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緋鋼皇国物語Ⅰ 第一期 第一部 七聖学院編  作者: ふみの世界樹
第七章 襲撃事件

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第九十話  真実

【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 6:15 七聖学院西側 本部天幕 】


「あの噂とは?」


「二十年前、学生時代の噂ですよ。……星見の塔」


「星見の塔、あの事件ですか……」


「はい。ハンナ・エードラ。……そして、シェリーヌ・ロダン」


 クィジルは目を伏せて、哀悼の意を示した。


「あの時、月級(モント・クラス)だった我々は、先輩達の事をよく知りません」


「知っているはずですよ。ハンナは自殺、シェリーヌは失踪。……噂の通りです」


「クィジル先生、それはみんな聞いています。……ですが、学院内で失踪だなんて有り得ない。その先を教えて下さい」


「それを知ってどうしますか」


「結論から尋ねます。シェリーヌ先輩が失踪したのは、秘密の抜け道。……その中に閉じ込められた。違いますか?」


 クィジルは沈黙した。深く、長く息を吐いた。


「そうですね。……おそらくあれは、餓死していました」


「去年、子供達が発見した死者の日記《デッドマンズ・バイブル》、あれの仕業ですか?」


「確証はありません。ですが、私個人の見解としては、シェリーヌ・ロダンはハンナに復讐されたと見ています。……しかし、よくそこまで辿り着いたものですね」


「同窓生が、三人も学院で働いているものですから」


「あぁ、彼等か……、なるほど、合点がいった。分かりました。今更、過去の不祥事を隠した所で意味はない。……抜け道があれば、そこから内部に侵入できます。今回の事件に役立てた方がいい。そういう事ですね?」


「はい。出入口は何処にありますか?」


「星見の塔一階。螺旋階段の裏側に、地下へ通じる隠し階段があります」


「その先は?」


「北側の森、そのどこかです。しかし残念ながら、土砂崩れで埋まってしまっているので、今は使えません」


「位置は分かりますか?」


「うろ覚えで良ければ、案内はできます。ですが……」


「問題ありません。我々で掘削を行います」



【 同日 6:45 七聖学院 講堂 】


 魔法遮断場(アンチマギーフェルト)の領域から外れた場所。


 体育用のマットが敷かれ、傍らには治療を終えたジークハルト先生と、ローティがそこで横になっている。


 その傍らには、ハリエットが跪(ひざまず)いていた。


「大自然神(ネイジャス)の娘にして、生命の守護者──豊穣の姫神(ナジカ)よ」


 祈りの言葉が紡がれる。


「生まれたばかりの苗を守る御手よ」


 その両脇に仮面の男達が立ち、ハリエットの一挙手一投足を監視している。

 

「裂けた皮に若葉を、流れた血に春の息を、痛みの奥に、ふたたび巡る命を」


 校長先生と他の生徒達は、領域境界線の内側で見守っている。


「この者の傷を、森が折れた枝を包むように癒やしたまえ」


 柔らかな光に包まれたハリエットの手が、ローティの頭を優しく包む。

 

「──軽傷治癒(キュア・クライナー)」


 流れ出た血は乾いたまま、戻ることは無い。切れた皮膚と血管が、微細に何度も何度も動く光の糸で、縫合するかのように結ばれていく。


 それで意識の揺れまで消えるわけではない。けれど、流れ続けていた血だけは、ようやく止まった。


「治療は終わりましたか? 用が済んだなら、さっさと領域内に戻ってください」


 術士幹部が、イラつきを隠さずに急かした。


 ハリエットは落ち着いて答える。


「いいえ、まだ患部の血を拭き取って、それから……、栄養を与える必要があります。それに小さい子達も、みんなお腹が空いてます。そろそろ朝食にして貰えませんか?」


「あぁん? メシだぁ? 贅沢なんか言ってんじゃねぇぞ」


 戦士幹部が凄む。


 ハリエットは、壇上の椅子に座る男、ヴネオンへと視線を向ける。


「また泣きだされても困る。メシぐらい食わせてやれ」


 ほっと息を吐いて、ハリエットは頭を下げた。

 

「おい、そこの飯炊き女。何人か女生徒を連れて、全員分の飯を用意しろ」


 指名されたキャサリンは、毅然と立ち上がった。


「お言葉ですが、食事の用意を女性だけがするという考え方は、当学院では教えておりません」


 ヴネオンは目を細めた


「……特に、家庭科の授業においては、男女の分け隔てなく、掃除、料理、洗濯、裁縫、身の周りの最低限の事を行えるように指導して参りました」


 キャサリンは、寝間着の袖を一度だけ握り、それから離した。


「従って、家庭科の成績。特に料理実技の成績が良かった上位5名を連れて行きますが、宜しいでしょうか?」


「いいだろう。メシが用意できるなら何でもいい」


「ご配慮、ありがとうございます。……では、五位から呼び上げます」


 キャサリンは生徒達に向き直った。


「ミシェル・シルヴァード」


「はい!」


 生徒会長を務めるミシェル。誰もが当然の人選だと納得した。直ぐ隣で、マリアンナが両手を胸の前で組み、瞳を輝かせて見上げている。


「ハリス・ヤクトブレオ」


「俺か……、はい」


 学年一位の秀才だ。これも誰もが納得した。ハリエットが、うなずいた。


「エイン・カローナ」


「……はい」


 髪色は目立つのに、言動の目立たない娘が注目を浴びた。隣でイネヴェアが小さく拍手をしている。


「オーレリア・キルシュ」


「はいなのよぅ」


 学年二位の記録魔として有名な娘だ。あれこれ手先が器用だと噂されている。これも皆が納得した。


「ウォルター・ヒギンズ」


「……え?」


 まさか、という声が上がった。ウォールが、自分を指差した。


「お返事」


「……は、はい!」


「以上、五名を連れて、厨房へと向かわせて貰います」


 キャサリンは寝間着姿のまま、優雅な淑女の礼をやってみせた。



【 同日 7:03 七聖学院 星見の塔 】


 星見の塔。


 上階の石床は、冷えていた。


 石壁は夜の冷たさを抱いたまま、窓の外には、朝になりきれない空が薄く広がっている。遠くで人の声がしたような気もするけれど、ここまで届く頃には、風の音と区別がつかなくなっていた。


 わたし達は、壁際に身を寄せて座っていた。何とか監視の目を掻い潜って、塔の上までやって来たけれど、徹夜で動き回っていたから、もうへとへとに疲れていた。


 ルナはヴァンの膝の上で丸くなっている。時々、耳だけをぴくりと動かすけれど、鳴かない。賢い子だ。今、声を出してはいけないことを、ちゃんと分かっている。


「ゴーンズさんは、あのまま置いて来て良かったのでしょうか」


「師匠なら大丈夫だ」


 ヴァンは短く言った。


「ちゃんと、あいつは縛った。口布もした。箱にも入れた」


 あの箱は、ちょっと可哀想だった気もする。


「それに、師匠はうまくやる」


「信じてるんですね」


「信じてる」


 ヴァンは強く言い切った。息が白くなった。


 ここは学院よりも古い建物で、最新の暖房設備がない。ボイラー室から流れて来る温かい空気も、ここまで届かない。


「寒くないか」


 ヴァンが小さな声で聞いた。


「少しだけ」


「こっち」


 ヴァンは迷わず、自分の外套の端をわたしの肩に掛けてくれた。


「あ、でもこれじゃ、ヴァンが寒くなっちゃいます」


「おれは平気」


「平気じゃない時も、きみはそう言います」


「じゃあ、少し寒い」


 正直でよろしい。


 そう思ったら、こんな状況なのに、少しだけ笑ってしまった。


「何だよ」


「いいえ。ヴァンらしいなと思って」


「おれらしいって、何だ」


「本当は優しいのに、素直じゃないところ」


「優しくなんか、ない」


 ヴァンは、顔を背けた。


 暗がりでも、耳が少し赤くなったのが分かった。


 こんな時なのに、反応が可愛いなと思ってしまう。


「ふふ……、ツンですねえ」


「何だそれ。……というか、ミコトも変だ」


「わたしですか?」


「こんな時に笑う」


「思わず顔が……」


「怖くないのか」


「怖いです」


 嘘はつけなかった。


 怖い。怖くて、手の先が少し冷たい。外で何が起きているか分からないことも、ヴァンが怪我をして、血を流したことも、すべて。今の全部が怖い。


「でも、ヴァンがいるので」


「おれがいても、守れない時もある。さっきとか…」


「それでも、です」


 ヴァンは膝の上のルナを撫でた。ルナは目を閉じたまま、喉の奥で小さく鳴った。


「冬の間、一緒に暮らしたの、楽しかったですね」


「急に何だ」


「思い出したんです。アルフォンス先生のお家」


 暖炉。薪。灰。黒麦麺。ルナのお皿。つばめ先生のお茶。ヴァンが割った薪を運んで、わたしが暖炉にくべたこと。洗濯物を干す時、冷たい布で指先がかじかんだこと。朝、窓の外が白くなっていて、ルナが変な顔をしていたこと。


 あの家は、わたしにとって、この世界で初めての冬の家だった。


「掃除も、洗濯も、料理も。薪をくべるのも、灰を集めるのも、ルナのお世話も。全部、楽しかったです」


「全部か」


「はい」


「薪割りは、そんなに楽しくない」


「でも、毎日やってくれました」


「必要だったから」


「それでも、嬉しかったです」


 ヴァンは少しだけ顔を背けた。


「また、やりたいです」


「薪割りを?」


「それもです。掃除も、料理も、ルナのお世話も。また一緒にやりたいです」


「……普通のことばっかりだな」


「うん。普通のことがいいです」


 戦うことでも、逃げることでも、誰かを助けるために走ることでもない。


 朝起きて、火を入れて、食事を作って、勉強して、少し喧嘩して、また仲直りして、夜になったら眠る。そんな、何でもない一日。


「爺ちゃん……」


「ヴァン?」


「ううん、何でもない。ちょっと思い出しただけ……、おれの家族」


「家族? ヴァルクさん?」


「兄貴とはまた違う。その前の家族。……普通のことばっかりの、家族」


「家族……」


「ミコトの家族は、どうしてる?」


「わたしの家族は……」


 女神様からは、元の世界には戻れないと聞いていた。


 ヴァンの手を握りたくなったけれど、自分で自分の身体をぎゅっと抱きしめた。


「……もう会えません」


「そうか……」


 それから少しの間、何も言わなかった。


 わたしはヴァンの横顔を見た。煤や埃が少しついている。頬に薄い擦り傷もある。それでも、わたしにとっては、誰よりも見慣れた顔だった。


「ヴァン」


「何だ」


「わたし、ずっと思っていたんです」


「何を」


 わたしは、ゆっくり息を吸った。


 この世界に来た日。何も分からず、湖に落ちた日。


 何も分からないまま、そのまま死にそうだった時。 


「わたしを最初に見つけてくれたのが、ヴァンで良かったです。ありがとう、ヴァン」


 ヴァンは、すぐには答えなかった。


 ただ、わたしの肩に掛けられていた外套の端を、少しだけ握り直した。


「おれで、よかったのか」


「はい」


「本当に?」


「うん。大好きです」


 ヴァンは真っ赤になって顔を伏せた。


 膝の上のルナが、片目だけ開けて、ヴァンを見上げる。


「……なら、よかった」


 声が、小さかった。


 強くなろうとしている男の子が、今だけは迷子の子犬みたいに見えた。


 わたしはそっと手を伸ばした。ヴァンの髪に触れる。少し乱れていた髪を、指先で整える。


 ちょっと、ごわごわしてる。いつか髪を洗ってあげないと。


「子供扱いしてる」


「少しだけ」


「おれは子供じゃない」


「ふふ、そうですね。知っています」


「じゃあ、何で撫でる」


「撫でたくなりました」


「……そうか」


 ヴァンは文句を言いかけたように見えた。


 けれど、言わなかった。


 むしろ、少しだけ頭をこちらへ預けてくる。


 ああ。


 やっぱり子犬だ。


「ミコト」


 そう言って、ヴァンはさらに少し近付いた。


 近い。


 本当に近い。


 肩と肩が触れて、膝の上のルナが少し迷惑そうに身じろぎした。ヴァンはわたしの顔を見て、それから目を逸らして、また見た。


「ミコト」


「はい」


 ヴァンが、わたしの肩に頭を乗せた。


「ヴァン?」


「少し、目を閉じてもいいか?」


 胸の奥が、静かに熱くなった。


 外では、学院が襲われている。みんなが捕まっている。わたし達も、いつ見つかるか分からない。それに、まだちょっと恥ずかしい。


 でも。


「いいですよ」


 言ってしまった。


「怪我もしてるんです。少しは寝てください」


「じゃあ、少し寝るかもしれない」


「うん」


 ルナが、ヴァンの膝から降りた。


 床に前足をついて、伸びをして、それからなぜか、わたしの方へやって来る。


「ルナ?」


 恐る恐る手を伸ばすと、ルナは逃げなかった。むしろ、頭をわたしの掌に押し付けてきた。


 柔らかい。


 温かい。


「……認められたな」


「え? 何に?」


「ルナに」


 ヴァンが少しだけ得意そうに言った。


 ルナは、わたしの膝に前足を掛け、当然のような顔で丸くなろうとする。ヴァンがその背を撫でると、ルナは小さく喉を鳴らした。


 ゆっくりと時間が流れた。


 どこかで朝の小鳥が鳴いていた。


「ヴァン、寝た?」


「ううん、起きてる」


「寝てください」


「眠れない」


「困りましたね。……何か、お話でもしましょうか」


「うん」


 わたしは天窓の方を見上げた。


 ゆっくりと太陽光の入って来る角度が変わって行く。


 明る過ぎる空。星は見えない。


「……もし」


「もし?」


「わたしが、またどこかへ迷子になったら」


 ヴァンの腕が、少しだけ強くなった。


「また、見つけてくれますか?」


「迷子にさせない」


 わたしは笑った。


「もしもの話です。また、見つけてね」


「分かった。見つける」


 わたしは、また笑った。


 素直に嬉しかった。


「どこにいても?」


「どこにいても」


「本当に?」


「本当に」


 わたしは、ヴァンの服を少しだけ握った。


 ヴァンならきっと、いや、本当に見つけてくれる。


「約束ですよ」


「ああ」


 その返事を聞いて、安心してしまったのだと思う。


 緊張が少し緩んだ。


 体の奥に溜まっていた疲れが、ゆっくりと浮かび上がってくる。ヴァンの腕は温かく、ルナの体も温かかった。


 目を閉じる。


 少しだけ。


 ほんの少しだけ。


 そう思った。


 いつ眠ったのか、分からなかった。


 ──────────。


 ──────。


 ────。


 ──。


 不穏な気配に、目が覚めた。


 ヴァンが片膝立ちになって、わたしの口元を手で押さえていた。


「静かに。誰か来る」

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