↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第七章 襲撃事件

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

107/112

第九十六話 ルナ

 おなかが空いていた。


 寒かった。


 物心ついた時、父も母もいなかった。


 自分には名前すらなかった。 

 

 名前という素敵な贈り物が、この世界にあるなんてこと、それまで知りもしなかった。


 だけど……。

 


 ──ルナ。



 あの子供たちは、自分をそう呼んだ。


 その子供は、食べ物をくれた。


 居心地の良い場所をくれた。


 遠い所へ連れていってくれた。


 大きな空のキラキラを見せてくれた。


 ひげがピンと伸びた。


 目に硝子の眼鏡(とうめいなもの)をつけた女の子が、その子供と仲良くなった。 


 とても幸せだった。


 幸せだったのに。


 とても騒がしくなった。


 イヤな匂いのする大人達が、たくさんやって来た。


 子供達が泣いていた。


 叩かれて、血が出ていた。


 血の匂い?


 ああ、これは自分の血だ。



【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月9日 海竜曜日 20:46 七聖学院 北側芝生 】


 校舎の屋根、その上にいた見張りの男が、気まぐれに携帯式弩(ハンド・クロスボウ)の矢弾(ボルト)を放った。


 特に理由はない。


 強いて挙げるなら、動いていたから。


 鼠だったか猫だったかは気にしていない。


 だから死んだか生きているかも、気にしなかった。


「おい、おまえ。今、何を射(う)った?」


「さあ? ドブネズミじゃないか?」


 ルナには、人間達の会話が聞こえていた。言葉の意味までは判別できない。


 だが、その声に嫌悪した。


 この痛い何かを放ったのは、あの人間達なのだと理解した。


 今、ルナには心の中に抗い難い命令があった。


 エドワード。


 あの森の香りがする子供が、そっと覚えさせてくれた名前と、微かな匂い。


 そこへ行く。


 たったそれだけの単純な指示。それが、ルナの理解している全てだった。


 ルナは高い知能を持つ魔獣でもなければ、特別に飼育され訓練を受けた使い魔(ファミリア)でもない。


 動物伝令(ティーアボーテ)の呪文は、知能の低い動物に伝令の命令を与える呪文。


 ただ、この術式は、動物に高度な理解力まで与えない。


 動物は術者の知識と印象を頼りに動くだけで、自分で受取人を探したり、複雑な道順を判断したりはしない。


 通常であれば。

 

 だが、この時のルナは違った。


 子供達が、何かを託したことを感じていた。


 理解できる知性ではない。


 理解しようとする感性だ。


 ルナにとって、魔法の命令は切っ掛けに過ぎなかった。


 痛む後ろ足。ふらつく身体。


 立たなきゃ。


 子供達にお願いされたんだ。


 立って歩かなきゃ。


 ルナは立ち上がった。


 血の匂いがする。でも、たくさんの血じゃない。


 後ろ足も痛い。けれど、足はまだ地面を押せた。


 歩こう。


 でもこの芝生は危ない。見通しが良すぎる。


 引き返す。


 さっき飛び降りた窓を見る。


 森の香りがする子供、ハリエットが胸に手を当てていた。


 こっちを見て安堵しているようだ。


 ルナは、ぴんと尻尾を伸ばした。


 歩けるって見せた。

 

 ルナは西を目指した。建物に沿って歩き出した。


 少し歩くと、頭上で窓の開く音がした。ルナは、その場に伏せた。


「クソ面倒くせぇことになった」


 体格の大きな人間が、窓から身を乗り出した。


 臭い匂いのする煙を吸ったり吐いたりしている。


 ルナは、じっと動かない。


「そう言うな。ボスにも考えがある」


「考え? 言って見ろ。ヴェナリスに殺処分される未来なんざ笑えねえぞ」


 部屋の中にいる誰かと、何かしら話をしているようだ。ルナは、魔法の命令が、早く行けと急かす衝動を抑えて、今は見つからないように努めた。


「一部だが、身代金は手に入った」


「その金はもう流したんだろ」


「ああ。あの方へな。代金としては十分だ」


「で、例の奥の手ってわけか」


「そうだ。これがある限り、街の衛兵隊はもちろん、緋鋼海兵隊(ブラック・ファング)にも負けないさ」


 大男が、窓の外に臭くてイヤな匂いのする灰を落とした。


 ルナは目を閉じて、顔を背けた。目がしぱしぱする。


「それに生き延びれば、神聖共和国(あの国)が我々を受け入れてくれる」


「それも信用ならねえけどな」


 大男がゴミを捨てて、窓を閉めた。


 ルナは気になって、その乾いた葉っぱを丸めたようなゴミの匂いを嗅いだ。


 ついつい匂いを確かめてしまうのは、魔法よりも強い強制力。猫の本能だ。


 臭い。


 ツンとする刺激に顔を背ける。


 ルナはその場を直ぐに離れて、七聖学院(ナワバリ)の入り口がある方に向かった。


 植え込みに隠れ、柱に隠れ、道の縁石の低い陰に隠れて進む。


 大きな水溜まりがあって、夜でも水が逆さに吹き出る変な場所に来た。


 水飛沫を浴びないように、決して近付かないように歩く。


 建物が崩れた場所に来た。


 そこから先は、子供達に出てはいけないと教えられた場所だ。


 ルナは向こうを覗き見た。


 鉄の匂いがする大きな板が、たくさん並んでいた。


 怖そうな人達も、たくさんいた。


 ここはダメだ。


 ルナは湖のある南側に行くことにした。


 後ろ足が、だんだん重くなってきた。


 ちょっと後ろを振り返ると、赤い点々が残っていた。


 ルナは前を見た。


 ちょっと頭がぼーっとする。


 歩いた。


 植え込みと、土の道がある場所に来た。


 壁がある。


 子供より背が高い壁だ。


 今の足で、跳び上がれるか分からない。

 

 でも、いつもなら跳べた。


 失敗できない。


 たぶん二回は跳べない。足が痛い。


 前足をそろえる。


 土を押して確かめる。


 後ろ足をそろえる。


 痛くて少しズレた。


 ちゃんとそろえる。


 跳ぶ。


 壁の上に乗れた。


 立てなかった。身体が揺れる。落ちる。


 向こう側に落ちることを選ぶ。


 背中から落ちた。


 草があったけど、痛かった。


 ケガした後ろ足から、血が出た。


 もう後ろ足は使えない。痛い。


 ルナは三つの足で立った。


 不恰好に歩いた。


 たくさん歩いた。


 ちょっとだけかもしれない。


 歩けるまで歩いた。


 エドワードは、こっちにいる気がする。


 倒れた。


 立たなきゃ。


 立てない。


 立って歩きたいのに。


 眠くなってきた。

 

 何も考えられなくなる。


 …………。


 ……。

 

「あにき、なんか倒れてやすぜ」


「死んでるなら放っておけ」


 誰かの声が聞こえた。


 ルナは薄く目を開けた。


「こいつ、生きてる」


「ケガしてるじゃねえか」


「人を呼んで来やしょうか?」


「連れてった方がいい」


 ルナは、汗と古い布、糞と尿、掘った草の根と、土の匂いがする男たちに抱えられた。


 あれ?


 犬の匂いもする。


 ふわふわした犬。


 いつも、からかって遊んでいた犬。


 変なおばさんの匂いがする犬。


 あれの匂いもする。


 あれあれ?


 いつも遊んでほしそうな、白い髪の子。


 あの子供の匂いもする。


 近い。


 エドワードの近くまで来てる気がする。


 でも疲れた。


 もう目を開けていられない。


「アルフォンスの旦那、怪我は治りますか?」


 温かい。気持ちいい。


「はい、もう大丈夫ですよ。おや? これは……、エドワード少佐を呼んできて下さい」


 エドワード?


「これは、素晴らしい」


「え、なんすかこれ。めっちゃ細かい点々が書いてあるだけなんじゃ?」 


「うんにゃ、なんぞ字が書いちゅうぞ」


「はい。これで拡大して見て下さい」

 

「これは、敵の人数、配置、武器、全て書かれている」


「それを子供達が調べて送って来たじゃと? 信じられん」


「ですが大隊長。食事を配った数から、犯人達の人数も正確に把握されている。後はこちらが正確に突入時間を教えれば、その時刻に合わせて、内部で陽動と攪乱を行ってくれると書いてあります」


「むぅ……」


「それだけではありません。これは、初歩の初歩、術式印(ルーンメートカ)で書かれています」


「それがどうしたんじゃ、文字を書く魔法じゃろ?」


「おじさん、魔法についてもっと勉強しなよ」


「こら、エリー」


「だってこれ、本来は長文なんて刻めない魔法だよ? 紋章や、符号、簡単な署名ぐらいしか刻めない」


「そうだったのか」


「そうなの。それを何度も何度も重ね掛けして、これを作っている。しかも、圧倒的な縮小サイズ。気の遠くなるような作業を、襲撃から四十五時間ちょっと、この短時間でやってのけるなんてすごいわよ」


「猫に無理なく運ばせる事ができる紙のサイズを考えて、そこに最大限、情報を濃縮した形だ」


「そう、それに一日に使える呪文の数を考えても、情報が集まる前から作成を開始していないと説明がつかない。それこそ、襲撃された直後から作り始めてる計算になるわ」


「そんなに凄いのか」


「凄いなんてもんじゃないわよ。むしろ脅威的かも。これ書いたの誰なの?」


「ハリス・ヤクトブレオ、いつか私にとって、義理の弟になる少年だよ」


 ルナには何の話だかさっぱり分からないが、大人達が何か興奮気味に話していることは分かった。


「突入は今夜。全員が寝静まった後、子供達だけ先に早起きできる3時から5時の間が望ましい。……とある」


「まったく呆れる。突入時刻を指定してくる人質なんぞ、初めて聞いたわい」


「だが合理的だ。爆弾の無効化にも既に成功している公算が高い。つばめもいるし、間違いないだろう」


「ただの保健教師ではないのか?」


「否」

「有り得ない話だ」

「そがなわけないろう」

「多分、違いますね」


「お、おう……」


「エリー、最短で編成を替え、配置を動かし、突入可能な時間は何時になるか、今すぐ演算してくれ」


「任せて。うーん、……最短で3時45分前後」


「では、4時を突入時刻とする」


「はっ、直ぐに準備させます」


「合図は探照灯で、ルナエ符号と暗号を使ってくれとある」


「生徒達は、講堂の中じゃろ。あそこは周りを廊下で囲まれていて、外の様子を確認できないはずでは?」


「一人、自由に動いてる者がいる」


「誰だ、そのやんちゃは?」


「ヴァン・ラドーレ、わしの自慢の弟じゃき」


「お手柄じゃないか」


「お手柄といえば、この二人もです。猫を見つけた」


「あにき、オレたちお手柄らしいですぜ」

「一番の大手柄ってやつなら、御褒美くれ」


「馬鹿を申すな。最大の功労者は、この最も小さき者ぞ」


 この匂いは覚えてる。神父とか呼ばれてる大人だ。


 いつものように撫でられた。


「みー」


 ルナは小さく鳴いて、目を細めた。


 天幕の外で、探照灯が夜空を向く。


 突入作戦が、動き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。