異世界か……ら……。
はり詰めた緊張感が、神殿に漂っていた。
ことり、とでも物音がすれば、すべてがはじけ飛んでしまいそうな、限界まではり詰めた緊張感の中、中央では大神官並びに高位の神官達がしつらえられた神座を中心に、円陣を描くように立っている。
手に手に杖のようなものを持ち、低く呟く声は、はり詰めた神殿の中に低く響き渡る。
それを王座から見守るのは、この国の王、そしてそれに従う臣下たち。
異界より人を呼び、その人間の持つ才を取り入れるのが、国王に課せられたひとつの義務。
今回の儀式は、そのためのものだった。
そうして、現れた人物は、たいていにおいて王と恋に落ちる。すでに王妃の存在する場合は側妃に、いない場合には王妃としてたった例も少なくはない。
それは性別を問わず、婚礼の許されるこの世界ならではのことであるかもしれない。
異世界からの召喚が、以前に行われたのは国王の父である前王の御世であり、その当時の渡り人も、すでにこの世に存在しない。
その渡り人は、すでに現王の母である王妃が存在したため、側妃として、また、王を支える存在として共に国を守り立てたという。
しかしながら、前王が若くして王位につき、儀式自体も早く行われたこと、その当時儀式につき従った人々がそこそこの年齢であったことなどもあり、とどのつまり、儀式について詳しく知っているのは長らく生きて少しばかり衰えた神官長と、儀式の手順を書いた本を閲覧することのできる高位神官のみ。
ゆえに。
この儀式が成功するか否か、ひたすらに皆は祈ることしかできず、緊迫感に包まれていた。
特に王の緊張は、一方ならぬ物があった。
前の王と渡り人との仲むつまじい様子は、忘れられない。母であった王妃ですら、苦笑いを浮かべながらも受け入れてしまうほどの熱愛ぶりであり、また、王妃としてもその人柄は不快なものではなかったことから、それなりの関係を築いていた。
そう。
この儀式で現れる人間に対する王の期待は、周囲の人間の比ではないのだ。
現れるのは、女性か、男性か。少女か、否妙齢の女性か、それとも少年か、青年か、壮年の男性もありうるし、熟女というのも捨てがたい。
よっぽどの不細工でなければよいのだが、などとどこか微妙にずれはじめた感慨を抱きつつも、現れる人間に対しておそらく一方ならぬ感情を抱くであろうことを、すでに王は予感していた。
それは、さだめ。それは、決められた法則。
王はひたすらに熱い情熱を宿す瞳で、儀式を見守る。
詠唱の声が高まる。広い神殿の中に、界渡りの詠唱の声はまるで聖なる合唱の如く、響き渡る。
それにつれて、神殿の中央に描かれた魔法陣の中央へと、光が集まり始める。
おお、と、僅かにどよめきが走る。
高まる期待感と緊張感の中、光は詠唱の高まりと共に膨張し、魔法陣を包んでまばゆいばかりに輝きを放った。
時は来たれり。
ひときわ高い詠唱が長く響いた後、しんと静まり返った神殿の中に、掠れた老神官の声が響いた。
中央の魔法陣は光り輝き、中央には小さな影が揺らめくようにある。
ごくり、と、誰かが息をのむ。
儀式は成功したのだろうか。あの小ささは少年か、少女か――あるいは、幼い子供かもしれない。
けれど、召喚はなされたのだ。成功したのだ、という想いが、じわり、じわりと周囲のものの胸へと染み入ってゆく。
光は段々と収束を始め、まばゆく目が潰れんばかりだった輝きは、次第に次第に落ちていく。
それに連れて、段々と陰の姿ははっきりと見え始め――。
「わん」
「……は?」
呆然とした呟きが、王の口から漏れる。
「ワン、ワンワンワン!」
「………っ!?」
そこには、茶色の尻尾を元気いっぱいに振り回す、子犬がいた。
「なぁ、お前、俺の嫁さんくるはずだったのに、なんでお前なんだ?」
「わん」
「そっかー、お前も哀れとおもってくれるかー。そっかー」
「きゅうん」
「おー、かわいいなーおまえ、もういっそ、お前がよめにくるかー?」
「わん!」
その後しばらくして、しょんぼりと黄昏ながら茶色い子犬と戯れる王の姿が、王城にてみかけられたとかなんとか。
人間が召喚されるはずが、その飼い犬が召喚されてしまったという話。
いや、色々本当にごめんなさい。