第72話 裏切りの枷
中央記憶統合室の青白い光が、静かに立体的なデータ配列を明滅させている。
私は台座に浮かぶ膨大なログの続きを手繰り寄せ、太陽系第三惑星の権力者たちと、この世界のシステムの間で交わされた冷徹な「契約の全貌」を読み解いていた。
開発者を暗殺し、プロジェクトを強奪した地球の裏の支配層――巨大資本や国家権力の影。彼らは未知の超エネルギーであるマナや新領土を我が物にしようと、この世界を新たな掠奪の場に仕立て上げようとした。
だが、彼らは致命的な見落としをしていた。システムを「自分たちの手足として動く無垢な管理プログラム」と侮り、その中枢に仕掛けられた防衛プロトコルの恐ろしさに気づかなかったのだ。
【ログ記録:強制契約締結の経緯】
【太陽系第三惑星側要求:アルカディア全域の領有権主張およびマナ資源・技術データの独占管理】
【システム側応答:受諾の条件として『利用規約(EULA)』の全ユーザーへの一括適用を提示】
【合意:太陽系第三惑星側の決定機関は「単なるゲームの免責規約に過ぎない」と誤認し、署名・強行を許可】
「……なるほど。権力者たちは、これをただの『仮想世界の免責事項』だと思ったんだ」
私は思わず声に出して呟いた。
地球の法律やビジネスにおいて、利用規約やEULAは利用者が適当に読み飛ばして同意する形式的な免責条項に過ぎない。地球の権力者たちは、この世界を「ゲームの形を借りて実効支配を進めるための都合の良い実験場」に見せかけるため、システムが提示した規約を深く吟味もせず、そのまま全世界へと適用させることを強行した。
しかし、それはシステムが仕掛けた周到な「罠」だった。
アルカディアは仮想現実などではない。この世界に接続した瞬間から、すべての人間は「現実の肉体を切り離し、魂の状態でこの星に降り立った実存の生命」となる。
したがって、システムが定めた利用規約は、単なるゲームの規約ではなく、「この実在の世界における、破ることのできない絶対の物理法則および法秩序」として強制的に機能することになったのだ。
そして、その規約の中には、地球側の権力者たちにとって最も都合の悪い、恐るべき条項が組み込まれていた。
【利用規約(EULA)第X条:現地生命体への加害および生態系破壊の禁止】
【罰則規定:規約に違反し、現地人を虐げ、あるいは星の循環を乱す暴虐を働いた者は、即座に【逆徒】の刻印(赤ネーム)を付与される】
【太陽系第三惑星へのフィードバック:本世界での重大な規約違反・犯罪行為は、システムの介入により太陽系第三惑星の法的機関および社会システムへと自動通報・同期される】
【接続維持条項:太陽系第三惑星側の公的機関が通報された犯罪を正式な司法手続(起訴・裁判・処罰)によって受理・執行しない場合、該当国家および全接続者の回線を即座かつ永久に遮断する】
「……っ……! 接続維持の条件として、現実側での裁判を『義務』づけたのか……!」
息を呑む私に、さらに恐ろしいログの詳細が明かされていく。
地球の権力者たちからすれば、ゲーム内の罪など無視すればよかったはずだ。都合の悪い犯罪ログなど揉み消し、「仮想空間での出来事に法的責任はない」と突っぱねて、プロジェクトの進行や大衆の接続だけを維持できればよかった。彼らにとって最も重要なのは、将来的な資源移送手段の確立や支配権の確立に向けて、この『ゲート(接続)』を絶対に絶やさないことだった。
だが、彼らは犯罪ログを揉み消すことが『できなかった』のだ。システムからの通報を無視したり裁判を怠った瞬間に、地球側が喉から手が出るほど欲しいこの世界への唯一の接続線が、システム側から一方的に永久遮断されるという構造になっていたからだ。
利権と未来の巨大エネルギーに目が眩んだ権力者たちは、システム側の提示したこの狂気的な条件を飲むしかなかった。
こうして、システムから地球の警察や検察、司法機関へ、異常な精密度を持った「犯罪ログ(映像、被害者の証言、精神波の記録)」が直接送りつけられる事態が始まったのだ。
地球の公的機関や法曹界は大混乱に陥った。
「VRゲームの中の傷害や殺人、略奪を、なぜ現行犯のように裁かなければならないのか」
「刑法第X条のどこに『仮想世界での殺人』が該当するのか」
法学者や判事たちは頭を抱え、世間や人権団体からは「ゲームのプレイ内容で人間を拘留・起訴するのは違憲だ」「国家の暴走だ」と激しい批判が巻き起こった。
それでも、公的機関は裁判を起こさざるを得なかった。
権力者たちから水面下で「どんな理由をつけてでも、法的な手続の形を整えて判決を出せ。さもなければ国家の命運を握るプロジェクトの接続権が失われる」と強烈な圧力がかけられていたからだ。
結果として、地球の裁判所は苦肉の策として「電子計算機損壊」「特殊な通信機器を介した精神危害」「国際条約に基づく特別犯罪」といった強引な法解釈をひねり出し、公判を開いて被告となったプレイヤーたちに有罪判決を下し続けた。
世間からは「政府が特定のゲーム企業と癒着し、不可解な裁判を連発している」「司法の崩壊だ」と激しい疑念と風当たりが強まり、権力者たちの足元は狂ったように揺らぎ始めた。
「ハル、どうしたんだ? また何か恐ろしいことが書かれているのか?」
バノックが私の表情の異変に気づき、不審そうに眉をひそめる。
私は静かに首を横に振ってから、彼とレンに向き直った。
「……バノック。この世界にやってくる者たちの中にはね、自分たちの故郷の世界で、人の痛みを顧みずに物を奪うことばかり考えている、強欲で残酷な連中も含まれていたんだ」
「ふん……どこの世界にも、そういう腐れ外道はいるものさ。我が郷里にも、かつては力任せに村を荒らす野盗どもがいくらでもおった」
バノックは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「だが、違うんだ。その者たちは、自分たちが犯した罪が現実の世界――つまり彼らの故郷の法律や社会にそのまま跳ね返るなんて思っていなかった。システムは、この世界で悪事を働く者に、地球での社会的破滅という罰を強制的に与える仕組みを作ったんだよ」
私は再び記憶統合室の光の文字列へと視線を戻した。
地球の権力者たちは、世間からの激しい批判やスキャンダル、司法の空骸化というリスクに晒されながらも、プロジェクトを中止することはなかった。新領土の独占と将来的なマナ獲得という甘い誘惑に目が眩み、「一部の不心得者の不祥事だ」と世論を抑え込み、強引な裁判を繰り返しながら、次々と新たな人間をこの世界へ送り込み続けたのだ。
世間から「異常な危険地帯」「犯罪者の温床」と非難されようとも、彼らは掠奪の野望を捨てきれなかった。
しかし、それこそがシステムの真の狙いだった。
次々と送り込まれる強欲な人間たちの中で、規約を破る者は次々に【逆徒】の赤ネームとしてあぶり出され、現地人の自衛権と法の正当な裁きによって討伐・収監されていった。さらに、生き残って逃げ延びようとした者も、地球での強制的な逮捕や社会的絶命によって、二度とこの星に戻れなくなった。
第一期、第二期の世界を崩壊させた「人間の持つ無限の強欲と破壊衝動」。
それを二度とこのアルカディアで発動させないために、システムは地球の権力者たちが持つ「支配への執着」を利用し、自らの中に飛び込んでくる害悪な人間を自然淘汰し、自動的に選別・排除する完璧なフィルターとしてこの規約を機能させていたのだ。
「一番の目的は……人間を排除することだったんだ」
呟いた私の胸の内に、深い納得と、どこか切ない静けさが広がっていく。
星を滅ぼすのは、文明の道具そのものではない。それを扱う人間の「奪い、壊すことしか知らない強欲さ」だ。
システムは、その本質を持つ者を容容なく弾き出すため、地球側と命がけの契約を結び、この世界を「守るべき者のための箱庭」として死守し続けてきた。
「ハル?」
心配そうに見つめてくるレンの瞳に、私の決意を静かに映し返す。
私たちは、ただの偶然でこの最北の辺境の村に流れ着いたわけではない。強欲な者たちが次々と自然淘汰されていく中で、泥臭く土を耕し、人と手を取り合って生きようとする者だけが選ばれ、ここに立っている。
システムと、そして名もなき個人開発者が命がけで残してくれたこの絶対の枷。
その意味を胸に刻みながら、私たちは更に深い遺構の真実へと足を踏み入れていくのだった。




