前篇
「ユウカにしか出来ない話なんだ」
ある日、大事な相談があると私を呼び出したコウスケは、珍しく大真面目な顔でそう切り出した。
「なに? そんな真面目な顔して。らしくないって」
あんまり空気がシリアスすぎて私はへらりとコウスケに笑いかけた。
でも、コウスケの表情は変わらない。仕方なしに私も顔から笑顔を消す。
コウスケはそんな私を見て、口を開いた。
「もし、俺が二人いるって言ったらどうする?」
「は?」
コウスケの相談って、そんなSFチックなことだったの? なにそれ。笑っちゃう。
大真面目な顔してたから、てっきり別れ話とか、そういう悪いことかと思っていただけに、拍子抜けする。
「ユウカ?」
「え? あ、うん。コウスケが二人いたらだよね? 二人いたら、一人がバイトの時はもう一人がデートしてくれるよね。悪くないね」
私がそう言って笑うと、コウスケは「もう一人は、お前と付き合ってないんだ」と辛そうに眉根を寄せた。
もしも、の話なのに意地悪なことを言うコウスケに私は首を傾げる。
コウスケは眉根を寄せたまま、小さく溜息をついた。
「本当にいるんだ、俺が二人」
私は首をかしげたまま固まってしまった。
コウスケが二人いる。
俄かには信じられない話だったけど、コウスケがどこかに電話して、数分もしないうちに、もう一人のコウスケが出てきたら、信じないわけにはかなかった。
だって、本当にそっくりそのままだったから。双子レベルに似てる、とかじゃなくて、その上をいっていた。
性格も仕草も喋り方も、なにからなにまでまったく同じ。ただ一つ違っていたのは、もう一人のコウスケには私との思い出がなかった。
カレの大事な人は、私ではなく、同じ学部の岩倉アサコだった。
「ごめんな、早川。こんなこと相談されても困るのは分かってんだけど」
もう一人のコウスケが言う。
カレは私のことをユウカとは呼ばなかった。私と付き合う前の呼び方だ。
カレの世界では私とは付き合っていないのだから、それもそのはずなんだろうけど……
とりあえず、アサコと付き合っている方のコウスケのことは、滝口くんと呼ぶことにする。区別をつけないと頭がこんがらがってしまう。
二人のコウスケはこれまでの経緯を話してくれた。
いつからこうなっていたのかは自分たちにも分からない。気がついたきっかけは、出ていない講義の出席がなぜか取られていたからだと言う。
お互いが確認したはっきりとした違いはやっぱり、私のことが好きか、アサコのことが好きか、という点だけだったようだ。
滝口くんには私との思い出がない。コウスケにはアサコとの思い出がない。
こんなことが現実に起きるなんて……
リアル世にも奇妙な物語なんて勘弁してほしい。
今の状況ってパラレルワールド? とかそんなのに巻き込まれたみたいなものなのかな?
もしかしたら、私たちには見えないけど、世界は限りなく薄っぺらい層のようなもので形成されていて、微妙なバランスで成り立っていた二つの層がなにかのショックを受けて、重なってしまった、とか?
だから、パラレルワールドと違って、私と付き合ってるコウスケとアサコと付き合ってるコウスケが同時に存在しちゃうんじゃないだろうか?
でも、それだと、コウスケと付き合ってないもう一人の私がどこかに存在してないとおかしくなる、よね? ってことは、どうなってんの?
二つあったコウスケの世界だけが一つに重なっちゃったってことなのかな。
うー、ダメだ。私の頭じゃ、なにがなんだがさっぱり分からない。
ともかく、これは私だけが知ってていいことじゃないと思う。アサコも関係者になるんだから呼ばないと。
そう思って「ねぇ、アサコは呼ばなくていいの? だって、付き合ってるんでしょ?」と言うと、コウスケが「ダメダメ」と首を振った。
「どうして?」
「だってさ、岩倉はお前と違って繊細じゃん? 岩倉との思い出持ってない俺がいるなんて知ったら、ぜってー傷つくって」
それじゃぁ、私が鈍感みたいじゃないか。カチンと来てコウスケを睨む。
そんな私の視線に気づいた滝口くんは困ったように笑い「ごめんな」と口の動きだけで謝ってくれた。
話は段々と深い方向へ進んでいく。というか、これからどうするのかってこと。
「俺は、別にこのまんまでもいいと思うんだけどさ。支障はないみたいだし」
コウスケはそう言って、チラリと滝口くんを見やる。その視線を受けて、滝口くんは口を開いた。
「俺は、俺が二人いちゃいけないと思うんだ」
「……」
「だって、普通に考えたらおかしいだろ?」
同じ滝口コウスケなのに、二人の意見は割れているらしい。
だから、私に相談してきたってことか……
「二人いちゃいけないって言うけど、一人に戻ることはできるの?」
私の問いかけに滝口くんが頷いた。
「どうやって?」
「どっちかが消えればいいんだ」
その言葉をどちらが言ったのか分からなかった。
もしかしたら、二人同時に呟いたのかもしれない。だって、二人とも同じ顔していたから。
※ ※
コウスケは「ユウカはどう思う?」と私に全てを委ねようとしたけれど、そんなの答えられるわけがない。
私はその問いかけに対する答えをとりあえず保留にして、二人のコウスケと別れた。一人になって頭の中を整理したかった。
家に帰って、熱めのシャワーを頭から浴びる。ばしゃばしゃと足元で跳ねる飛沫の数を10数えて、コックを捻った。
髪をかきあげて滴る水滴を後ろへ流す。少しだけ頭の中がクリアになったような気がする。私は一つ息を吐き出して、浴室を出た。
タオルで体を拭いて、着替える。その間にも、頭の中ではコウスケのことを考えていた。
二人のコウスケには、高2の時に初めて出来たカノジョとの思い出がある。
滝口くんにはアサコとの3年間が。そして、コウスケには私との3年間が。大学生になった今も付き合っていることまで同じ。
アサコには悪いけど、コウスケには消えてほしくない。……だからって、滝口くんに消えてほしいなんて、言えない。
やっぱり、どう考えたって私が決められることじゃない。
私はベッドに倒れこむように横になる。
コウスケが言うように、これまで問題がなかったんだから、このままでもいいんじゃないのかな? だって、そうしたら、私もコウスケも、アサコも滝口くんもずっと一緒にいられるはずだ。これまでそうだったんだから、きっとそのはずだ。明日、コウスケに会ったらそう言ってみよう。
これが私の答え。
私は目を閉じる。
ふと、瞼の裏に浮かんだのは、滝口くんがアサコのことを思い出している時に見せるこれ以上ないというくらい幸せそうな顔だった。
私はコウスケのそんな顔、一度だって見たことがない。