」(企画設定のwiki→http://www4.atwiki.jp/fancytwon)に参加した作品を加筆修正したものです。
作中に企画の設定に準拠した表現があります。
一部、企画の他参加者さんとのコラボがあります。ご了承ください。
「ブックカフェ黒猫」肇(@likeanalleycat)さん
「デコ少年と平凡少女」さく(@miriasaku)さん
「空想の街」のまとめはこちら↓
ttp://togetter.com/id/keitoura1123
りん、と頭上でベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
窓際のいつもの席につく。ブックカフェ黒猫は喫茶とたくさんの本を売りにした喫茶店だ。くど過ぎずさり気ない黒猫の意匠がいい趣味してる。いつかここに私の作った時計を置かせてもらうのが、小さな私の目標だったりする。
紅茶のいい香りを思い切り吸い込んだら少しだけ気分が晴れた。
「僕はアールグレイにしよう。リュカはカモミールにするといい」
メニューを見もせずに芽衣ちゃんが言った。まあ、いいけどね。軽く肩をすくめてご主人に注文を告げた。
<ブックカフェ黒猫>
馴染みの顔触れが訪問した。
いつもの窓際の席に着き、アールグレイとカモミールのオーダーが飛ぶ。
ふとあることが気になり、湯を沸かしながら尋ねた。
「今日は御二人ですか?」
その時二人の表情が僅かに固まったことに、私は気付いていなかった。
「ほら、いつも、黒髪で猫背気味のお客様もご一緒でしょう。今日はお見えではないのですね」
紅茶を淹れながら尋ねる。顔を上げると、二人の視線が私を刺していた。笑顔でも怒りでもなく、それは不可思議なものを見るかのような視線だった。
「リュカ」
芽衣ちゃんの声と視線が一気に緊張を孕んでとんでくる。
「遥君の容姿をもう一度言ってもらえるかい」
「黒髪の癖毛で・・・」
いつも猫背だった。
「遥は本当にいたってこと?でもならなんで…」
「僕らは覚えていないのか、か」
きょとんとする店主さんの前で芽衣ちゃんと顔を見合わせる。
「どういうこと、だろう」
「最近リュカはここへ来てないんだろう?もちろん覚えてない休暇のうちにここへ訪れて、店主さんと一緒に架空の遥君の記憶を刷り込まれた可能性もなくはないが。店主さんはリュカと違って1か月前の記憶はきちんとあると言う」
ぱくり、とやってきたオムライスを口に含んで芽衣ちゃんが私を見る。
「ややっこしいことになってきたな。落ち着かせようと思って君にはカモミールを頼んだんだが、僕にも必要だったかもしれない」
「欲しければ一口あげるけど」
「ありがとう」
勝手に注文されたことへの皮肉のつもりだったんだけど、上手く躱されてしまった。まあ、カモミール好きだからいいんだけどさ。
気を取り直して尋ねる。
「今からどうする?」
「まずは遥君が確かに存在していたという物証が欲しいな」
「ぶっしょう」
なんだかほんとの事件みたい。
「リュカに異変があったのか僕らに異変があったのか特定しないと何も出来ない。確かに遥君がいた可能性はかなり高いがね」
途中で口を開きかけた私を目で制して、芽衣ちゃんは続ける。
「僕は遥君の下宿だったという家に伺おうと思う。リュカは前に言っていた幼馴染のところへ行きたまえ。高校生だったね?この時間ならまだいないかもしれないが連絡はとれるだろう」
「幼馴染ってしぃちゃんのこと?」
急に出て来た名前に面食らう。なんでしぃちゃんが?
「しっかりしたまえよ。もし遥君が実在していて君の記憶が正しいのなら、今度は君が1か月前の休暇のことを何も覚えてないことが不自然だろう」
紅茶を飲んで芽衣ちゃんは呆れたようにちろりと私を見た。
「あ」
…そっか。遥がいてもいなくても私の記憶が異常なのは変わらないんだ。
「例の幼馴染だったら君の長期休暇のことも聞いているかもしれない。聞けば思い出すかもしれないだろう?」
「そう、だね」
あれだけ喋ってたのに綺麗にオムライスを食べ終えて、芽衣ちゃんは口を拭った。カップの中で紅茶が揺れる。
「何か思い出したら連絡してくれ」
「うん」
こくりと頷いてお会計を払う。ただならぬ空気が伝わったのか、心配そうな表情のご主人に笑いかけて黒猫を出る。りん、といつもと同じ鈴の音が響いた。
「じゃあまた明日」
「うん。芽衣ちゃんも気をつけてね」
「気をつけるって何にだい?」
「ゆ、誘拐犯とか・・・」
思いつき口に出すとそれはなんだか間抜けに響いた。でも、遥の記憶が嘘じゃなくて、行方不明になった可能性の方が高い以上、その可能性もなくはないのだ。
「記憶を弄るなんて、変な魔法とか使うやつとかかもしれないし」
「それだとむしろ危ないのは君の方だぜ。一人だけ記憶を持ってるなんて僕が犯人なら邪魔でしょうがない」
「わ、私よりも芽衣ちゃんの方が有能だもの」
どう考えても私より芽衣ちゃんの方が邪魔だと思う。むきになって言い募ると芽衣ちゃんはふふと笑った。
「大丈夫さ。変なやつがいたら蹴りでもいれて逃げ出すよ」
笑って肩をすくめられた。犯人がいるなんて本気で思ってないみたい。芽衣ちゃんは頭がよくて、偶に私には彼女が何を考えているのかよく分からなくなる。
「明日は僕が君の家まで迎えに行くよ」
「うん。…あれ、1限あるんじゃなかったっけ」
尋ねると涼しい顔で答えが返ってきた。
「自主休講だ。非常事態だからしょうがない」
「・・・困るのは私じゃないからいいけど」
真面目かと思えばこうなんだから。苦笑して手をふる。
「じゃあ明日ね」
「ああ」
芽衣ちゃんに背を向けて家の方へ歩き出した。見慣れた風景がいつになく薄暗い。
怖かったり不安になったりしたけど、今はたぶん遥が心配なのが一番な気がする。ぐるぐるした気分のまま駅を目指して駆けだした。しぃちゃんに会いたい。会ってぎゅーってしたい。
勢いよく走っていく彼女を見送って僕はゆっくり歩きだした。春の陽気は暖かいけれど気分は沈む。人一人がその記憶と共に消えてしまうなど恐ろしい現象だ。消えたと思われる遥と同様にリュカのことも気にかかった。
何故彼女だけ覚えているのか。1か月前何かあったのか。
裏通りを抜けて彼の下宿があるという北区を目指す。区の境界が近づくにつれ、街並みは洋風と和風とが入り乱れた一風変わった空間になる。昼時のせいか人通りは少ない。石畳に僕の足音が響いた。
別れしなのリュカは犯人の存在を気にしていたが、僕はその可能性は低いと考えていた。確かに人為的なものは感じるが、その場合リュカにだけ記憶がある説明がつかない。誘拐か事件だとして、リュカにだけ記憶を残すメリットはないだろう。僕が考えていたのは家出だった。この場合は夜逃げが適切だろうか。
研究のために街を訪れた青年が、夢叶わずに街を去ることになる。研究が失敗したことを知人に知られたくない、あるいは家族の元に帰りたくなくて、自分に関わった者の記憶を消して姿を眩ます。ただ初めて友人になったリュカの記憶だけは消すに忍びなかった・・・一応筋は通るように見える。
が、所詮空論だ。仮にも僕やリュカの友人がそんなことをするとは俄かには信じがたいし、もしもリュカにこの考えを伝えればきっと彼女は激怒するだろう。
この仮説であって欲しいと思うのは僕の願望だ。記憶と共に存在が煙のように消えてしまう場合や、事故で失踪した場合よりは、まだこちらの方が気が楽だった。
「全く面倒なことになった・・・」
嘆息しながら呟くが、同時にどこか浮き立つ自分も感じていた。この街では超自然現象は多いが、こうして事件として目の前で起こる物はほとんどない。この街で起こるのは長閑であたたかな奇跡か、操る主のいる術かのどちらかだ。
人が一人消えているのだ。真剣になりこそすれ浮き立つなんて
「最低だ」
血も涙もない研究者、という単語が思い浮かんで。自然と唇に自嘲の笑みが浮いた。
水路を越えてしばらく歩く。リュカに聞いていた通り、北区の中でも地味な一画にその家はあった。
割に綺麗な家だった。くりいむ色の壁は新しくはないがこざっぱりとしている。1階の管理人の部屋であるという扉のノッカーを叩いた。
走りながら腕時計を見る。午後3時。しぃちゃんが家にいるかどうか、時間的には微妙かもしれない。立ち止まって、少し息を弾ませながらメールを打つ。
「会えたら会いたいな、と。送信っ」
幼い頃からずっと一緒だからだろうか。しぃちゃんには素直になれる自分に首を傾げる。
<デコ少年と平凡少女>
家に向かって歩きながら、ケータイの電池をはめて電源を入れる。光る画面に、新着メールの文字。
「リュカさんからだ」
「リュカさん?」
「3つ上の幼なじみの人。会いたいってメールなんだけど、いいですか?」
「寧ろ俺が邪魔じゃない?」
「少し返信遅れてごめんなさい。今帰宅しているところです。どこか行きましょうか?それと、もうひとりいるんですが構わないでしょうか?」
「おー返事きた」
もうひとり、の言葉にぱちりと瞬く。一体誰だろう。友達なのかな。あまり友達と一緒、ということのないしぃちゃんには珍しいな、と思いながら適当な壁に寄り掛かった。返信を打つ。
『何処かで待ち合わせでもいいよ。CAFE32とかどうかな。一緒の子が平気なら私は気にしない(*^^)v』
「えい。送信!」
携帯を空へ向けてボタンを押した。
ぶるぶる、震えるケータイを開く。
「場所は…CAFE32、でも平気ですか?」
「中央だよね?」
「はい」
「本当に俺いいの?」
「大丈夫だそうですよ」
会話を交わしながら返信を打つ。
『CAFE32了解です!今から向かいますねー』
てや、送信。
「ん、今どこにいるんだろ」
しぃちゃん達の現在地を聞き損ねたことに気が付いたけど、まあいいや。中央区なら何処から来るにせよ時間はさほどかからない。それもCAFE32の便利なところだ。
CAFE32黒猫同様に久しぶり、のはず。記憶がない間に行ってるかもしれないから本当のところは私には分からないのだけど。
「しぃちゃんに、」
聞いたら何か分かるかなあ、と呟いて歩きながら空を見上げた。
しばらく歩くと看板が見えてきた。美味しいデザートが売りの喫茶店CAFE32は若者からおばさままで人気がある。今日もそれなりに人が入っているみたい。
沈んだ気持ちを奮い立たせようとぎゅっと手を握った。久しぶり(のはず)だから季節のデザートが出てるかもしれない。期間限定とか。と思ったところで、ふいに遥の顔が目に浮かんだ。
「遥と、来たかったなあ」
可愛らしい内装に眉を寄せてぼそぼそ文句を言う遥の姿が浮かぶ。泣きたい。
「中央…だよね?」
「はい」
「少し遠くない?」
「問題ないです!」
少女は言い切ると電話をかける。
「もしもし、お母さん?ん、もうすぐ帰るんだけどかふぇみつに行きたいんだ。車だしてもらえる?」
少年が一瞬ギョッとしたのを少女は知らない。
「本当男前になったわねー」
「ど、どうも」
「あの時はしぃちゃんがお姉さんに見えたのに」
少女の母が運転する車の後部座席にふたり。
「お母さんよく覚えてたね」
「電話で聞いたときはびっくりしたわ。ふふ、運命的ね」
あはは、と頬を染めて笑う。
「それにしても、」
さっきから頭をぐるぐると回っていた、気になって仕方ないこと。
「リュカさん何かあったのかなー…」
目的地まで、もうすぐ。
扉を開くと「いらっしゃいませー」と声がかかる。内装は明るい感じで、洋風とも和風とも言い難いちょっと変わった雰囲気を持っている。
2階のお座敷の奥へ通された。奥席は人気だから珍しいなと思いながら座る。と、店員さんにハンカチを渡されて、初めて目尻が赤くなってることに気が付いた。
あー。恥かしい・・・。
待ち合わせと言うと、連れが来たら席に案内してくれるのもこのお店が人気な理由だ。
傍のメニューを手に取る。あ、ちょっと変わってる、と思いながらぱらららとめくった。注文はしぃちゃんが来てからにしよう。穏やかな空気と色とりどりの写真に少し気分が落ち着く。
「どれが美味しいんだろ」
あ、ツチの実ケーキ。予想通り期間限定のデザートも出てるみたい。
「帰りはまた連絡するね」
「有難うございました」
ふたりは車を降り、店の中へ入ると店員に、2名様ですか、と声をかけられた。
「あの、黒髪でポニーテールの人と待ち合わせてるんですけど、来てますか?」
ああ、こちらへどうぞ。奥へ通される。
「奥の席初めてだー」
「俺も」
少女はきょろきょろと見渡しながら店員に着いていく。どうぞ、と言われ顔を向けると若干距離が空いていてぱたぱたと小走り。
「リュカさん!」
あれ、目が赤い?少女は青年を思い出す。あの人みたいな優しさを。
「リュカさん!」
かけられた明るい声にぱっと顔を上げた。
「しぃちゃん!」
あれ、男の子。一緒の人って彼のことだろうか。人当たりの良さそうな笑顔に軽い既視感を覚える。何処かで会ったんだろうか。
「あ、分かった。マルケーで朝に2両目に座ってる子だ」
指を鳴らすと、少年は少し驚いたようだった。素直な表情には好感が持てる。
「私人の顔とかは忘れないんだー」
初めまして、リュカって言います、よろしくね。とひらひら手をふってみた。
「あ、ええと、しおんといいます」
少年はぺこり、と頭を下げる。
「まさかリュカさんがしぃくんを見たことあるなんて」
少女がそういうとリュカは、しぃちゃんに、しぃくん。と呟いた。
「今度色々お話しますね」
少女は照れ笑いを浮かべた。
照れ笑いしたしぃちゃんがとっても可愛くて、いくら鈍い私でもこれはぴんと来る。いつも失言で芽衣ちゃんに怒られてるから何も言わないけどね!
スカートを押さえながらしぃちゃんが隣に座る。待ちきれなくて、体を起こしかけた彼女にぎゅっと抱きついた。
「久しぶりだねー」
華奢でやわらかな女の子の体だ。あたたかい。彼女はここにいる。
少女は久しぶり、と抱き着いてきたリュカを抱きかえす。
「リュカさんとこうするのも久しぶりですね、あったかいです」
その温度にほっとしていると、少年が立ち尽くしているのに気付いた。
「しぃくんも座りましょ?」
「あ、ごめん」
少年は向かいの席に座る。
「凄い方もいるんだなあ、と思って。何両目に乗ってたかなんて、自分でも覚えてないです」
にこり、笑いながら心の奥でいいなあ、と思っていたのは秘密。
すごいですね、と言われてへらりと笑って見せた。
「記憶力がいいねっていうのはよく言われるんだ」
何頼む?と言ってしぃちゃんから離れた。しぃちゃんがあったかいの確認できたし、話を聞いて欲しいっていうのもあった気がする。
「うーーーん」
メニューを眺める。どれも美味しそうで決められそうにない。
「久々に来たから余計に迷うなあ…あ、この蜂蜜使ってるケーキにしようかな」
少女は散々迷った挙げ句、何とか選ぶ。
「俺は…アイスティだけでいいです」
「おっけい」
店員さんを呼びとめて注文。紅茶が3つとケーキと羊羹。
店員さんが去っていくのを確認して、体の向きを変えた。しぃちゃんとしぃくんに向き合う形になる。えーとまずは、やっぱりこれからかな。
「急に呼び出してごめんね?」
手を顔の前に合わせて小首を傾げた。
ふるふる、少女は首を振る。
「こうやって会えたことが嬉しいし、気にしないで、ください」
「俺も構わないですよ。色々な人と出会えるのはいいことだと思ってますし」
ふたりは穏やかに笑った。
「何かあったんですか?」
少女は心配そうに尋ねる。
穏やかに笑う少年と心配そうなしぃちゃんがなんだかとても可愛くて、頭を撫でたい衝動を堪えた。ここまで見る限り優しそうだし、しぃちゃんの彼氏なら大丈夫だろうとは思うものの、どこまで話していいだろう。言葉を選びつつ
「えーとね。1か月前くらいに私、長期休暇をとったんだけど、それってしぃちゃんに言ったっけ?」
「休暇?」
ぱちぱち、と瞬きを繰り返す。
「そんな話は聞いてない、です」
少女が首を傾げた時、飲み物が来た。ケーキと羊羹もすぐお持ちしますね、と言って店員が去る。少女の首は、傾いたままだった。
「だよね」
どう言えばいいんだろう。大丈夫だとは思っていても、不思議そうなしぃちゃんの視線が刺さるような錯覚に陥る。
「その、私旅行に行ったりとか変わったことしてたとか何かあったかな?」
まるっきり記憶喪失といったセリフに内心で苦笑した。こういう時に、上手く嘘もつかず不自然でもない言い回しが出来ればいいんだろうけど。
「旅行…1か月前、ですよね?」
ええと、と今度は逆側に首を傾ける。そういえば。
「日帰り、とかだとわからないですけど長期はないと思います。南区でリュカさん見かけた記憶あるんです。入学式の日だったので覚えてます」
「そんな不安そうになさらないでください。詳しいことも何もわからないですけど、ついさっき俺としぃちゃんも、不思議な体験したばかりなんですよ」
「リュカさん、きっとだいじょぶです!」
そ、と少女はリュカの手を握った。
そっと手を握られて、ああ不安だったんだと気付く。身を乗り出したしぃくんも、いい子なんだろう。様子がおかしいことに気が付いていて、でも私が言わないから追及する気はない。
「うん、ありがと」
手のあたたかさに目を閉じる。しぃちゃんのそれと、先ほどの芽衣ちゃんの手が重なった。私の記憶なんてどうでもいいんだ。きっと遥を見つけてみせる。
「頑張るね」
目を開けて、私は二人に笑いかけた。
頑張るという言葉に、無理をしているのでは、と少女は思う。
「そのあとも何度か見かけたんですけど、リュカさんなんだかばたばたして疲れてました。寧ろちゃんと休暇とってますか?」
きゅ。少し手に力がこもる。
少しだけ手に力が込められた。
全部言ってしまおうか、という考えが一瞬頭をよぎるけれど、余計に心配させてしまうかもしれない。まだ何も分かってない不可解な現象に、大切な幼馴染を巻き込むのは嫌だった。
軽く笑みを浮かべて答える。
「大丈夫、休暇ならいっぱい取ってるよ。ついこの間も図書館で本を借りて、」
言いかけて、あれ、と気が付く。何の本を借りたのか分からなかった。覚えていたそれが急に分からなくなったんじゃなくて、覚えていないことに、ちっとも気が付いていなかった。
長期休暇のことだけじゃなくて、本のタイトルとかどこへ行ったとか、ここ1か月の間の記憶が酷く曖昧だということに、今さら気が付く。指先が急激に冷たくなっていく。遥のことはちゃんと覚えてるのに。なんで。
唐突にリュカの言葉が止まったことに少女と少年は顔を見合わせた。声をかけようか、というときにケーキと羊羹がこと、とテーブルにおかれた。ごゆっくりどうぞ。ぺこ、と頭を下げた店員が遠ざかる。甘いもの食べて落ち着いてくれれば、と思う。
「なんで覚えてないの・・・」
嫌だ、という言葉がふいに浮かんだ。なんでこんなことになったんだろう、遥はいなくて、芽衣ちゃんは覚えてなくて、何故か記憶は曖昧ですごく不安で、こんなにぐちゃぐちゃな気持ちは初めてだった。なんで、なんで、だって私は、
「うー、」
喉の奥から熱い塊が込み上げる。綺麗に磨かれたテーブルの上に、ぼたぼたと涙がおちた。
「りゅ、リュカさん!?」
ぽろぽろと涙を流すリュカに、ふたりは戸惑う。
「…っ」
少女はそっとリュカに抱き着いた。
「だいじょぶです、だいじょぶですから」
少年はそ、とハンカチをテーブルの上、リュカの前に差し出した。
私はただ、ただみんなで笑っていたいだけなのに、みんなで一緒に笑っていたいだけなのに、なんで駄目なんだろう、遥も芽衣ちゃんも大好きなのに、なんで、どうしてこんなことになってるの。
世界がぐらぐら揺れて、頭の芯がぼうっとしていて、よく分からないまま何か口走った気もする。気が付くとしっかりとしぃちゃんが抱きしめてくれてた。
ほろほろ。少女の頬にも涙。
「しぃちゃん?」
少年が声をかける。
「れ、もらい泣き、しちゃいました」
優しく腕を回したままあはは、と笑う。
「リュカさん、悲しいのは半分こしましょ。いつでも待ってますから」
その言葉に少年も静かに頷いた。
「半分こしたら、嬉しいときはその嬉しさが2倍なんですよ」
少女はぽんぽん、とリュカの背中をたたきながら言う。
「俺もいるから悲しいのは3分の1、嬉しいのは3倍です」
少年は少し冗談ぽく言って、微笑んだ。
「半分こ、」
聞こえる柔らかな言葉に、強く反発する気持ちが湧いてきて自分で戸惑う。駄目だよ、と言いたくて、でも言えなかった。何故こんなにも悲しいのか自分でも分からないけれど。しぃちゃんはあたたかくて、それがとても嬉しくて悲しかった。辛かった。一緒に泣いてくれたしぃちゃんに抱きついた。
「・・・ありがとう」
しぃちゃんにぎゅうとしがみつく。向いでしぃくんも微笑んだ。優しい、優しい大事な友達。友達だから守らなきゃいけない。私の大事な優しい世界を、守らなければいけない。
「きっと、頑張るから」
何をすればいいのかは分からないけど。遥を見つけること、謎を解くこと。私もっと頑張るから。
リュカの決意を宿した瞳をふたりは見つめた。
「ほんとに、いつでも待ってますね。お母さんもリュカさんに会いたがってましたし、何もなくてもお茶しに来てください!」
「よかったらハンカチ使ってください。俺にはこれくらいしかできないので」
ぐす、と鼻が鳴ってふいに恥ずかしくなる。
「ありがと」
にこ、と笑いかけてハンカチを受け取った。揺らいでいた世界も落ち着いて、少し落ち着いてきたみたい。
涙を拭いて、すんすん鼻を鳴らしながらフォークを手に取ったらちょっとだけしぃくんがぽかんとしたみたい。・・・いや、だってせっかく頼んだし。泣いたらちょっとすっきりしたのかも。
「美味しそうですもんね」
くすりと笑いながら少年は紅茶のストローを回す。からころ、氷の音がなる。
「私もいただきますっ」少女もフォークを取って、ケーキを一口サイズに切り取った。
字数の関係で、図らずもリュカが食いしん坊みたいになってしまいました。ブックカフェ黒猫ではお茶を飲んだだけなはずです。多分。