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10.人の驚き、人の噂

孤独は優れた精神の持ち主の運命である。


――ショウペンハウエル

 驚きは九日しか続かない。

 何事も時が経てば忘れ去られてしまうこと、転じて妙なうわさが流れてもそう長くは人々の記憶に留まらないことを表すことわざである。


「九日にしろ七十五日にしろ噂はそのうち立ち消えるものだ」


 淡々と書類を処理しながら、しかし一つ言っておくが、と彼は言葉を続ける。


「抱かれた印象や貼られたレッテルはそう簡単にくつがえらん」

「うっ……」


 軟禁状態から解放されて早数日。

 『ユリ』はオーレンの私室にこもったままだった。


「だって、みんな私のことなんか避けてるっていうか、白い目で見てきますし……」


 “噂”というのも、『ユリ』が「疫病をもたらす稀人である」というものに他ならない。最初は“かもしれない”という予測と恐れから流れれていたものだったが、疑いが晴れた今でも『ユリ』を忌避する人は少なくない。

 いきなり放り込まれた全く異質な環境なのも相まって、この冷遇から来る精神的な重圧は『ユリ』にとって相当なものであった。


「この時代は自力救済が基本だ。白手袋は用意しておくのでなんとかしておくと良い」

「……もし本当に用意されたら、私、真っ先にあなたの足元に投げつけますからね」


 おお怖い怖い、と笑いながら彼は肩をそびやかした。

 ぼふんとベッド――軟禁されていた頃の名残で、まだ自分の物が残っていた――に顔をうずめて溜息一つ。


「なんかこう……王様パワーでなんとかならないんですか?」

「無理だ」


 ばっさりと切り捨てられる。


「財力や権力の問題であればどうとでもなるが、人々の心を意のままに動かすことはできない。貴様を側に置いて安全を周囲に認知させるなどの政治的パフォーマンスも、私と『シクラメン』のある性質上効果が限りなく薄い」

「……一応、考えててくれたんですね。私のこと」


 正直、『ユリ』は彼の普段の傲慢で不遜な言動からてっきりこういった気遣いはしない人間だと思っていただけに、そういった面が彼にもあったことが意外でならなかった。

 作業の手を止めて、彼は顔を上げた。


「ナチュラル失礼だな貴様。部屋から追い出してくれようか」

「立退き料は私の名誉の回復となっております」

「貴様も、段々と言うようになってきたな」


 苦笑半分呆れ半分の視線を投げて寄越される。


「……すみません。ちょっと気安くなっていました」


 彼とは一週間も四六時中同室で過ごした仲だが、それ以前に彼は国王だ。その威厳は少なくとも自分が侵して良い物ではないだろう。


「ああ、別に脅したわけではない。そう萎縮してくれるな。公の場でなければ貴様に限り特に許す」


 彼は少しだけ「失敗したな」という顔を見せてひらひらと手を振った。これも、少しだけ『ユリ』にとっては意外だった。


「……“なぜ?”と理由を聞きたそうな顔だな」


 いつの間にかに表情に出ていたらしい。はっとなって顔を隠すように頬へと手を当てると、彼はくく、と小さく笑った。


「別に、そう深い意図があるわけでもない。私は貴様が気に入っている。ただそれだけの話だ」


 頬杖をついてこちらを眺める彼の穏やかな目は、どこか愛玩動物を愛でている者のそれに通ずるものがある。実際、小娘の一人など、彼からしてみればその程度なのだろう。


「次は“なぜ気に入っているのか”と考えているな」


 くくく、とさっきよりも更に笑みを濃くして、彼は「貴様の考えていることはは実に読みやすくて良い」と言った。

 つとめて表情を浮かべないように意識する。読まれてしまうのは自分の不注意が原因とわかっているが、読まれっぱなしというのも気分の良くない話だ。

 そんな彼女の様子を、彼は楽しげに眺めながら話を続ける。


「単に、同郷の念を禁じえないだけだ。王として、アモール人としてここに生まれついて二十年間は生きてきたが、やはり故郷というものはどうしても郷愁を誘うものよ」


 そういえば、と彼も自身を転生者と言っていたことを彼女は思い出した。そのように考えてみれば、成程、彼がなぜこれほどまでに『ユリ』の世話を焼いてくれたのかわかろうものだ。


「加えて、同郷ということを差っ引いてさえ貴様は器量も頭も悪くない。私に愛される資格を有している」

「……資格?」


 うむ、と頷いて、つまり言ってしまえば、と彼は続ける。


「私は貴様が好きだ」

「――――っ!?」


 ぼ、と火が付いたかのように顔が熱くなったのを自覚した。即座にそっぽを向いて顔を隠す。


「そ、そういう風に――!」


 半ば反射的に慌てて口を開いたせいか、舌がもつれる。


「そういう風に、からかわないで、くだ、さい……」

「からかってなどいない。私は本気だとも」


 聞こえる声音からは、確かに先程とは打って変わっておどけた様子や楽しげなそれは鳴りを潜めていた。

 足音が聞こえる。思わず、びくりとかすかに身体が震えた。彼が歩み寄って来ているのだ。

 このままではいけない。今の自分は状況に流されていることを、彼女ははっきりと自覚していた。

 けれど、彼女は動けなかった。何か抗しがたい圧力のようなものを感じて、頭では「今すぐにこの部屋から逃げるべきだ」と警笛が打ち鳴らされているのにも関わらず身体が思う通りに動かなかった。

 自分のすぐ目の前で、ぴたりと足音がやむ。俯いた視界からは、彼のトーガが見えた。

 彼は、少女の耳元で囁くようにして彼女の名を呼んだ。


「『ユリ』。私は貴様を愛しく思う。私には貴様が必要だ」


 心の隙間からするりと浸透していくかのような、甘い言葉。頭の中が真っ白になる。何も考えられなくなる。


「私の傍にいて欲しい。私を支えて欲しい」


 顎を持ち上げるようにして上を向かされる。

 彼の顔が目の前にある。

 まだ顔は熱すぎるぐらいに火照っているし、心臓は早鐘を打ち続けている。しかし、麻痺してしまったのかさっきまでのように恥ずかしいという思いは不思議と存在しなかった。ただ、「ああ、キスされるんだろうな」というぼんやりとした予想だけが頭をよぎったぎりだ。

 男女の唇が触れ合う――まさにその瞬間、第三者のしわぶきがそれを阻止した。

 夢から醒めたかのように、ぼんやりとしていた意識が一気に明朗なものとなった。


「きゃっ――」


 腕を突き出すようにして彼から逃れ、『ユリ』はそそくさと距離を置く。


「……『シクラメン』か」


 突然現れた第三者――『シクラメン』を見て、好色王はやや苦々しげな表情をした。


「本日も陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう」

「……そう見えるかね」

「いえ。社交辞令です」


 優雅なカーテシーで挨拶をした『シクラメン』は、しれっとそう答えた。


「ところで。私は好色王陛下が国務熱心であることは大変望ましいことであると存じております」


 “国務熱心”と言う彼女の言は、書類仕事をそっちのけにして自分を口説いていた彼に対する嫌味だろう、と『ユリ』は見当付ける。


「ですが、ご寵愛を受けるようになってまだ日が浅い内から陛下が他の娘とお戯れ遊ばれているのを見てしまうと、私も不安になってしかたがありません」


 それとも、と『シクラメン』は続ける。


「私は陛下にもう飽きられてしまったのですか?」


 オーレンを上目遣いに伺うようにして見る彼女からは、哀れみや同情を誘うようなある種の媚びは欠片もない。むしろ、相手を試しにかかっているかのような様子さえ感じられる。

 そんな視線を受けてなお、好色王は鷹揚に頭を振った。


「いいや、否だ。誓って、私は貴様を真に愛しているとも」


 どの口で、と『ユリ』は眉をひそめる。


 ……さっき傍にいて欲しいだとか何だとか私に言ったくせに、よくもまあいけしゃあしゃあと……。


 苛立ちにも似た胸のわだかまりは、義憤だろうか。とにかく、『ユリ』はそれを見て「不誠実だ」と感じた。


「お優しくも慈悲深い陛下ならそう言って下さると信じていました。しかし今となってはもう、陛下が私のどこに惹かれてそうと仰って下さっているのか皆目見当もつかなくなってしまいました」


 教えてください、と『シクラメン』。


「私のどこが、陛下のお気に召しているのでしょうか?」

「それは『シクラメン』、貴様の美しさだ」


 彼は言う。


「貴様は美しい。器量は言うに及ばないだろう。その気高さ、気品、立ち居振る舞い、全てが美しい」


 ああ、だからこそ、と好色王は言葉をつなげる。


「『シクラメン』。貴様は私に愛される資格を有している」


 好色王のある種の傲慢さを孕んだ「愛」を聞き、しかし『シクラメン』はあたかも、いたずら好きの子供のようにくすりと笑って、こう言った。


「夜目遠目、と申します」

「…………」


 はは、と王は笑い、「つくづく上手いことを言う女だ」とつぶやいた。


「私と貴様とでは、言うなれば天の月と地ほどに遠い、と?」

「ええ。まだ遠い内から“美しい”などと評されるのは、あまりにも拙速に過ぎるかと」


 ですから、と彼女は続ける。


「多翼《多欲》の好色王陛下。どうかその翼で、私の近くへいらして下さいな」


 成程、と彼は頷いた。楽しげに、笑いながら。


「そうとなると、脇目を振っている暇はなさそうだ。あいわかった。今後、自重しようではないか」

「ありがたく存じます」


 王に感謝の念を伝える『シクラメン』の挙動は、一点のくもりもない流麗かつ上品なものだ。


「それでは、少々『ユリ』をお借りして行きます」

「うむ。あまりいじめてやるなよ」


 『シクラメン』に手を取られて慌ただしく部屋を辞す。

 途中、ちらりと『シクラメン』の横顔を窺い見た。彼女はなぜだか、どことなく嬉しそうな顔をしていた。

 手を引かれながらも、空いた方で自分の胸に手を当てる。

 鼓動はまだ早鐘を打ち続けたままで、それと同時にあの不愉快さもまだ胸にわだかまっていた。

 彼女にはそれらが不思議だった。

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