第三話 二人の教師
軍人が来た。
濃い色の軍服を着た男は、扉を開けた勢いのまま部屋へ入ってきた。
「ヴァルゼ、リューデン?」
低く、短い声だった。
ミコトには意味が分からない。
ただ、その声だけで、部屋の中の空気が固くなった。
廊下には、茶色い髪の男の子が立っていた。
「ウォール……」
ハリエットが、小さくその名を呼んだ。
ハリスも、オーレリアも、同じ方を見る。
三人の目は、そろって恨みがましかった。
ウォールと呼ばれた男の子は、少しだけ肩をすくめた。
つばめが、軍服の男へ顔を向ける。
「この子、和語なら通じるわ」
軍服の男はつばめを見た。
それから、ミコトを見る。
短く頷く。
男は軍服の懐へ手を入れた。
ミコトの指が、膝の上で少しだけ強張る。
取り出されたのは、武器ではなかった。
掌に収まるほどの、小さな粘土細工。
段を重ねた塔の形をしている。
つばめが、すぐに和語で言った。
「怖がらなくていいわ。通辞術よ。言葉を分かるようにするだけ。痛いことはしないから、手を出して」
ミコトは、つばめを見た。
それから、男の手にある小さな段塔を見る。
分からないことばかりだった。
けれど、つばめの声は落ち着いていた。
ミコトは小さく頷き、膝の上から右手を少しだけ出した。
軍服の男は、粘土で作られた小さな段塔を、ミコトの手の甲へ軽く押し当てた。
触れた、というほどの感触はほとんどなかった。
けれど次の瞬間、耳の奥で、薄い膜がほどけるような感覚があった。
さっきまで音でしかなかったものが、遅れて意味を持ち始める。
「聞こえるか」
今度は、分かった。
ミコトは顔を上げた。
「……はい」
軍服の男は頷いた。
「ジークハルト・クラウゼフォン。七聖学院の教師だ」
教師。
その言葉だけが、目の前の軍服と少しずれていた。
ジークハルトは、すぐにつばめへ視線を移した。
「外傷は?」
「目立つものはないわ。息も落ち着いている。しばらく休ませれば大丈夫よ」
ジークハルトはミコトを見た。
「痛みは?」
「胸が、少しだけ」
「水を飲んだ影響だ」
「年齢は?」
「……十二、です」
ジークハルトの視線が、椅子に掛かったセーラー服へ向いた。
「その服は、和之国か?」
ミコトは、少しだけ言葉を探した。
「前にいた学校の、制服です」
ジークハルトは、それ以上は聞かなかった。
それだけ確認すると、ジークハルトは子供達へ向き直った。
「怪我がない者は退去。部外者に長居を許可した覚えはない」
空気が、一拍止まった。
「えっ」
ハリエットが声を漏らす。
「でも、先生」
「授業がある」
ジークハルトは短く切った。
「おまえ達は授業に行け」
「それはあんまりじゃないかしら」
オーレリアが手帳を抱えたまま言った。
「記録の途中なのに」
「授業に行け」
「でも」
「行け」
二度目は、低かった。
ハリスは黙っていた。
言い返しても無駄だと分かっているようだった。
ハリエットはミコトの方を見た。
何か言いたそうにして、それでも言葉を飲み込む。
つばめが、静かに口を挟んだ。
「ジークハルト先生。容態が安定するまでは、動かさない方がいいわ」
ジークハルトが振り返る。
「水を飲んでいるし、慣れない場所で緊張もしているもの」
「私もその提案に賛成だ」
別の声がした。
「まぁまぁ…、ジークハルト先生」
扉の方から、一人の男が入ってきた。
つばの広い帽子。
片眼鏡。
白い手袋。
濃い外套の肩から、模様の入った布が流れるように掛かっている。
柔らかい声だった。
けれど、割って入る足取りに迷いはない。
その傍らから、白銀色の髪の男の子がするりと部屋へ入り込んだ。
ハリエット達の視線が、そちらへ向く。
さっきウォールへ向けたものとは違う。
今度は、明らかに褒めていた。
白銀色の髪の男の子は、少しだけ胸を張った。
帽子の男は、それを見て、ほんの少し笑った。
それから、ジークハルトへ向き直る。
「では、後はお任せ下さい。」
ジークハルトは、一切迷わなかった。
「そうする」
カッ、と軍靴が鳴った。
「この件は預ける。何かあった時の責任も負ってもらう」
「承知しました」
帽子の男が穏やかに答える。
ジークハルトは踵を返し、躊躇なく部屋を出ていった。
扉が閉じる。
子供達が、少しだけ息を吐いた。
「ローティ、よくやった。ウォールは少し考えろ」
白銀色の髪の、ローティと呼ばれた男の子は、少しだけ胸を張った。
廊下の方で、茶色い髪の、ウォールと呼ばれた男の子が頭を掻いた。
オーレリアは手帳を開き直そうとする。
ハリエットも、寝台の側へもう一度近付こうとした。
だが、帽子の男が微笑んだ。
「皆さんも、授業のお時間ですよ」
声は優しかった。
ジークハルトのように切る声ではない。
けれど、逃げ道はあまりなかった。
「でも」
ハリエットが小さく言った。
「心配なのは分かります」
男は頷いた。
「ですが、彼女はつばめさんが見ています。私も残ります。ですから、皆さんは皆さんの務めへ戻りなさい」
ハリエットは、まだ何か言いたそうだった。
ハリスが先に一歩退く。
オーレリアは名残惜しそうにセーラー服を見てから、手帳を閉じた。
ローティと呼ばれた男の子も、少し不満そうにしながら扉へ向かう。
「また、あとでね」
ハリエットが小さく言った。
ミコトは頷く。
「はい」
子供達は、しぶしぶ部屋を出ていった。
扉が閉まると、医務室は急に静かになった。
残ったのは、ミコト。
つばめ。
そして、帽子の男。
男はミコトへ向き直ると、帽子を脱いだ。
恭しく、一礼する。
「先ずはようこそ、七聖学院へ…」
言葉は柔らかかった。
それなのに、どこか芝居の幕が上がるような間があった。
男は顔を上げる。
「どうも、改めて、当学院で専任講師を務めるアルフォンスと申します。どうぞ、よしなに…、」
「……はい」
ミコトは、まだ少し緊張したまま頷いた。
アルフォンスは、片眼鏡の奥で目を細めた。
「…さて、先ずは緊張を解いてください。…ミコト・サトーさん」
「はい」
反射で返事をした。
それから、一拍遅れて、ミコトは顔を上げた。
「…はい?」




