【幕間】軟禁生活とお勉強
人には口が一つなのに、耳は二つあるのは何故だろうか。それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ。
――ユダヤ人のことわざ
「この世界のこと、教えてください!」
『ユリ』がそう言い出したのは、まだ『シクラメン』と一緒に軟禁中の時であった。
「ほう。理由を聞こうか」
「常識のすり合わせは重要だからです。知らないうちに地雷踏んで爆死とか切り捨て御免とか、嫌ですから」
ふむ、とオーレンはペンを置いて『ユリ』を見る。
「これは確認になるが、貴様は感染者が確認され次第殺処分、ということになっている。徒労になるかもしれない。それでも貴様は知りたいか」
こちらを背中まで射抜くかのような鋭い視線。
「……はい」
『ユリ』は、頷く。
「……成程」
しばしの沈黙。彼は「よろしい」と言って、机から立ち上がった。
「貴様のその暇潰しに付き合ってやろう」
「あ、やっぱりバレましたか……」
「わからいでか。衣食住が充足した人間が次に欲する物を考え給え」
彼は本棚――とは言ってもそこに所蔵されているのは綴じ本ではなく巻物なのだが――から目当ての巻物を探しながら、そう答える。
着替えはこの国の服装であるチュニックが――着付けとなると『シクラメン』の手助けがまだ必要ではあるが――ある。食事は時刻になればオーレンが三人分を持って来てくれる。居住は下手なホテルの高級部屋よりも大きいオーレンの居室だ。
時間は掃いて捨てるほどある。やることは無い。その時に人間が求めるものは、即ち“娯楽”である。
言葉を継ごうとし、途中で『ユリ』は口を閉ざした。
「いやまあ、“退屈は死に至る病”とも言いますし。それに――」
退屈は、「近々自分は死ぬかもしれない」という事実を想起させる。だから、それを紛らわせるための何かが欲しい。
しかしそれは彼に言うべきことではない。故に『ユリ』は途中で口を閉ざしたのだ。
それを不思議に思ってオーレンがこちらを振り向く。心を見透かす、あの目でこちらを見抜く。
「陛下」
「ん、ああ……。なんだね、『シクラメン』」
ついさっきまで巻物を読んでいた『シクラメン』が、唐突に声を上げた。オーレンの注意は自然、そちらにそれる。
「私にもその授業に参加させて頂きたく存じます。微力ながら陛下の手助けができれば、と」
「ほう。これは心強い。是非ともそうしてくれ給え」
手にした巻物をしまい、『シクラメン』もこちらに寄ってくる。
いつも厳しい顔をした彼女は『ユリ』を見ると少しだけ微笑み、その頭を撫でた。
「あなたは、強い子ね」
「……!」
“強い子”。それは、この世界でも生きようと努力する自分のことを指しているのだろうか。
『ユリ』はその疑問を否定する。それなら、なぜあのタイミングで『シクラメン』はオーレンに声をかけたのだろうか。
恐らく、彼女がオーレンよりも先にこちらを見透かしたからだろう。
「……王侯貴族の人って、すごいんですね」
「政界は心理戦が主戦場なのよ」
微笑み、貴族は遠回しに「正解」と答えた。本当に見透かされていたらしい。
「聡い子は好きよ」
そう言って彼女は微笑み、もう一度『ユリ』の頭を撫でた。
「仲が良いな」
本棚から二巻の巻物を持って、オーレンが戻って来た。
「さて。差し当たって貴様の世界を元にこちらと比較していこう」
彼は巻物の留め具を外すと、それを机上に広げる。
巻物は、机上に長靴のような半島を中心とした――つまりは地中海世界の――地図だった。
「まず前提として、ここと貴様の世界では地形が酷似している。貴様の世界ではローマに該当する、ここがアモール王国だ」
彼はイタリア半島の中央よりやや西寄り、“Amor”と記された箇所を指した。
「時代区分としてはそちらで言う古代だな。都市国家が乱立している」
「……要するに、紀元前後の古代ローマ?」
「うむ。大枠はその認識で合っている」
さて、とオーレンは一息入れる。
「ここからが本題だが、この世界において人類の生存圏は非常に限定されている」
彼が目配せすると、『シクラメン』が頷きそれを引き継ぐ。
「都市国家の外、外界には不可視の“世界に満ちるもの”が文字通り充満しているの。これには人を害する性質があるわ」
「ええっと……ウィルスか菌、みたいなものでしょうか」
「うむ。もっとも、それらとは違って長期間に渡って“満ちるもの”に冒され続けると、最終的に人は魔獣と呼ばれる怪物連中になると言われているがね」
魔獣化。
もし自分が“アタリ”だったら、その“外界”に放逐されて怪物になってしまうのだろうか。
被害妄想じみた、しかし決してありえなくはない可能性を想像し、『ユリ』は言い様のない恐怖を感じた。
「それで、その“世界に満ちるもの”から私達人類を守るのが、都市の象徴でもある“大樹”なの」
持って来たもう一つの巻物を開いて『シクラメン』がこちらに見せてきたのは、見慣れたアルファベットと市街を囲む高い壁とその向こう側に見える巨大な樹木が描かれた挿絵――あるいは図解――だった。
「わ、すごい……」
「これがアモール王国の“大樹”。“樹冠は空を覆い尽くさんとするほど広く、幹はどんな塔よりも太く、その樹高は天を衝くが如く高い、偉容の大樹”ってよく吟遊詩人に謳われているわ」
「ほえー……」
挿絵の“大樹”は外壁を優に超す高さだ。このイラストが忠実に描いているのだとしたら、アモールの“大樹”はちょっとした高層ビル並の大きさになるだろう。
確かに。そんなに大きな木が生えていたら、象徴の一つにもなるというのも納得する話だ。
微笑む『シクラメン』の表情は、どこか誇らしげだ。ふと視界に映ったオーレンの口元でさえ、わずかに釣り上がっているのが見えた。二人とも、本当に大樹が、そして母国が好きなのだろう。
ふむ、とオーレンが一息つく。
「興が乗った」
彼はそう言うと本棚に向かい、いくらか巻物を見繕うと次々と机の上に積んでいった。
途端に『ユリ』は嫌な予感を感じた。
「え……あの、これは……?」
「貴様の勉強道具だ」
にやりと口元を歪めるオーレン。それに釣られるようにして、『ユリ』の口元も引きつる。
「あー、いや……別にそこまでして頂かなくても、その、お話を聞かせて頂くだけで充分――」
「常識のすり合わせは大切なんだろう?」
「わ、私処刑されるかもしれないし、徒労になるかも……?」
「うむ。故にこそ、暇潰しだ」
最終的に積まれていく巻物は、ちょっとした小山を形成した。
「良かったな。執政の娘と国王に教育を施される栄誉など、そうそうありつけるものではないぞ」
意地悪な笑顔でぽんと巻物の丘を叩く国王。
「……ウ、ウワー光栄ダナー」
結果、『ユリ』は伝染病の嫌疑が晴れて解放されるまで、みっちりと勉強生活を送ることとなった。




